『百万両五十三次』:1959、日本
箱根山関所に、通行を一時差し止めるとの立て札が出た。お上の御用行列が勤皇浪人に襲われたのだ。江戸城には、京へ送った御用金が奪われたとの知らせが届いた。老中・堀田備中守や秋元但馬守らは、公家が反体制派の島津側になびくことを危惧していた。
朝廷の島津派を抑えるためには、何としてでも御用金を送らねばならぬ。だが、京都所司代・太田内膳正に手はずして警護を付けた政府御用の行列も襲われた。京の二條城にいる押小路公任らも、薩長の撒く金で幕府打倒に傾く公家が増えつつあることを不安視してい