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#29 何の為に誰の為に生きるのかは人それぞれ

同居する意味はあるのか

私がインターネットで賃貸物件を見ていることに気づいたS。

S「引っ越すの?」

私「気に入る物件があればね。」

S「じゃあ家売るから俺のアパートも探して。
一緒に住まないなら、この家にいる意味ないし。
家売った分で生活すれば何とかなるんじゃん?」

私がいなければ生きがいがないと断言するS。


どうにでもなれば良い。

そう言えない私がいる。
Sに対して、まだ情があるのか、人として言ってはいけないと思っているからなのか、区別がついていない。


同居生活を続けることは出来る。

但し、以前のような仲が良かった頃の接し方は出来ない。今の所。

会話は、そういう言い方が嫌だとか、イライラするとか双方言い出して、建設的でも穏やかでもない状態になる。

もちろんセックスも無理。スキンシップは最低限にしてほしい。
私に干渉するのも負担に感じる。

こうなると、私にとってもSにとっても精神的負担だと思う。


なのにSは、それでも私と居たいという。

S[好きだから。関係が戻るまで努力したい。体の関係がなくてもいい。酒も止める。」


そうしてまで他人と居続ける理由があるだろうか。


私は誰の為に、何のために生きているか、という問いに対して深く考えた事はなかった。

歳を重ねていくうちに、
自分の為に生きていこう、自分の人生なんだから。

そう思うことは増えた気がする。

Sは人の為に生きている価値を見出している。

私でなくても良いんじゃないかなぁ…
他に好きな人見つけてくれ。

そんな考えが巡る事もしばしば。


どう信じたら良いのか

決意表明のように、私宛に手紙を書くS。

私がSの為?にやってきたことへの感謝と謝罪。
今後、酒を断ち、仕事に復帰し、収入も安定すれば、また仲良くなれると信じているSの気持ちが綴られていた。

それを読んだ感想を求めてくるS。

私「貴方の気持ちは分かった。でも、信じられない」

酒を止めると宣言して守られた試しはない。

退院してから、飲酒しなかった日はない。
S自身で決めたリハビリ(ウォーキングや筋トレ)も、日に日に頻度が減っている。

私が信用できるような環境設定をしているとは思えない。

そんな気持ちだったから、信じられないと伝えた。
Sは分かったと言ったが、表情は穏やかではなかった。


意識を変える事、自分を大事にすること

私はSをだいぶ傷つけていると思う。

相手が傷つくであろう言葉を発するのは、私自身も負担だし、後悔することの一つ。

でも、言わなければいけない場面がある、というのも理解している。
私だけが我慢すれば円滑になるわけではないから。


私の人生だから。私が心地よい状態でいることは、私にとって大事な要素。

そう思えるようになってから、私は周囲を見る感覚が変わった。
周囲も、私の雰囲気が変わったと言った。

意識一つで、人は変化する。

それを身をもって体感している。

だからSに対する違和感が、全面に出てしまっているのだと思う。

今は離れて生活したい。
そんな気持ちが心の片隅に…と言いたいが、3分の2を占めている。

残りの3分の1は、私も良く分かっていない所で、何だか迷いがある。
この感覚がモヤモヤしていて心地よいとは言えないので、やはり、別居した方が良いのかもしれない。

でも条件に合う物件が見つからない。
Sと過ごす間、Sの言動にいちいち左右されている私がいる。

このままで良いのではないか?と迷う私もいる。

何なんだろう。
自分を大切にするために、私が最善と思える選択が未だ出来ていない。

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