グレーゾーンという言い方はもう古い

今日は、放課後児童育成支援師講座の3回目を受講しました。
岡山大学の中山芳一先生が講師の、先進的な内容の講座です。
よく言われる「発達障害のグレーゾーン」という言葉は死語だそうです。
白黒グレーという分け方が時代錯誤で、今は〇〇の傾向が強い、弱いという見方をするとのこと。
グレーゾーンというラベルを簡単に貼らないことが大事だということで、これまで平気で使っていた自らの言動を反省しました。

障害の概念は、これまでの「個人モデル」から「社会モデル」へと変化してきています。
これを、車いすで生活する人を例に考えてみます。
例えば車いすの進路に階段があった場合に、それを登れない「人」」に原因があると考えるのが個人モデルです。
一方社会モデルは、車いすで登れない階段がある「社会」環境に問題があるとする考えです。
この違いは大きいですね。
この概念を聞いて私が思い浮かべたのは、学童保育クラブに作られたルールのことです。
私が関わっていたA学童では、「走っちゃだめ」「机の上に乗っちゃだめ」「喧嘩しちゃだめ」「DVDを観ている時は体育座りをして、ゴザから出ないで観ること」というルールがありました。
そしてこれを守れない子を「障害児」扱いして、指導の対象にするわけです。
問題は子どもにあり、大人が作ったルールに子どもを合わせることを仕事とするのです。
先生もいちいち介入しなければいけないので大変です。
これに対して、私が見学に行った私立のB学童では、上のルールが全てありませんでした。
よって子どもたちは、走るし、机の上に平気で乗るし、喧嘩もします。
しかしそれが日常茶飯事で、迷惑だと思ったら子ども同士で注意して、喧嘩もしながら自己解決して、そこで学んでいきます。
DVDはそもそも置いてありません。
だいたいDVDは、「これを観せておけば子どもが大人しくしていて、職員が他のことが出来る」という大人の都合の要素が強いものです。
この結果そこでは「障害児」扱いする問題児が居ない学童になっています。
たぶん、B学童にA学童のルールを適用したら、8割から9割の子が問題児になると思います。
問題児は、周りの環境が作っているんだと実感しました。

さて研修で中山先生が力説していたのは、日本は形式的平等が重視されて、実質的平等がほとんど考えられていないということです。
全ての子に同じ接し方をしないと、「あの子だけずるい」と言われるので、無難に表面上の平等をするわけです。
本来は、「この子は〇〇で困っているから、先生が手を貸しているんだよ」という説明を他の子どもにもした上で、実質的平等を実現する努力をすべきだということです。
「形式的平等で良しとするような、幼稚な学童にはなってほしくない!」と中山先生は力説していました。

これは日本文化の抱える課題だと思いました。

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