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【映画】峠 最後のサムライ《敗北》

知人から勧められて、観に行きました。
司馬遼太郎作品でなおかつ幕末の話、というのも観に行った理由の一つ。
河井継之助は、この映画を観るまでは知らなかったです。

<敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”>
慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。
慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。
だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。
妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。

アスミックエース公式サイトから引用


主人公、河井継之助は幕府側ということで、やはり予想できるのは敗者としての生き様。
本作もその予想は違えず、新選組とはまた違った、動乱を生き切った人間の姿が描かれていました。

二つの言葉(ネタバレあり)

個人的に印象に残った言葉が二つありました。あくまで、私の人生や信条に照らした時グッと来た言葉なのであって、この映画を語るうえで代表的なシーンというわけでは必ずしもありません。

夫婦

「夫婦は、お互いを見るのではなく、同じ方向を見るもの」

河井継之助夫妻を第三者が評した言葉。

たしかに、結婚すれば、愛情ゆえに、お互いに相手を見てしまうように思います。

でも、お互いを見ると、周囲が見えなくなってしまう。

お互いを縛ってしまう。

そうではなく、夫婦は、同じ方向を見て共にどこかへと歩む仲間。

共に未来へと歩む人間同士の理想的な関係性が、端的に現れているように思え、目から鱗が落ちるような気持ちでした。

淡々と

「河井継之助の妻として、淡々と、明るく生きます」

社会が大きくうねる中、なんとかして戦を回避しようと抗い続け、最後には義を貫き、戦わざるを得なかった継之助。
その姿を見守り、別れた後に、妻が言うこの静かな言葉の重みが、自分には沁みました。

自分がグッときたのは、最後のフレーズ。
「淡々と明るく生きる」。

辛いことがあっても、できる限り、日常を日常にするために、がんばりすぎず、落ち込みすぎず、一定の速度で歩みつづけるということ。

人生において平静を保ち続けることの裏には、強さが必要であることに気付かされます。

敗者とは

先ほども述べた通り、この映画は、日本史においてはいわゆる敗者側である人間についての物語です。

でも、敗者ってなんだろう。

勝ち負けなんてものは、結局、ある一つの基準に基づいた評価に過ぎない。ただ、だとしてもそう簡単に切り捨てることのできない要素でもあると思います。

やはり、勝つことによって得られるもの、負けることによって失うものは、往々にして人生において大きい存在であることが多いからだと思います。

ただそれでも、たとえ、一つの基準に基づいて「敗北」に至ったとしても、生きている限りは続きがある。

無視できない敗北を突きつけられても、それでもその後に続く生を、投げ出さず、最後まで自分のやるべきことを見つめ、貫き、生き切る。

真摯に生き抜いたその生き様こそが、誇るべきものであり、受け継がれていくものであり、だからこそそれを目の当たりにした人間は、その尊さに、心を揺り動かされるのではないでしょうか。

この映画で河井継之助が見せてくれた姿は、そういうものだったと思いました。

最後に

落ち着いた語り口の映画ではありますが、河井継之助の、飄々としつつもみんなを守ろうとする熱く優しい人間性が全編から感じ取れ、終わる頃には静かな感動に襲われます。
役所広司の演技もすばらしい。

また一つ、幕末の面白さを学べた映画でした。

(トップ画像は松竹公式サイトより引用)

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