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「そうだったらいいのにな」と言いながら死んだように生きたくない

「10年早かったらなぁ」

事あるごとに、私がボヤいてきた台詞だ。
私の人生は10年遅れている。

人生における過ちは、できれば若い頃のほうがいい


前回書いた記事は思いのほか反響が大きかった。

人は無駄なことに時間や労力を費やして不意にしてしまうことが多いのだろう。私の場合はそれがパチンコ・パチスロであり、酒であり、ネトゲであったということだ…。

無駄と書きはしたが、厳密には無駄とは思っていない。
一度しかない人生の若かりし頃におかした過ちだと捉えている。
そして、若さゆえの過ちは、認めなければならないし、認めることでその後の人生は拓けていくものだと思う。


「認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを」これで20歳ですよ!(設定上)

一度やっているので、二度は同じ過ちはしない。

たとえば、今、仮に土日が暇だとして(もはや暇ってことも無いですが)若い頃にやらかしてしまったように、遊興に耽るということはない。
暇づぶしのつもりでネトゲに熱中したりもしない。
その先に何があったのかをもう知っているからだ(=そこには何もなかった)

それと、この種の失敗は40代~60代でやってしまう人も多く、そうすると結構ダメージも甚大なものになってしまう。
人生の中で何かしらの大ミスを冒してしまわないというのも、非常に珍しいのかもしれない。

人生の過ちはマイホーム・不動産という大きなお買い物とも連動する


私の人生は、2014年・40歳目前でに現職へ転職したことから激変している。
非正規雇用の明日をも知れぬ生活水準から、いわゆる「普通の暮らし」とやらの水準まで一気に戻ってきた。

もし、もしもよ、20代のうちに現職に転職できていたらどうだったろうか。
周囲の弊社職員のように、私もマイホームを買えていたかもしれない。
終身雇用・年功序列前提のJTC的な弊社では僻地勤務の後、利便性の高い地域にマイホームを構えるのが割とセオリーなのだ。

今子供が少しづつ大きくなってきて、中高生生活も視野に入ってきはじめている。
引越は息子が中学生になるタイミングで、と思っている。
単純に部屋数が足りなくなりそうだからだ。

オートロックや広い浴室でちょっとお家賃の高い今の住まいには、「物件買いませんか」的なチラシがよくポスティングされる。
つまり、ライフプランニング的にも多分そういうルートはアリなのだ。

だけど、現在、地方に不動産を持つリスクは高い。買った時点から地価は下がり、ウワモノ(建物)は減価償却の対象だ。
ほとんどの場合、簿価上の資産価値は目減りするので買ったと同時に損することになる。
まぁ、知らない人に家賃を払う位ならば、という視点もある。
自己所有の物件でなければ得られない喜びもあるだろう。

しかし。今のペースで人口減少が進んだ場合、下手なところに物件を建ててしまうと死活問題にも直結しかねない。
例えば、公共交通機関が無いとか、医療機関が遠いとか、買い物する店舗に自力で行けないとか、そういう類の死活問題だ。

それに加えて、物件がないことによる心理的自由度ったら、ないと思う。
住宅ローンを抱えていては、会社を辞める選択肢が事実上ないかもしれない。

ここ数年、ずっと職場の人間関係に悩まされてきた私にとって、住宅ローンを組んでいない、マイホームが無いというのは非常に大きな救いだったと思う。また、他拠点生活を志向するようになっている今、マイホームが無いので極論どこにでも引越はできるし、県外に本拠地を移すことだって可能だ。

いざという際の最終手段をジョーカーとして握っておくのも悪くない。(ただし資産というエースを持たないことも同時に意味している)

あと、私の家族環境で言えば先代が頑張ってくれたおかげで不動産がいくつかある。
なので、自分が自己所有で不動産を持つことよりも、これを目減りさせずに次の世代へバトンタッチする事こそが氷河期世代に産まれてしまった私の使命であると心得ている。
親ガチャだとか、ヒエラルキーとかっていうのは原則1代でどうにかなるようなものではない。何世代もかけて引き継がれていくべき遺産なのだ。

今、年老いてきた親を見ていて思う。
彼らの目が黒いうちには、不動産に関しては徹底的にディフェンシブでいい。

現職で10回目の春を迎える


さて、非正規雇用から現職への転職をしたのちに9年経過した。
明日2024年4月1日から10年目を迎える。

転職成功時に思い描いた未来はきているだろうか?
正直言ってほど遠い。

あの時の。なにもかもが楽しかった、期待感しかなかった日々はどこに行ったのやら。ヒットメーカー、プロデューサーとしての担当からは離れて久しい。

事業者さん方とも色々あった。
色々あったということは、半分は私が悪いということも頭では理解している。そういうものだという付き合い方をしてあげられなかったことは確かなのだ。

パワハラ被害、人間関係に悩み、精神を病んで休職。
この間、人事評価は下がる一方。

収入にも影響してきて、昨年は逆に一定のラインを下回ってしまった。

せめて資格のひとつでも取っていればとも思うが、忙しさにかまけてしまい取るべきも取っていない。

昇進試験は色々と大人の事情があって出来レースで話にならなかった。
(だったらやるなよ、というのが正直な気持ち)

なにもよくはない。

正直なところ、仕事に対して、やる気を失っている部分もある。
組織の論理を前にして、言いたくはないけれど「どうせ」とつい口にしてしまうことが増えた。

退屈な会社員を退屈なままに過ごしていく。波風を立てない。
自分にできることを、自分にできる範囲でやっていく。
失点を防ぎ、計算ができる昇給幅を重ねていくだけ。

それもアリかもしれないね、という諦観も出てこないわけでもない。
受け入れることで、定年までの逃げ切り戦略にシフトするのだろう。
従来の社会構造ならばそれでもよかった。

「あと10年はやかったらね」といいながら死にたくない


明日から、また同じように、10年がくるのだろう。
この10年が頑張ったはずなのにイマイチなのと同じような微妙な気持ちで59歳の春を迎えることになれば、「私の人生って何だったのかな」ってなってしまう。
生ぬるい春の風を感じながら、「それが人生ってものさ」とても乾いた薄ら笑いでもしているのだろうか。
なんとしても回避しなければならない最悪のシナリオだと思う。

いま、しっかりしないとならない。10年後にこの感覚では人生そのものに後悔しかない。

当たり前に次の10年が来るような書きぶりをしたが、これも誤り。
私が敬愛してやまなかったBUCK-TICKのボーカリスト、櫻井敦司は57歳の若さでステージ上で急逝した。
同時代のミュージシャンであるX-JAPANのベーシスト、HEATHは病のため55歳で旅立った。
昨年この話題に私は直接触れられなかったのは、私が「下手したら残された時間はあと10年無いのか」という衝撃を語ることができなかったからだ。

同ジャンルのミュージシャンでいえば、LUNASEAの河村隆一は癌にかかり、そこから復帰してきた。
もう、ちょっと先の年齢の方々の中から、そういう事もあったりするようになってきたのだ。

私が現職に転職後の9年間を経て、なぜこうも虚しさがあるのか。
認めたくはないが、会社組織とギョーカイという狭い中での立身出世しか見えていなかったからだ。
仕事がうまくいくことで、誰かからの評価が付いて回り、いつしかそれが当たり前になり、評価を求めるようになっていた。
本来の順番は逆だ。
本来の順番を理解していたはずなのに、いつの間にか、承認欲求や見栄が行動原則になっていたことは否めない。

40代は人生を実りある、いい色合いの作品に仕上げていくための重要な時間なのに、私は見てくれだけを気にして金銀の絵の具を巻き散らしていただけにすぎない。

会社に残るのか、巣立つのか、それはわからない。巣立てばいいってものじゃないことくらいはもう理解している。
反面、しがみつき逃げきり戦略はもうかなり厳しくなってきた感はある。

ただもうハッキリしている。
「あと10年早かったらね」とはもう言わない生き方をする。

次の10年を改めなければ、棺桶に入るときも「あと10年早かったらね」と言いながら荼毘にふす人生の終わり方になるかもしれない。
そういう恐怖がある。

そのためには、明日、新年度の4月1日から、閑職と思わず、基本を大事にして、当たり前のことをちゃんとやる日々を過ごしていく。

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