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短編230.『作家生活23』〜タイミング篇〜

 トランペットの音の終わらせ方について悩んでいる。

 息を止めれば即、音も切れる。ジャン=リュック・ゴダールの劇中音楽みたいに。当たり前だ。

 ギターは弦振動が止まるまで自然にフェードアウトしてくが、空気がそのまま音となるトランペットの場合、残響はその場所やホールの構造に頼るしかない。

 下手が故に、なんだかとても尻切れトンボに聴こえてしまう。

「フェードアウトさせるには唇の振動を残しながら、そのままの音程で音量だけ小さくしていく高等技術が必要だ」と人は言う。「それならば、吹き切れ」と。

 ーーー吹き切る。それはとてもハードボイルドな響きだ。別れた女にずるずるとすがるような女々しい男みたいに終わらせる訳にはいかない。

          *

 私は缶ビールを直接飲んだ。普段はバカラのグラスに注いで飲むのだが、先日から見当たらない。あの薩摩おごじょが記念に持っていったのだろうか。だとすれば、性悪説を支持する私の失態だ。

 飲まなきゃやってられない。新担当はロボAIで、私が賞を獲れる確率はゼロで、外は雨だ。まるで終末が一気に押し寄せてきたような現状、酒以外に何が私の心を紛らわせてくれるというのだろう。

 とりあえず棚から適当なレコードを取り出し、ターンテーブルに乗せる。JBLのスピーカーからは六十年代のアメリカンポップスが流れ始めた。こんなレコードを買った覚えはなかった。バカラのグラスとの等価交換なのかもしれない。何かが消えれば、何かが現れる。この世はシーソーのような働きで動いている。

 しかし、それは今の私が聴きたい音楽ではなかった。テンポも音量も全てが違っていた。その違和感は、拭い去り難き不穏な宿命を背負った粛清される三分前の革命兵士を連想させる。義務には忠実、しかし融通の効かない正義は時に命取りとなる。まぁ録音されたレコードにそこまで求めるのも違うってハナシなのだけれど。

 人はデスメタルを聴きたい時にレゲエを聴くことはないし、ユーロビートに浸りたい時にブルーズの泥沼に足を突き込む者はいない。

 JBを聴きたい時はスライじゃないし、スヌープ・ドッグを聴きたい時にN.W.Aをターンテーブルに乗せることはない。テイストは似ていても、そこに刻まれたシグネチャーには明確な違いがある。
 
 全ての物事には適切なタイミングが存在する。それを外してしまうのはKY以上野暮未満だ。

 ーーー今聴くべきはこの音楽。今読むべきなのはこの本。今飲むべきはこの酒(しかも、コレでなくあのグラスで)。

 そこからのズレは自分の中のメトロノームを狂わせる。ズレた間の悪さはブラック・ビスケッツに詳しい。

          *

 そんな訳で今日は筆を置くことにする。夏の終わりはいつだって寂しい。




#小説家 #作家生活 #小説 #短編小説 #エッセイ

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