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短編111.『国士無双』

 それはまだ私が激烈な国粋主義者だった頃の話だ。

 界隈では有名な、ある大物に呼び出しを喰らった。憂国の想いを語り合うのかもしれないし、勢い任せに突っ走る私を咎める為かもしれない。

 どちらにせよ、気が重かった。

          *

 帝国ホテルのロビーは混雑していた。まだ指定された時間の三十分も前だというのに、その男はもうそこにいて数本の煙草が灰皿に残っていた。珈琲カップは既に空であり、わざとらしく退屈そうな様子でメニューなどを見ている。あと一時間早く来るべきだった。自らの朝の弱さを悔いた。

「右翼って着物を着てるものだと思ってたよ」
 三揃いのスーツに身を包んだ老人に若造風情が生意気なクチを利けば、どうなるのかは火を見るよりも明らかだった。これは賭けだった。
「年寄りってのは朝が早いな。いつもだったらまだ寝てる時間だ」
 立て続けに口を継ぎながら、老人の正面の椅子に座る。

「早起きは三文の得、と昔から言うからね。それに健康にも良い」
 大物の余裕、といったところか。こちらの虚勢など意に介さず、老人はウェイターを呼び出し、エスプレッソを二杯頼んだ。恭しくウェイターが去ると「君に、とある仕事を頼みたい」と言った。

「私のところの若い者と組んで”こと”にあたってもらう」
 隣のテーブルに座った同い年くらいの男がこちらに会釈をする。虎の威を借る狐、といった様相。気に入らなかった。
「賞賛も批判もそれを俺は一人で味わいたいんだ。だから、あんたやあんたの部下と手を組むことはない」
 老人は微笑んだ。拍手すら、する勢いだった。
「私は気骨のある若者は好きだよ。勿論、報酬は弾ませてもらう」
 もう既に話は進んでいる、断るという選択肢は君には無い。柔らかな口調の裏に、そのような強引さがあった。

 運ばれてきたエスプレッソは二つとも老人の前に置かれた。私は水を飲んだ。
「それはボランティアと呼ばれる」と老人は言った。
「ボランティア?まるで左翼の好みそうな言葉だね」
「口を慎め」と隣のテーブルの男が言った。身体はこちらに向けず、目線すら外されていた。
「良いんだよ、高橋。彼は私が呼んだゲストだ」鷹揚な中に冷徹さを内包させた声。高橋と呼ばれた男は小さく、申し訳ありません、と言った。とりあえず彼への哀悼の意を示す為、中指を立てておいた。

「仕事の内容は」と老人は言った。「浮浪者への食事の提供、つまり炊き出しだ」
「俺はキリスト教じゃないぜ?」
「構わんし、信仰は問わん。何も『神道がベストである』とは思っていない。そもそも神道にもそんな教えはない」
 老人は小指を立ててエスプレッソを飲んだ。この西洋かぶれが本当にかの有名な国士なのだろうか?身なりからも言動からも信じることは出来なかった。

「で、食事を配りながら、浮浪者の中からテロリストとして使えそうな奴をピックアップすりゃいいのかい?要人爆殺に使えそうな奴を」
 私は二本の指先を使って、何かを摘む仕草をした。その手の上に老人の左手が重なった。
「何もしなくていい」小指が欠損していた。「ただ食事を配るだけだ」
「そんなことで国が良くなるとは到底思えない。甘えた人間を肥すだけじゃないか」
「いつ誰にだって這い上がれるチャンスはある。もしその気力さえなくても温かい飯は食える。それこそが良い国だとは思わないかね」
 それが右翼として数々の修羅場を生き抜いてきた老人の辿り着いた国家観なのだろう。私には随分と生ぬるく感じられた。
「道楽だよ、道楽。そんなもん、単なるお為ごかしだ」
「金持ちの道楽、と言われようと我々がやるしかないんだよ」老人は立ち上がった。「貧乏人には生活があるからね」

          *

 私は今、ホームレス支援NPOの代表をしている。老人が鬼籍に入って、もう随分と久しい。あの一度限りの邂逅の折に何の呪縛を掛けられたのか、私は国士として熾烈に死ぬこともなく、日々のうのうと食事作りに勤しんでいる。



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