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短編312.『オーバー阿佐ヶ谷』12

12.

 十三階の1314号室に無事、荷物を届け下に降りると、私の原付を二人の制服警官が取り囲んでいた。恐るることはなかった。所持していなければ捕まることもない。1314号室が今日最後の配達だった。
 ジャイロ付き三輪原付のボックスの横には『野菜直送便』のロゴが印刷されている。これで産直の新鮮、というよりは乾燥させた野菜を運ぶ簡単なお仕事だ。

 ーーー今日は合計十三件のデリバリーだった。愛好家はなかなか多いものだ。多ければ多いだけ私の出来高も上がる。お互いにとって得しかない。アメリカ辺りじゃ多くのセレブが参入しているビッグビジネスだっていうのに、法の壁に阻まれた日本じゃ未だにイリーガルビジネス。野菜に罪はない。あるとすれば富への抜け道。

 私はゆっくりと原付に近づいた。ハリウッド俳優がレッドカーペットを歩くみたいに。手は振らなかった。生憎、そこまでのサービス精神は持ち合わせていない。

「このバイクの所有者さん?ボックスを開けてもらってもいいかな?」と警官の一人が言った。もうこれ以上の昇進は望めそうにもない中年だった。
「オーケー」私は素直かつ恭しくボックスを開けた。ボックスの中は折り畳んだコンテナが二個あるだけだった。
「なんだ空っぽじゃないか」
「そうっすね。今配達終わったところですから」努めてにこやかに話した。

 先程まで二つのコンテナ一杯に積まれていた野菜は今ごろ客の手元で煙になって消費されていることだろう。野菜の調理方法は詰めるか巻くか、はたまたボングするか。一番好みの方法で摂取すれば良い。所詮、健康に良いこと尽くめの嗜好品の花形なんだ。

「なんか変なもの積んでないかなー、と思ってさ」
「やだなぁ。野菜しか積んでませんよ」
「ホラ、”野菜”って”アレ”の隠語じゃん?」と中年の警官が馴れ馴れしく肩を叩いてきた。
「”アレ”とは?」
 一瞬だけその場に緊張が走った。
「まぁいいや。それじゃさ、顧客リスト、いや、今日の配達のルート表みたいなのがあれば確認させてもらえない?」
「それは個人情報だし、そもそも頭の中に地図が入ってるからそんなものは無いっすよ」
「そうかー。とりあえず免許証だけでも拝見するね。ちょっと、その前にーーー」警官がもう一人の若い警官に目配せをした。
「じゃあ身体検査だけすいません」若い警官が近づいてきた。

 私は両腕を上げた。無骨な手が私の身体を無遠慮に触っていく。胸元、胴回り、足首から上がって尻ポケット周辺を執拗に撫でられた。
「すごい三つ編みだね。女の子みたいだ」と言いながら股の間を弄(まさぐ)ってきた。鼻息が荒かった。
 私は”Fuck Fuckin’ Faggot.”、と呟いた。
「なに?」
「”職務ご苦労様です”って言ったんだよ。気にしないでくれ」

 私が痴漢の憂き目に遭っている間、中年の警官は私の財布を調べていた。
「お兄さん、すごいお金持ちじゃない」
「月初の集金があっただけですよ、お巡りさん」
 中年警官はカードの束から免許証を引き抜き、その小さな瞳に近づけたり遠ざけたりしながら眺めた。偽造かどうか調べているのかもしれないし、単に目のピントの問題かもしれない。数十秒を要して、どうにかちょうど良い距離感が定まったらしい。うん、歳は取りたくないものだ。
「へぇ、ーーーーさんね」
「止めろよ。本名で呼ぶんじゃねぇよ」
「なんで?芸能人の人?」
 私は何も言わなかった。答える義務も無かった。
「普段は何やってる人なの?これが本業?」
 警官が一つ質問し出すとこちらが答えるまで続けるのは何故だろう。期待した餌を貰えなかった犬のように付き纏ってくる。
「まさか。配達に一生を賭けるつもりはないっすよ。もう行っていいかな?」私は後ろのボックスを閉め、原付に跨って駐車ロックを下ろした。「まぁ何というか、アーティストだね」結果的に捨て台詞のようになってしまった。
「へぇ。すごいね。サイン貰っとこうかな」
 警官二人は顔を見合わせて、下卑た笑みを交わした。軽い乾杯、みたいに。

 何も見つからない以上、ここで足止めされている理由もなかった。私はヘルメットを被り、セルを回した。エンジンのアイドリングに混ざるように、警官の舌打ちが聞こえた。



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