「い」 因縁

さて、前回から始めた五十音noteですが
2回目の今回は「い」ということで
ご応募いただいた「い」たちの中から
五十音note実行委員会(通称GNJ)が
厳選なる協議の上、選んだことばは


因縁です。


という事で、今回は「因縁」をテーマに
書いていこうと思います。


因縁というとわたしは言いがかりという
割と不穏なニュアンスで捉えてましたが
調べてみると他にも

定まった運命。宿命。

という意味合いがあるそうです。


わたしは人が生まれてから終焉を迎えるまでに
必ず通らなければならない場面が
生を受けた時点で予め決められているものだと
常々、思っています。
そこに辿り着く過程での選択肢は様々あれど
何を選ぶかは、さほど大した事ではなくて
結局、どの選択肢を選んで進んでも
何れは予め決められてた場面に辿り着くように
シナリオが用意されてるのだと思っています。
それが所謂、因縁というものの様な気がします。


そんなわたしの因縁の1つが
マイノリティであることです。


わたしは以前

光浦靖子さんの寄稿「留学の話」を読んだ
わたしが思うこと

で触れた通り
幼少期からホモとしての自覚がありながら
最近になってホモとして活動し始めました。
自覚がありながら何故に、とうに旬を過ぎてしまった
いわゆる遅咲きというタイミングで活動を
始める事になったのかは様々な要因があるのですが
なら、どうして端から活動をしなかったのかというと
それは誤解を恐れずに言うなれば


わたしはずっと「普通」に憧れてたから。


ここでいう「普通」とはマジョリティという意味合いで
わたしは、よく人から変わってると言われる事が多く
わたしにしてみれば普通な事が意図せず
他人には変わって捉えられる事がもの凄く嫌でした。
変わってるって言われたくてそういう事してると
揶揄された事もありました。
だから、わたしは多分誰よりも
「普通」であることに執着していたように思います。
そして、ホモという自分のセクシャリティが
受け入れられないというよりは
マイノリティである自分が許せなく
ホモというセクシャリティはわたしにとって
邪魔な存在でしかなかったのです。

皆が〇〇になりたいと将来の夢を抱くのと
同じ感覚で、わたしは普通になりたかった。
誰からも変わっているなんて言われずに
絶対的多数から排除されない人になりたかった。
だからわたしは、なりたい自分になる為に
ホモとしての人生を選ばず普通の人生を選んだのです。

でも結局は遠回りをして何十年も経った今になって
ホモというマイノリティの因縁に引き寄せられ
こうしてホモとしての人生を歩んでいます。

普通の人生を選んだ選択は間違ってたのかと
言われると全くそうは思っていません。
それは、たまたまかもしれないけれど
普通の人生の中にわたしのもう1つ通らなければ
ならなかった因縁が存在していたからです。

当時は、あんなに「普通」であること
絶対的多数に属することに固執していたけれど
結局、普通の人生を選んでも
わたしにはセクシャリティだけでなく
常に様々なマイノリティがつきまとっていて
逃れられない星のもとに居るのだと
この歳になってやっと受け入れられる
心のゆとりがちょっぴり備わったような気がします。

そして今も他人には到底、理解し難い人生を
それなりに楽しく生きてます。


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