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「エモい」がエモい

気づいたら、「エモい」という言葉が生まれていた。
語源は諸説あるようだけれど、どうやら"emotional"から来ているらしい。そうすると、意味はなんとなく「感動的な」とか「心が揺さぶられる」とかそんな感じなのだろう。

日本語話者としてある程度の語彙は知っているつもりだが、それでも知らないうちに新しい言葉が生まれている、というのは端的に言ってとても面白い。新しい言葉は往々にして若い人の中から生まれてくるので、なんだか言葉自体にエネルギーがあるような気がする。

ただ、残念ながら使いどころが未だによく分からない。「ヤバい」と意味が重複する部分もありそうだが、「ヤバい」ではなくわざわざ「エモい」を使うのだから、そこにはやはり何か違いがあるはずだ。「エモい」という新たな感情までもが生まれているのだとしたら、それこそとてもエモいのではなかろうか。

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バイオリニスト五嶋龍氏のコンサートに行ってきた(何を隠そう、彼と私は同い年なのだ…!)。彼の音楽に耳を傾けながら、「ああ、きっとこんな時に『エモい』を使うのかな…」などとぼんやりと思ったのだ。繊細で、大胆で、技巧的。全身で音楽を奏でる。きっと、音楽家はスポーツ選手と同じように身体を鍛える必要があるのだろう。

パンフレットに記載されたプロフィールを読んでいたら、「日本語・英語・フランス語・中国語が堪能」と書いてある。なんと、まぁ。日本語・英語はともかく、フランス語と中国語まで!
私が尊敬するのは音楽と語学に堪能な方なので、彼もまた、その一人ということだ。

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数年前、初めて長崎を訪れた。所用があったのと、長崎で働いている友人に会うためだ。前の職場での仲の良い同期の一人が長崎市出身だったこともあり、ぜひ一度訪れてみたかった。
「思案橋」という駅名が哲学的で素敵だなぁ、と思っていたら、友人が教えてくれた。「これ、この先にあった遊郭に行くか行くまいかここで思案したからこの名前が付いたんだよ。」…今から思えば、とてもエモい由来だ。
そして、「日本で唯一の本格的中国様式の霊廟」とされている孔子廟。これこそ、「エモい」の真骨頂。訪れる人も多くなくひっそりとしていたが、それもまた魅力を引き立てていた。御茶ノ水の孔子廟(湯島聖堂)も荘厳な感じがして良いが、長崎の孔子廟はまさに中国そのもの。裏手には立派な「中国歴代博物館」もあり、飽きることがない。長崎だからこその空間だろう。

書いていたら、また長崎に行きたくなってきた。思い出深い長崎である。

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