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要領の悪さ代表


先月迎えた誕生日にたくさんもらったスタバのチケットを、一種の義務感のように使いまくってる。もう少し上手い使い方があるのだろうけど、私はそういう人だ。要領が悪い。
それに加えて、今現在抱えているものが多すぎる。夏休みが近づいているということは期末が始まることと同義なのは共通認識。今期はレポートよりもテストの授業が多くて、レポートらぶの私にとって辛い週間になるだろう。極めつけには、インターン2社分のES締め切りがこの世界線に同席している。ちなみにこちらは初めてのESのため、右も左もわからず頭を抱えているのが現状。私要領悪いんだって。



別に忙しいアピールがしたいわけじゃない。明らかに忙しい人よりも余裕のある生活の方が、幾分か私は幸せだと感じるから。こういうとき「暇と退屈の倫理学」のことを思い出すけど、難しすぎるし未だに理解しきれてない部分があるから、ぜひ読んでもらいたい。長い長い哲学の海です。
私の性格的に何かに追われているより、何かを追っているときの方が精神的に安定できる。”本番”にもっぱら弱く、自分でも気づけないぐらいのストレスが身体の不調として顕著に現れる。不眠になって毎日2時間睡眠だったけど学校に行かなきゃだから行く。けど、周りはどうもすることができないから、担任の先生も「ココア飲みな」としか言えてなかった。こちらとしては、一世一代の大ピンチだった。他にも、よく躓くなと思ったら関節が曲がらなくなってて病院に行き、ギプス生活を経験した。ストレスで神経もやられるんだと面食らった。
どうしてこんなになるまで気づけないのか不思議でたまらない。



要領の悪さは、なにも計画性がないからというわけじゃない。私の場合は、中途半端にできない、手を抜くことができないことから生まれる要領の悪さだと思う。わかりやすく言えば、毎日授業に出席して単位を取る人と、休んでもいい最大限の回数を駆使して単位を取る人。どちらが要領が良いかは、何を軸にするかで変わってくるけど、やることが多いなら圧倒的後者だと思う。
私は、中途半端にするくらいならやらない方がマシだと思ってしまう。なのに、好奇心旺盛でいろんなことに手を出して一杯一杯になってるのが端から見たら滑稽かも。そんな姿を見て母はとうに呆れている。



スケジュール帳をば!っと開き、頭をフル回転させた。そのときのBGMはガリレオだと思ってもらいたい。期末の日程、レポートとESの締め切りから逆算して、優先順位を編み出した。まず取りかかるべきものはESだという解だった。
そこで取りかかってみたものの、やっぱり一つ一つの質問に真摯に向き合いすぎてる。これこそ半端にしては絶対通らないとは思うけど、時間をかけすぎては効率があまりにも悪すぎる。幸先が不安でしかない。質問一つに対して、「会社側は私の何をいちばん知りたいのか」「質問の意図はなんなのか」を考えて、自分の中にある回答を言語化する。質問1つに1時間かけてしまった。アメトークに要領の悪い芸人ならぬ学生verがあれば、テレビで観ていたあそこに座れそう。



要領の悪い人は、得をすることが稀有ではあるけど、幸のきっかけは掴みやすいと個人的には思ってる。そこまで頑張ってないけど手に入れられたという”お得感”がないのは、本気で取り組んでるから当たり前。そうじゃなくて、失敗したときには”悔しさ”があって、成功したときには”達成感”がある。そして、その姿を見た周りの人たちは応援してくれたり、自分が周りを鼓舞するような存在になってたりする。他の人よりも多くの感情に出会える経験を積み重ねることができることは、とても素敵なことなんじゃないかと思う。
どちらが良い悪いとかじゃない。だけど、自分の弱さやコンプレックスは考えれば考えるほど、存外、多くの物事を私に運んでいる気がしてくる。





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