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掬うように救うから


大学三年目にしてようやく、授業終わりに友達とどこかへ寄り道をすることの楽しさを知った。もとから遊ぶ仲だったけど、ゼミが一緒になってより長い時間過ごすようになった子と、ゼミで初めて仲良くなった子。この二人は、そそくさ家に帰ってしまう引き籠もりの私を外界に引き出してくれる貴重な友達。いつもありがとね。



誘われれば予定がない限り、基本出かけに行く性格ではあるけど、自分から誘うのはなかなか気が乗らない。考えすぎてしまうこの脳みそのせいだ。私が誘っても大丈夫だろうか、嫌だと思わないだろうか、とごちゃごちゃ脳内会議をしていたら疲れて「もういいや」ってなるのがいつものオチ。
今までの人生を振り返って、誘われた経験も乏しいということが寂寥として心に沁みる。



私が「この人がいれば場が盛り上がる」と言われるような陽キャじゃないのはわかりきってて、誘われる人は大抵そういう人だから。誰かとどこかに行ってたわいない話をしたり遊んだりしたいのは普遍的な欲。誘われないなら誘えばいいじゃないかのスタンスでうまくその欲を消化していた。大学生になるまでは。



いざ、大学へ入ってみると新天地だったのもあって人間関係も打って変わったように思う。私を誘ってくれる人がいるから。寝る直前だったのに終電で飲み会に参加したり深夜から朝までカラオケで歌いまくったりドライブで夕焼けを見に行ったり。
どこまでも新しい場所に連れて行って、瞼に焼き付くような景色を見せてくれる。私にそうしてくれる人に性別とかフル無視して、人間としてどこまでも惹かれていくような気がした。




今読んでいる本にあった言葉がきっかけで、こんなことを考えていたわけだけど、ちょっと共有させてね。


人は人を救えない。でも、場所は人を救える。

青羽悠 「22歳の扉」


初めてこの言葉を見たとき、人に期待して信用したけど裏切られてしまった人の言葉のように思った。でも違ってたかもしれない。
人は人を救えないけど、救いたい人を心が満たされるどこか、足りない何かを埋めてくれる人がいるどこかへ連れて行ったなら、その場所が救ってくれる。救うための道を用意してあげることはできるのだと。



まだ本は読み終えてないから、この言葉の真相なんてわからないし、真相なんて大層なものないかもしれない。けど、冷たい言葉なんかじゃないと思えたときには心がほっと温まった。私はたくさんの道を用意してもらったし、きっとこれからも少しずついろんな人と出会って、また違った道も用意してもらうのかもしれない。
あなたを救ってくれた場所はどこだろう。
今度は私が救う準備しておくね。




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