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一人に慣れた人の末路


それは、嫌われものの月曜日のことだった。
今日は午後から授業だったけど、新しく始めるバイトの面接に行くために9時過ぎには家を出た。ちなみに、バイトはこれで4つ目になる。ついでに言うと、これは1年間のうちに刻んできた記録である。これを見て、バイトが長続きしてないと思うかは人によって違うと思うけど、周りを見渡す限り私はすぐに心が折れてしまう人間らしい。



だいたい3ヶ月経つ頃には、ポキっと音が聞こえてくる。この音からきっと私の心はポッキー並みに細く折れやすいのかもしれない。ただこのお菓子は企業努力によって生み出された咀嚼音。
私の心はなんの努力も詰まってないから勘違いも甚だしい。



そういえば、カップルの倦怠期は3の倍数の周期でやってくるという持論を力説する男がいた。「俺の場合は3ヶ月で少しモヤッとするところが出てきて、6ヶ月で別れた」とか言ってたなーとふと思い出す。彼の持論に当てはめると、私がバイトを長く続けられないのはバイトとの倦怠期がやってきていると言えるのか。確かに、今までバイトは3ヶ月で辞めてきた。
バカらしいと思えた彼の持論は、思わぬところで腑に落ちてしまったのが謎の悔しさを残す。



そんなことを考えながら面接に向かい、無事終えることができた。飲食経験しかなかったから、今回初めて飲食以外の職種に応募してみた。
とりあえず、月曜日前半戦お疲れの意味を含めて食堂で早めのお昼をとることにした。今日は一人でゆっくりご飯を食べても、授業まで時間があるだろうから本でも読もうと僅かに心を揺さぶってた。



おぼんを持った状態で、有り余る席からどこでいただこうかしらなどと高貴な気分になっていたら、手を振っている人が片目に写った。そこには私しかいないのだから、辺りを見渡して「え、私かな?」となる暇さえなく、真っ先にその人の方を見た。そこには、友達が満面の笑みで私の名前を呼びながら大きく手を振っていた。友達は一人でお昼を食べていたらしく、同じく一人でいた私を偶然見かけてお昼を食べようと声をかけてくれた。



私はそのとき、

「一人で過ごそうかと思ったけど、喋らんといけんのか」

と思ってしまった。(断じて口には出してない)
お互い一人でお昼を食べてて、偶然友達を見つけたなら一緒に食べようとなる流れは多くの人が普通のことだと受け入れられると思う。だからこそ、あんな思考回路になったことに驚愕し、自分が怖くてたまらなくなった。



言い訳ではないけど、その子とはいわゆる大学でしか関わらないような”友達”だった。顔見知りとか知り合いといった言葉ほど距離は遠くないけど、友達と言えるほどでもない(遊びに行ったことがない)関係性。
話すのが嫌だったとか、あんまりよく思ってないとかでは決してなかった。




ただ、”一人の時間”と”人といる時間”のどちらに価値を置いていたかに私とその子で相違があっただけなのだと。この価値は時と場合と人により常に変動するものだと思う。



すべてが偶然でしかなかったのだ。



ここでは何も誰も悪くない。
この結論が出ただけでその日の夜はぐっすり眠れた。




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