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何があってもお腹はすくし眠くなる


掴み所はないのに、しっかりと”ここ”に存在している人間って知れば知るほど面白いなと思うことがある。本を読んで客観的に人間の素性を知ることができるし、実際に自分が人との関わりの中で人間味を露わにして主観的に実感することができる。わかったつもりになっていても、まだわからないことだらけで少々混乱する日々を送っている今日この頃。




食に人並み以上には関心がある私は、お腹がすくと何かを途中で止めてでもお腹の中に落とし込みたくなる。お腹の内側から、静寂の中で鳴ると恥ずかしい空腹音が響くと「ちゃんと人間だ。良かった」と脳で反芻している。



これは空腹のときだけに限らない。
何もないのに無性に泣きたくなる夜に流した涙、苦手な人と話して別れた後の帰り道でつくため息、神髄まで染み渡る大好きな音楽、これ全部に触れたときもまた、「ちゃんと人間だ。良かった」が繰り返す。



ずっと不思議で仕方がなかった。人間なのは当たり前なのに、何を理由に自分が人間であることを無意識的に言い聞かせているのか。答えが知りたくて、でもとりとめもない程に抽象的で概念的にしか説明がつかない。もたつかせながら、なんとか言葉にして友達に話してみた。



”ポトン”と音が鳴るように腑に落ちた。答えが見つかった。人間であることを言い聞かせる時は大抵、自分の中にある善し悪しの両者含む人間性が現われたとき、考える前に感情や心、体が突き動かされたとき、生きるために必要な"当たり前"が起きたときだった。



多分、暗い部分の人間味から目を背けて、自分が底に落ちないようにこの言葉をかけていたんだと思う。人間だから人のことは嫌いになるし愚痴も言う、逆も然りで嫌われることだって余裕である。ここで一度、「人間なんだな」と自覚。そんなことを思い思われる自分が嫌になるけど、それに関係なくお腹はすくし眠くなる。ここで二度目、「やっぱり人間だよね」と自覚。




この言葉には魔法の力があるらしい。
どんな自分だって感情だって受け止めて、抱きしめることができる。それらが全て、その言葉一つで正当化されることで安心を生むことだったできるんだもん。原因→理由→結果の理由部分が明快になって良かった。伝えてみて良かった。私は私を守ることができるぐらいには強くなれたんだって思えた。
その日の帰り道は自然と顔が上を向き、綺麗な月が覗いていた。


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