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力走でありついた狭間の花火


久しく日記を書いていなかったなと思って、ここ最近の出来事を気ままに語ってみる。日記を書いていないと言っても、マイブックという本に日記のようなものは綴ってる。日付だけが書いてある365ページ分の本。ちゃんと毎日続けられてるってだけで「私やるやん」と思わせてくれる。
一日の内容が1ページにも満たないことも収まりきらないこともある。けど、その日に何をしたかを羅列するよりもどんなことを考えたかを思い返して書いていくと、1ページには絶対に収まりきらない。"ちゃんと”日記を書くって案外難しいんだよなー。



土曜日。大学3年になって何故か全休を作れなかった私は週休2日のサラリーマンみたく金曜が終わったことを心から歓迎した。
だがしかし大雨暴風。友達と夕方から遊びに行く予定はあったものの気分下降。大好きな本を読むにもアニメ見るにもご飯食べるにも陰鬱な空気を纏っているようだった。床と同化しそうなくらい墜ちるとこまで墜ちそうで、遊びに外へ出るのも億劫で「予定なくならないかな」とか考えてしまうほどだった。ほんと最低。



なんとか外に足を踏み出して、雨風に気圧されないよう目的地へ行って友達と合流した。友達と会ってすぐ、今日はすごく病んでたみたいなことを話してるとそんなことどうでもよくなった。とりとめのないことを話して笑ってたら陰鬱な気持ちなんて忘れた。友達ってすごい。
小規模だけど屋台がたくさん並ぶ祭りがあるとのことで夜ご飯を調達しに行った。焼きそば、チョコバナナ、たこ焼き、唐揚げ…茶色ばっかりのラインナップではあるけど最高のチョイス。夏の始まりを目の当たりにできたのは屋台のおかげだけじゃなかった。



同日、花火が打ち上げられる祭りもあった。私たちが行った祭りのところから歩いて40分。行けないわけではないけど、打ち上げ時間まであと15分だった。でも、なんとしてでも見たかった私たちは雨の中走った。「小雨ならもう雨が止んだのと同じだ!」なんて言ってなりふり構わず走った。
こんなに走ったのいつぶりだろうとふいに思った。大学生は一部を除いて体育の授業はないしサークルに入ってなければ運動ゼロの生活もあり得る。走るのがこんなに気持ちいいってどうして気づかなかったんだろう。
多分、走るというより、それなりに年を重ねてきたのに本気にならないでいいところに力を注いでいることが気持ちよかったのかもな。



遠くの方で聞こえていた花火の音に興奮しつつ、私たちはまだまだ走った。音が近づくにつれて疲労が蓄積していったところをお互い鼓舞しながら、それでも走った。
花火終了まであと10分。花火の片鱗でもいいから見たいんだ!という思いが最高潮に達しようとしていたとき、ビルの上に花火の花の部分がちらついて見えた。それを見た瞬間、私たちはきゃーきゃー叫びながら飛び跳ねた。幸い住宅街じゃないところでよかった。近所迷惑で通報されるところだった。



ここまで来たら花火の全貌も見たいという欲深さが私たちの魂に火を付けた。
そして、また走った。でも、悲しいことに花火はもう少しで終わってしまう。それでも諦めきれず、近くにあった歩道橋からなら見えるかもと、年季のある錆び付いた歩道橋に最後の希望を委ねた。目の前にはビルが立ち並んでいた。花火終わったかもと肩を揺らしながら呼吸を整えていると、目の前に無数の光が散った。金色のような、でもほんの少し赤とオレンジを混ぜたような色の花が咲いた後、追いかけるようにしてドンという音が心臓に響いた。



ビルとビルの狭間から見えた花火だった。クライマックスだったらしく、大量に打ち上げられた花火がたまたま見えたのかもしれない。
"花火を見たい" ただそれだけで雨の中を死に物狂いで走った私たちは、スマホなんかじゃなくてこの目に焼き付けてやろうと必死になっていた。花火が終わるとそれまで一言も発さず花火を見ていた私たちは、顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。



ちなみに、屋台で買った茶色いご飯たちを食べずに花火を目がけて走っていたことに気づいて、手に提げていたビニール袋を恐る恐る覗くとお察しの通りの光景が広がっていた。こちらも盛大に散ってしまった。
心の底からこれほど充実した日を過ごしたのは久方だった。ましてや、一日の始まりが最悪だったことを考えると富士急のFUJIYAMAもびっくりする急降下、急旋回、急上昇の展開だ。




あの日は、青春の刹那だったと真顔で言っても笑わないでね。




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