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21歳になった


年齢を重ねていけばいくほど、誕生日がきて欲しくないと思う人が増えていくけど、私は全くその逆だ。誕生日は何歳になっても嬉しい。
嬉しいのは、プレゼントを貰えるからとか祝ってもらえるからとかじゃない。考え方の根本に、「次の瞬間死ぬかもしれない」と思って今を生きているから。こんなことを言うと、大抵の人は私を白けた目で見るか、嘲笑するか、怒りを見せる。



中学生のとき、部活が一緒で仲良くしてくれる子がいた(Aちゃんとする)。Aちゃんの家庭は、裕福とは言えないけど生活に困るほどではなかったと思う。詳しいことは聞いてないからわからないけど、我慢が必要な生活ではあったのかもしれない。私はありがたいことに、生活に困ることはない暮らしだった。それを自覚してはなかったけど、そんな空気が私から出ていたのかもしれない。Aちゃんはいつも私に、「○○ちゃんはいいもんね」と言っていた。



ある時、Aちゃんが私に、「生まれる家は決められない。いいよね○○ちゃんは当たりで」と言ってきた。私の家は別にお金持ちでも何でもないし、私ではなくて親の頑張りがすごいだけだと思っていた。うちの家ははずれでそっちの家は当たりみたいな言い方をされたことに腹が立ったし、やっぱり私の考えの根底はあれだった。
「今、私たちの知らないところで親も家もなくて飢えてる人もいるのになんでそんなこと言うの」と言い返した。Aちゃんに私が偽善者として映ったのは言うまでもない。「そんな極論言わないでよ。今、ここにいる私たちの話じゃん。それ関係ないでしょ」と怒らせてしまった。



今でもあの時のことを、ふと思い出す。
私の口から出たあの言葉は決して嘘ではなかった。もし私がお金に困る家に生まれていたらAちゃんみたいに言っていたのか。自分の生まれを憎み、境遇を受け入れられないのか。どれだけ想像してもわからなかった。というよりも、こうありたいという自分の理想像ではなくなってしまうのが容易に想像できたから、考えたくもなかったというのが本音だった。



あの時私は、Aちゃんになんて声をかけたらよかったのだろうと今でも思う。自分の信念に嘘はつきたくないけど、それが人を傷つけるようなら言葉にするのは躊躇われる。きっとあの時の私たちは、まだ幼くて、見えている世界が小さすぎた。自分や家族、友達がいつどこでどうやって死を迎えるかわからないこと、思ってたより多くの幸せの形と種類があることを知った今、ちゃんと成長してるんだなと感じる。



「次の瞬間死ぬかもしれない」と思って生きていると、確実にあるとは限らない将来のために行動できなくなってしまうし、気を抜いてしまえば簡単に頭から抜け落ちてしまう生き方だと思う。後悔はしたくないなんて言うけど、死んだら後悔すら感じないだろうし、じゃあなんのためにそんな面倒くさい考え方持ってるの?と聞かれるかもしれない。
答えはたった一つで、”あなたには私がいて、私にはあなたがいるよ”という証明をしたいだけ。



死を身近に感じると、お世話になった人や大切な人にいつもよりずっと素直な言葉をかけるようになると思う。
「ありがとう」「大好きだよ」「会えて嬉しい」
素直な言葉は勿体ぶって言う必要なんてないし、場面を気にすることはない。ギャップとかツンデレとか余計な邪念は振り払って、そう思ったときにそのまま口に出してもいい言葉はあると思う。



死ぬのが怖くないなんて大嘘で、一生ソクラテスの無知の知は理解できないけど、素直な気持ちを飾らない言葉で伝えることは守り抜きたい。数多の人が「次の瞬間死ぬかもしれない」という生き方を馬鹿にしてきても、この生き方で誰かの心を救うことができるなら、私は「生きててよかった」と思えるに違いない。
そんなことを思い出した誕生日、21歳を迎えた。生きててよかったと思わせてくれた人たちからのお祝いで胸がいっぱいの一日だった。





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