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母の一言


「人生、勉強だけじゃないからねー😊」


あえて軽快な口調と愛らしい絵文字を使って送ってきてくれたこの文章には、母からの愛と心配が滲み出てるように感じた。



私には弟が2人いる。一番下の弟が中学に入学して初めての定期試験が、最近終わった。全く勉強をしないでギリギリに課題だけ終わらせて挑んだことに、半分とれたら良い方だと私たちは見込んでいた。テストが返され、その結果を母がLINEで教えてくれた。思いの外、7割以上とれていたことに家族みんなが面食らった。



もう1人の弟は、地頭が良く、少し勉強すれば上位にいけてしまうタイプ。私は、地頭が良くなく、努力をしてやっとのことで上位にしがみつけるタイプ。そして一番下の弟は、本番に強いなんとかなっちゃうタイプ。
「これからどうなるかはわからないけどね、安心した」と母はメッセージを送ってきた。私は、「一番辛い姉」と返信した。結果が同じでも、そこに辿り着くまでの辛さと苦しさは私のようなタイプが比にならないほど感じざるを得ないことからの反発だった。今思えば、そんなこと考えたってしょうがない。



私の返信を見て、母からしたら兄弟間の中で格差をつけて対応したくないと思っていたようだった。私たち兄弟には、勉学という面に関しては各々タイプがまるっきり違っている。
私は、最も自分が出来損ないだと感じた。そしてそれを母にそれとなく伝えるメッセージ。なんでも言える関係性なのが、唯一のストレスコントロールで私の救いになってる。
だからこそ、この一言からいろいろ感じられた。母は自分の教育に不安を抱いてしまったかもしれないし、勉強だけじゃなくて人としての優しさがあなたにはあると本音で伝えてくれたのかもしれない。



親と子という関係性は常々不思議だと感じる。
家庭によって全くその色は異なっていて、自分が普通だと思っていたものは、隣を覗くと普通じゃなかったり、案外平均以上でもあったりする。その反面、親子という呪縛にもなりうる。だから不思議だ。
母は私をどういう思いで育てているのか、兄弟という関係性にどんな配慮をしているのか、どんな生き方を私たちにして欲しいのか、望んでいるのか。気になるとこはたくさんあって、偉大と思っていた母にも膨大な不安と責任があるのかもしれないと感じることもある。


「成長した子どもが、大人になってから親の子育てを肯定できるか」

噛みあわない会話と、ある過去について/辻村深月



最近読んだ本の一文に深く納得した。子育ての正解とは、の話の流れで出てきた一文。肯定できなければ親にはきっと感謝の念が湧いてこず、縁なんて切ってしまえと反抗的になる。逆に、肯定できてしまえば、結婚したときには涙を流して「ありがとう」と言うような場面を経験することになるのかもしれない。



今まで何も考えてなかった、考えようともしてなかった母の言動も、今では、母にもいろいろあるのかもしれない、あったのかもしれないと思うようになった。
私は反抗期がなかった分、親と良好な関係のままだ。裏を返せば、本音でぶつかり合ったことがないとも言える。そこに多少の不安を感じながらも、私は母の一言で今日も救われている。





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