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第19回「TARRYTOWNの面白さ」~創作ノート~TARRYTOWNが上演されるまで

こんにちは!ミュージカル「TARRYTOWN」の翻訳・演出の中原和樹です。

前回の作品振り返りはいかがだったでしょうか。
少しずつ「TARRYTOWN」の創作ノートを続けていますが、公演を終えた作品のことをこうして考えたり振り返り続けることもなかなかないので、ふと考えました。

どうして自分にとって「TARRYTOWN」は特別なのだろう?

創作ノートの序盤の方で、海外のミュージカル作品を探した結果、偶然にも「TARRYTOWN」に出会ったことを書きました。

この記事の中でも「TARRYTOWN」を上演しようと思った理由を少し述べているのですが、これは【上演する前】に、主に楽曲面・あらすじ面での魅力を書いたものです。

【上演を終えた】いま、改めて「TARRYTOWN」の魅力とは何だろうということを書いてみようと思います。



誤解を恐れずに言えば、一番先に思いつくのは「小さな規模だからこそ出来る密度を持っている」ということかもしれません。

「TARRYTOWN」という作品は、オン・ブロードウェイミュージカルと呼ばれるような、大劇場で上演されるミュージカルではありません。
初演もアメリカのカリフォルニア州、サンディエゴのDiversionary Theatre’s Black Box Theatreという小さな劇場で行われています。

興行としても成り立たせる企画・事業としての条件があるからだと思いますが、日本で上演される海外のミュージカル作品は、どうしても大規模なものに限られてきます。

上演権を獲得して、翻訳し、様々な権利関係をクリアし・・・など、海外の作品を持って来るのは並大抵ではありません。

特に権利関係は本当に入り組んでいて(僕も詳しいわけではありませんが)、その準備期間となると、かなり長い間になるものです。

それでも良い作品・海外のトップクラスの作品を日本で上演し、人々が海外に行くことなく(かつ日本語で)見る事が出来るというのはとてつもなく素晴らしいことだと思います。


その前提の上で、小さな規模・小さなプロダクションでも良いミュージカルというのはたくさんありますし、同じ「ミュージカル」という枠組の中だとしても、創り方や目指すものが違うように思います。

それはきっと、演劇において、大きな劇場に掛かるもの(作品)と小劇場と呼ばれるもの(作品)が違う形式であると言っても良いように、
またダンスにおいても、ソロ作品を小さなアトリエで発表することと、大劇場で群舞をきっちりと見せることが違うように、です。


優劣ではなく、違いです。

大規模なミュージカルは、出演者の多さやセット・衣裳の豪華さ、それに伴う展開のダイナミックさなど、心を揺れ動かす波が大きく大きく届いてきます。それはまさしく劇的な体験であると思います。

それに対して、小さな規模のミュージカルとして出来ること・目指せるものは何か。

「TARRYTOWN」は、その問いに対する一種の回答である作品だと思います。それが上記した「密度」です。



「TARRYTOWN」はストーリー展開を持っている作品であるとは言い難く、場面の切り替わりもダイナミックではありません。

劇中に出てくる場所もTARRYTOWNの路上、学校の中、登場人物のブロムとカトリーナの家の中など、僕たちの生活からほど遠いものではありません(文化の違いはありますが)。

物語中の出来事も、大きな事件がたくさん起きたり、山あり谷ありといった出来事が多数用意されているわけでもありません。


そんな当たり前の景色を背景に、ぱっと見では小さなさざ波に見える出来事の中で、登場人物の三人、イカボッド・ブロム・カトリーナの人間関係が少しずつ変化し、その変化が三人の人生を変えていく様が描かれています。しかも、その人生の変化の様子も、劇的なものとは言えないかもしれません。

ただし、この三人の小さな変化は、当人たちにとっては大きなものです。それこそ、登場人物三人ともに、人生で一番悩んでいる瞬間でもあるように思えます。

これは、あらすじや文字情報だとすごく伝えづらいものです。

文字情報にすると零れ落ちてしまうような、人間としての繊細な機微・変化が作品の核となっているからです。

そしてこれこそが、小さな規模でやる作品の魅力でもあり「TARRYTOWN」の密度でもあるなぁと思います。

まるでその登場人物たちの「そば」で、「近く」で、「隣」で、その人物たちの葛藤、苦しみ、喜び、矛盾を感じながら、体感しながら、イカボッド・ブロム・カトリーナの三人が紡ぐ人間関係の糸の中に巻き込まれるような、それこそ迷いの森の中に誘われていくような、そういった「重力」がこの作品にはあり、僕がこの作品を好きな理由です。

しかも、その「重力」をつくるドラマを、重たすぎず、軽快に、ポップに、時に面白く、時に切なく運んでくれる多彩な楽曲たち。

このバランスがたまらないのです。笑


大規模なミュージカルで味わえるようなカタルシスとは違うかもしれませんが、こうした体験を出来る小さなミュージカルも見れる選択肢があるということは、文化としても大きなことだと感じます。

オリジナルミュージカルもたくさん作られている中で、ミュージカルと言えば「派手」「豪華」「楽しい・ハッピー」だけではなく、本当に色々なものを表現出来る媒体であり、芸術形態であるということ、その上でより多種多彩な作品が存在するといいなぁという願いも含めて、「TARRYTOWN」は僕にとって特別な作品だと、改めて思いました。



今回もお読みいただきありがとうございます。
次回はまた演出編に少し戻り、書いていこうと思います。

中原和樹

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