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「エンドレス・ポエトリー」の所感と知人の感想

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アレハンドロ・ホドロフスキー監督の最新作「エンドレス・ポエトリー」のDVD販売、各種レンタルが開始された。
この映画は監督の自伝的映画であり、前作「リアリティのダンス」の続編となっている。
私は劇場公開の際に映画館で観たのだが、今回改めてDVDで鑑賞した。また勧めた知人からの感想が届いたためそちらに対して感じたことをまとめる。

①「映像作品としてのエネルギー」

この映画は世間にある他の映画とは一線を画す。全体的に色彩に溢れ、演出は過激、過剰とも呼べるものばかりだ。
これが監督の「マジックリアリズム」とも呼ばれる作風である。
そしてこの色彩は無機質で退屈な情景描写においてはモノクロに近い簡素なものであることに対し、エネルギーや生命力などで満たされるときにはこれでもかとサイケデリックな色彩を見せつけてくる。
また登場人物の台詞回しも詩的で難解なものばかりだ。その根底には感情の爆発、禅の思想、未来への啓示など様々なものがあり。それらを抽象的でありながら象徴的に描き出すセンスにはただただ脱帽するばかりだ。

基本的にはこれらによって作品全体に散りばめられたメッセージやエネルギーをストレートに押し付けてくる。
鑑賞後の余韻は尋常じゃない。ぜひとも前作と合わせて観てほしいし、あと3作制作するとのことなので個人的には非常に待ち遠しい。

②「作品に満たされたメッセージ」

この作品は抽象的でありながらメッセージ性は強いものであると感じた。
作中では若かりし日のホドロフスキーにたいし90歳手前の監督自身が登場し自分に語りかけるシーンがある。
本人の自伝的作品であるため、自分自身の悩みや未来へ対し助言していくのだが、これは1つのメッセージとしてはまとめきれないと感じた。
自らを貫く大切さ、生きること、感性とは等々。これらはぜひ実際に観て、感じて欲しい。
個人的には監督が自らに語りかける「生きろ」というメッセージが強いと思った。
死を恐れ、未来に絶望しようとも世界に答えなどない。自らは死して生まれ、その答えを知りながら生きているはずだ。心ではきっと分かっているはずだ「生きるだけだ、生きろ!!」
一見ありきたりなメッセージかも知れないが、監督の言葉、そしてこの映画のメッセージであれば不思議とすんなりと染み渡る。
まだ鑑賞していない人はどのような感想を持つだろうか。様々な感想があってしかるべきなので是非とも各々で作品中に散りばめられたメッセージを拾ってみて欲しい。

③「知人から寄せられた感想」

レンタルも開始されたので知人にこの映画を勧めたのだが、知人から簡単に感想が寄せられた。
それについて少し考えてみたい。

当然のことながら感想は人それぞれ。知人の感想を貶したり否定する意図はない。

知人の感想は以下の通り

「正直なことを言えば私はリカルドが選んだ道の方が理解できる。
でも映画内では否定的だったしリカルドはその後が一切描かれない、つまりなかったことにされた。死を選んだ人間は退場して消えて存在すらやがて忘れ去られると言う意味なのかとすら思った。「負け」たから。

でも好きな人に拒否されて、その好きな人がたまたま同性で、最初から最後までどこにも居場所を見出せないままそれでも生き続けろなんて私は言えない。
リカルドは勇気を出さなかったわけじゃない
アレハンドロはたまたまうまく転がっただけ
リカルドはそうならなかっただけ
だから片方は生きる答えにたどり着いて片方は死ぬ答えにたどり着いた。

それだけ。

アレハンドロになりたかったら、それこそ依存先を増やせってなるのかもしれないけど、彼の人生も私には幸せそうには見えなかった。
彼はどうなのか知らないけど。
彼はどこへいっても必要とはされていたけど、どこへいっても道化だった。
アレハンドロ側の思考にたどり着ける人はきっと誰かに必要とされてる人だと思う。」

個人的にはめちゃくちゃ面白い意見だと思った。知人には怒られるかもしれないけど。

レールの上を歩くことを拒んだリカルドとアレハンドロ。
その点では2人は同等の決意を持って歩き出したはずだ。しかし結果は正反対でリカルドは自死を選んだ。
行きたくない建築学校の目の前で首を吊った。

正直なところ私が初めて鑑賞した際にはリカルドの死をあまりしっかりと受け止めていなかった。ストーリーを追うことや他のシーンに思考を巡らせていたためだ。

さて、知人は生と死でこの2人を分割し、リカルドの方への同情を寄せたようだ。

私はどうかと改めてこのシーン周辺を観てみたのだが、これはアレハンドロとリカルドの対比はあるのだが、その根底にある精神は全く同じものであると感じた。そしてそれはリカルドを否定するものではない。

彼はアレハンドロと同様にアーティストに囲まれ敷かれたレールの上を歩む人生は嫌だと感じていた。そして自己の開放を試みてカルメン(バレリーナ)に相談する。「仮面を脱ぎたい」と。
そして同性愛者であることを告白しアレハンドロから拒絶されるわけだが、アレハンドロは父親から同性愛者への偏見を押し付けられながら育っているため強迫観念はなかなか強いようでリカルドを振った後に「僕はオカマじゃない!!」と一人はしゃいでいた。

その後シーンは変わりリカルドの自殺へと進むのだが、カルメンは同性愛者であることを知ったときにリカルドを褒めるように笑顔で抱きしめた。
彼が同性愛者として生きることを咎めるものは(アーティストコミュニティにおいては)いなかったのだ。
アレハンドロもキスは受け入れたし、その後なんの感情もわかなかったことで「僕は同性愛者じゃなかったんだ」と自覚するわけだし、リカルドが所属しようとしていた世界は少なくとも彼を拒絶しなかった。

ではなぜ彼は死ぬことになったのだろう。

知人のいうように失恋したこともある。世界から拒絶されたような気分になっただろう。
でもおそらくはもっと大きなものが背景にあるのではないかと感じた。
彼はカルメンに「仮面を脱ぎたい」と言った。自分を生きたいという意味の暗喩だ。
そして同性愛者であることに関してはアレハンドロに打ち明けて玉砕するのだが、それ以外はどうだろう。
異性愛者として生きることは嫌だと仮面を脱いだわけだが、それ以外は?

彼が死んだのは行きたくないといっていた建築系の大学前だ。
彼は建築系の大学へ行き女性と結婚するのだと敷かれたレールに絶望していた。そして同性愛を打ち明けた後もこのレールに関しては言及していない。つまり(おそらくは)リカルドは「敷かれたレールに戻った」のだ。
そしてそのレールの上で描かれる未来予想図に絶望して首を吊った。
リカルドは自己の開放を成し遂げぬまま絶望して自殺をした。ここにはアレハンドロとは絶対的に違う行動がある。彼は仮面を一度外してみたが、結局はまたかぶってしまったのだ。

「彼が死んだのは奥に秘めた魂に語りかけなかったせいだ。
 僕は君を映すだけの鏡になりたくない。自分を取り戻したい」

アレハンドロはステラとの関係に疑問を感じていたこともあり、リカルドの遺体を見たシーンは「自分を失うのは死ぬも同然である」という意味合いもあるのだろう。

さて、この件でリカルドに救いはあるのだろうか、という話だが
明確な救いの描写はない、のでなんとなく感じるしかない。
リカルドはまた仮面をかぶってしまい死んだ。アレハンドロのセリフと合わせると「魂に従って生きるべきだったんだ」という話になる。
そして他人に依存的だったリカルドは他人に依存したときに自己を他人に投影する傾向にあった。それに関してもアレハンドロは「僕はそうなりたくない(そうなるべきでない)」と語った。
これはリカルドに「死ぬ以外の未来」があったことも暗示しているのではないかと感じた。
未来のアレハンドロは自分に語る。
「頭は質問するが心は答えを知っている」
「詩に身を投じ後悔していない」
「幸せに死にたい」
「自分を生きるのは罪じゃない」
「意味などない。生きるだけだ。生きろ!」

レールの上を歩むなリカルド
それは罪ではない
と語りかけるようでもある。

私はどうしてもリカルドを敗残者として片付けているようには見えなかった。


最後に
知人の話ではつまりはアレハンドロは「強者」であり賛同しかねる。といった話だったと思う(多分)
リカルドは酷い扱い受けてなくね?みたいな話は先述したが、アレハンドロは強者でありたまたまうまくいっただけ
という意見に関しては

違うだろおおおおおおおおおお??
こんなにも苦悩して挫折してそれでも自分の道を歩もうとしてるのに「たまたま」あああああああああああああああああああああああああああ????

もういっぺん映画観ろ!!!!!

とだけ書いておく(実際はこれ以上文章を書くのがめんどくさくなっただけである)

というわけでアレハンドロ・ホドロフスキー監督の最新作「エンドレス・ポエトリー」
ぜひ観ていただきたい。

また現在Indiegogoにて次回作のためのクラウドファンディングを実施中だ。
興味がある方は支援してみるといいだろう。
リンクは下記
現在制作中の映画「Psychomagic, an art to heal」のCFページ

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