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最後の一本の話

タバコにはマッチで火をつけるのが好きだった


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20歳を過ぎてから吸い始めたタバコ。
もう5年近く吸い続けていることになる。
タバコにはマッチで火をつけるのが好きで、一口目の少し火薬くさい香りが楽しみだった。

銘柄は固定しないタイプだ。
どこか趣味としてタバコを吸っていたからか、いろいろな銘柄の香りを楽しんでいたかった。
先端に火をつけてからできるだけゆっくり吸う。煙を鼻に通らせたときの「あぁこの銘柄はこんな香りなのか」という楽しみは非常に有意義な体験で、コンビニにある銘柄を網羅しても専門店へ行って新しい物を吸ってみたいと思わせた。

タバコの専門店へ行って見たことのない銘柄を買ってみる。
たまに大失敗だと思うほど相性の悪い銘柄と巡り会うのだがそれもまた一興として楽しかった。
正直ブラインドテストをされたら当てられる自信はない。けれどその一時だけの「なるほど」これが良い。

同じ銘柄を延々と吸う人を悪く思っていたわけではないが、当時の僕としてはそれがどこか「趣味」ではなく「生活習慣」へと近づいていくようでなんとなくいやだった。

しかしそんな日々を送っていた僕は、社会人になって地方で就職して以降、その趣味をだんだんと廃れさせていった。


仕事に忙殺され、また勤務時間が固定なので喫煙可能な時間も限られる。
休憩時間にふらっと喫煙室に行っては先輩たちと談笑して、せわしなく灰皿へタバコを押しつけて業務へ戻る。
その頃、火は100円ライターになっていたしタバコの銘柄は安いからと「WEST」で固定になっていた。

専門店が近くにないというのもある。新しい物を探す気力もない。もはや「趣味」としての喫煙はどこかへいっていた。
漠然と拒否感を抱いていた「生活習慣」がそこにあって、そしてそれに対して何の疑問もなく受け入れている自分が虚しく思えた。


まだ「趣味」だった頃、それでもよく吸っていた銘柄がある。
「FLOYD」という変わった銘柄で、フィルターの性能が非常に高く、すっきりとした香りの中にほのかな甘さがあるタバコだ。
甘さもメイプルシロップなどのようなしっとりした甘さではなくリンゴのような爽やかな甘さだ。

この銘柄は都市圏の大きな専門店くらいでしか扱っていなくて、地方ではまず手に入らない。
自然と吸わない、吸えない状況になっていた。

そんなFLOYDの記憶がぼんやりとしてきたある日、つい最近のことだが
「通販で取り扱っていないだろうか」
そう思って探してみた。

どこも売り切れ状態で、はっきりとは分からないがどうやらもう輸入していないようだ(FLOYDはウルグアイのタバコ)
だが何軒か巡ってみてやっと見つけた。
当時吸っていた6mgのFLOYD。

もう吸えなくなるかもなと思いながら注文してみた。

数日して手元に届いた。
あの頃とはパッケージデザインが異なっていたが確かにあのFLOYDだった。

このためにマッチを用意した。
1本取りだして火をつける。
すっと鼻に通してみるととても身に覚えのある香りがした。
それと同時にぶわっと全身に鳥肌が立った。

人の記憶は五感と結びつくらしい。
その音を聞いていた時、その景色を見ていた時、それを触っていた時など。
同じ体験をするとそれを体験した過去の記憶が呼び起こされるのだ。

その時まさに僕は呼び起こされた記憶に飲まれそうになっていた。
全身に鳥肌が立ち、心臓が締めつけられるようで少しだけ鼓動が早くなった。
頭に血が巡る。顔が火照るような感覚がある。
深い高揚感、充足感のようなものを感じる。
もしかしたらタバコのせいかもしれない。だがその時の僕は確かに記憶が呼び起こされていて、その記憶によってこのような状態になっているのだと思った。

不思議なことにその記憶というものははっきりとした輪郭をもたなかった。
ただ漠然と「あの頃」の記憶だと、それだけがわかる。
気持ちだけがじんわりとあふれてきて、明確な記憶がないからか、上手に受け止めることもできずボロボロとこぼれてきた。

一人で抱えきれないほどにあふれてきたそのとき、なぜだか僕は泣いていた。
記憶と同様に泣いた理由もぼんやりとしていて、悲しいわけではないのにキリキリと胸が痛んだ。
煙も吸い込めないほどに、何かでいっぱいだった。

まずいことをしたと思った。
きっとこのようなことをするべきではなかったのだと思った。

このタバコは、この香りは、この煙は
マッチとともに「あの頃」へ置いてきたらよかったのだと思った。

記憶は、思い出はいつでも補正がかかって優しいものだ。
ただ思い出されることのなかったそれはふいに姿を現した途端に良くも悪くもトゲを持つ。
優しさでも十分人は傷つく。


トゲのある優しい思い出をかみしめるほどに、涙の止め方も分からなくなり
今からでも遅くはないのだと思った僕は
なにもかもを「あの頃」へ閉じ込めるように、置いていくようにと
まだ長さのあるタバコの火を消してからは

もうタバコを吸うことはなくなった



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