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【神(?)】

Taroです。2回目の投稿です。自己紹介代わりの初投稿読んでない方は是非こちらまで。↓


少し遅くなったけど2021年を振り返ってみると、色々なことがあった年だったと気付かされる。

つまらん部活を辞めた。UEFA EURO 2020でイタリアが優勝した。バッハの話が長かった。たくさん検温した。来年から働く会社が決まった。初めてメイド喫茶に行った。ジャルジャルの単独ライブに行った。ランジャタイが最下位を取った。しっかりとシフトを入れて真っ当にバイトをした。etc...


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そして、2022年が始まった。4月から幸運なことに就職できることになり、憂鬱な一年になることは間違いない。
1月1日、いつものようにお昼に父方の祖母の家に集まりお節を食べ、夜は母方の祖父母の家で寿司を食べた。今年大学受験を控えている妹は夜の集まりには参加しなかった。高校にも大学にも推薦入試で合格した僕にとっては寿司よりも勉強を取るなんて考えられない事で、勉強に追われついに頭が狂ってしまったのかとも思ったが、大学入試とは想像以上に厳しい戦いらしい。

是非とも頑張って欲しいものだが、色んな人を見てきて、良い大学に入ったからと言って立派な人間になれる訳ではないので、行く大学に関わらず自分を高められるような場所や人のもとで精一杯楽しんで欲しい、とそんなに良い大学に行けず、精一杯楽しめなかった兄は思う。

翌1月2日、朝5時に起きて妹の合格祈願も兼ねて三社参りへ。自堕落な大学生なので普段は9時くらいに起きる事が殆どなため、自分でも引くほど機嫌が悪かったのだが、大学入試は想像以上に厳しいのだということを思い出し、行きの車の後部座席で自分を律した。

「寿司よりも勉強を選ぶほど熱中しているのなら、神(?)に祈るよりこの時間も勉強した方が良いんじゃないか」という言葉は頭の奥の方にしまい、毅然とした態度で神社を参る。全国的にも有名な太宰府天満宮でも朝6時だと流石にそこまで混雑しておらず、人混みや行列が大の苦手の僕は安堵していたが、それでもやはり人は多い。

そしてこれは毎年思うことだが、何を祈ればいいのか、はたまた一体これは誰に対して祈っているのか分からないのである。
何もお祈りしないのも何となく悔しいので「上司にいじめられませんように」という必要最低限の祈りだけ捧げておいた。でももし入社して上司にいじめられたとしても、神(?)を恨む事はないと思うし、こんなお祈りをしたことを思い出す事もないだろう。


家族が御守りやら何やらを買っている間に1人で参拝客を観察していると、所謂「ヤンキー」と言うべき容姿の4、5人組の1人が「俺お守り買いたい、買いいこーや!」と言って、彼らは列に並んだ。「お前が何から身を守るんや、てかそんなイカつい格好しとるんやから自分の身くらい自分で守れや」とも思ったが、純粋無垢に神(?)が自分の身を守ってくれることを確信しているようなその男が少し羨ましかった。

恐らく「お盆にお墓参りをして年末にはクリスマスを祝う日本人」の代表格筆頭のような男たちだったが、僕だって子供の頃はクリスマスもハロウィンも祝ってたし、今日参拝に来ている大人達でもそんなカオスな宗教観を持つ人は多いだろう。

日本人は身近に神(?)の存在を感じたり頼ったりすることは少ないだろうに、正月だけこんなに人が押しかけて一気に自分の願いやら何やらを一方的にぶつけられて、神(?)側も戸惑ってるし、全ての願いを処理しきれないんじゃないかと思う。だから僕は仕事での成功とかを祈るのは烏滸がましいと感じて、「上司にいじめられませんように」という必要最低限の祈りにした。

帰り際にふと本殿の方を見てみると、あの男達が大層熱心に何かを祈っていた。「総理大臣になれますように」とでも祈っているのかな。
いや、多分あいつらはあいつらなりに大切な人がいて、その人たちをいつまでも守って下さいとか、そんなあいつらなりの必要最低限のことを祈ってるんだろう。だってヤンキーって根は優しい人が多いって言うし。ヤンキーの友達おらんから知らんけど。



※宗教とかには全く詳しくないし詳しくなる気もないんで仏教マニアの人とかもしいたらクレームはお断りします。マジレスしないでください。🙏🏻

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