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僕と焼鳥屋さん

今日は久しぶりに、焼鳥を焼きました。
大学時代に、焼鳥屋でアルバイトをしていて、仕込みで串打ちをずっとしていたのです。
皆さんの前で披露することはないのですが、実は得意料理の一つ。

今日は美味しそうな鶏のせせりが近所のスーパーで売っていたので、久しぶりに串打ちから仕込んで、作ってみようと思いました。
こんな感じで、串打ちをするんです。


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時間がなかったので、手前の方はかなり荒っぽく仕込みましたが、きちんと仕込むのはお手のもの。
「小料理屋をしたい」と言うのは常々思ってます。占いcafeをやってるぐらいですし。

それはさておき、私もいくつかアルバイトを経験して来ましたが、焼鳥屋でアルバイトをしたことは今でもかなり記憶に残っていて、大切な時間でした。

私がアルバイトをしていた焼鳥屋さんは、オープンしたてのお店でした。
店に居たのは、10歳年上の店長と、4つ上のお姉さんと、1つ年下の専門学校の女の子。

この時の私は、朝からたまに大学に行き、昼からパチンコをしてから焼鳥屋へ。
そして、夕方から深夜まで焼鳥屋でアルバイト。
我ながら体力があったものだと、今更ながらに思います。

このお店で、私は商売の流れついてきっちりと学びました。
実家のお好み焼屋さんでは、あまり聞ける状態ではなかったので、しっかり学べたのはこのお店だったように思います。
飲食店の方と話をある程度話を合わせることが出来るのは、この経験が大きいなと私は思っています。

店長からは、経営についての話や儲け話についてよく聞かされました。
お姉さんからは、いくつかの料理のレシピ、そして人に対しての接し方を教わりました。
専門学校の女の子とはシフトの関係上、あまり会うことはなかったのですが、接客が上手いなっていつも思いながら接してた記憶があります。

店長は焼き場、お姉さんは他の料理を担当、私と専門学校の女の子がホール。完全に役割分担されていました。

私はそのうち、ホール係だけではなく、揚げ物係にも任命されるようになりました。
また、焼き場にもつかせてもらうことも多くなり、店長からいくつか指導を受けて上手になり、店でもかなり重宝されるようになりました。

プライベートでも、店長とお姉さんとは、特によく遊びました。
三人でよくパチンコ屋にも行ったものです。
三人とも大当たりして、仕込みの時間が遅れたり、私が遅刻したりしたのは今でも良い思い出です。

キャンプなんかにも行きました。私が話す、夜の高野山のエピソードは、この時に生まれたものです。

本当に楽しい時間だったのですが、最終的には一年間、このお店で仕事をしました。
仕事をやめた理由はいくつかあるのですが、別のアルバイトを重要視することになったことが一番大きかったです。
そして「もう一店舗出す」と言う話になって、その店の店長に指名されそうになって、私が断って仕事をしにくくなった。
この二つが大きな理由でした。

お店を出て言った理由は他にもあるのですが、店長からたった一年で二号店の店長を任そうと考えられたのは、それだけ信頼してくれていたのかな。
そんな気もしています。

学んだ二人に対して、音沙汰もなく生きている私ではありますけど、二人に今も感謝の気持ちでいっぱいなのは事実。
いつかまた会うことがあれば、ありがとうって伝えたい。
今でも素直に、そう思ってます。

今日は、焼鳥を焼きながら、焼鳥屋時代のことを思い出したので、書いてみました。

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