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経済成長”秘密の裏技”があった!

『日銀の窓口指導』という言葉を聞いたことがあるだろうか?

日銀が銀行に窓口指導、読んだ通りなのだが、これは「各銀行が民間企業にどのくらい融資をするか?」という総額を指導するといったものでなく、もっと緻密で詳細なものであった....。

その結果、『80年代以前においては銀行の信用増がうまく制御されていた、というのがこれまでの研究で一般的な合意となっている』のである。

本記事は
日本における窓口指導と「バブル」の形成
 byリチャード・A・ヴェルナーの要約である。

現代ファイナンス No.5 1999年 3月
 >>こちらが当該論文リンク<<

興味を持った方はこの書評もご参考に。
 ■ヴェルナー「円の支配者」

『窓口指導』の要約

■市中銀行の融査に対する直接規制は非公式であり、法的根拠は存在せず、ほとんど秘密裡に行われてきた。
*自由な経済システムや市場メカニズムを指向する 日本の国際際公約と完全に整合しているとは言えない。そのため、日銀はこの活動を低く評価してきた。

■窓口指導の実態:
・四半期ごとに開催される「指導」会合と
・毎月、全銀行の相当者を対象として実施される「ヒアリング」
 によって構成されていた

■日銀の公式見解は「(窓口指導は)民間銀行の信用総額を規制するための手段であって、貸出の質的規制の手段ではない」

しかし...

■日銀が必要と考えれば、 日銀は業種間で信用割当を「指導」した。
例)サービス産業・輸入産業の割り当てを削減し、輸出光業を優先した
例)70年代後半には不動産向け融資を抑制した

*要は

質的要素=どこに金を貸すか?という意味での指導もあった。
経済におけるどの産業の融資をするか?産業政策の根本であった
(ということを否定できない;公的には否定してるからさ)

■基本的に機密扱いなので大蔵省の介入はなく、信用規制の意思決定は日銀営業局長であった。

銀行の信用創造の直接的規制はそもそも...

金融当局が銀行の信用創造総量の直接的規制を行う。そういう国も多い。
これは「信用統制」、「貸出天井」、「コルセット」、または「貸出増加額規制」とも呼ばれている。

つまり、量の規制だけなら「あること」のようですね。
でも、「質の規制」となると「自由経済じゃないじゃん!?」って話になる訳で。 だから「OECD加盟で廃止」とか「公式には廃止」、「秘密裡に...」となるんだと。

日本は戦後、大手都市銀行は中央銀行からの借入金に依存していました。そのため、日銀への依存度が強く、日銀が銀行を管理操作しやすい状況で、窓口指導の結果によっては、その割り当て総額を減らしたり、、、ということのようですね。

しかし、金融自由化の影響もあり、その効果が薄れ廃止された、ということのようです(公式見解では。信じていいのか...)

とにかくこの論文は必読ですよ。
日本における窓口指導と「バブル」の形成

最後に
日銀公式HP掲載、副総裁の言葉で~す。


日銀公式HP掲載:副総裁の講演会での内容を一部紹介します。

日銀公式窓口指導


歴史を振り返ると

42年頃、戦時経済体制において貸出増加額規制が日銀に導入
45年以降 「資金あっせん」の名前で継続された。
公式には廃止(58年) >>復活:信託、地方、相互銀行にも対象拡大(64年) >>公式には廃止(65年)
*日本がOECDに加盟する条件として、金融市場の規制緩和や直接規制の削減が求められたため*
復活:信用組合や農林中金も対象拡大(67年) >> 一時中断(68年) 
復活:銀行の証券投資への「指導」も合む(69年) >> 
日銀に口座持つ、信用創造できる全金融機関に拡大(73年) >> 
「事実上廃止」を示唆(75年) >>
自主計画方式ー日銀による事後認可ーを公表(77年)
>>「貸出増加量の上限を厳しく設定」として再び登場(78年) >>
「自主計画方式」が公式に廃止、「特に住宅ローンと土地関連の貸出の削減」を目指すと(79年)
80年 日銀はインパクトローンも窓口指導に含めるように検討したが、結果的には「毎月の窓口指導ヒアリングの際にインパクトローンの報告を受ける」だけに。


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