見出し画像

『毎日は変化の連続。』金融編①

歴史を学ぶと分かります。

毎日は変化の連続です。

『そんなことできっこないよ!』『理想ばっかり言って』
という批判はありがたく頂戴し、課題解決の難しさを実感しつつも

「どうやったら達成できるか?」前向きな姿勢は変える必要はないです。

だって、世の中、考えられないような変化しまくりなんだから。

『世の中、変わらない』って冷笑する方が無知なんです。

《66年》建設国債の発行が開始

建設国債の発行が開始。「60年償還ルール」あり。(*2021.4.20追記)

《71年》ドル=360円固定相場制から変動相場制へ(ドルの金兌換終了)

「ドルは金と交換できる」し「1$イコール360円の固定」という世界が変わる。

《75年》赤字国債(特例債)の発行が開始

特例法により発行される赤字国債の発行が開始。当初は赤字国債は満期が到来する昭和60年度までに全額償還し借換償還は行わないことを定めていた。つまり、「60年償還ルール」なしであった。(*2021.4.20追記)

《82年》通貨発行益のルール改定

「貨幣流通高の100%が貨幣回収準備資金に計上」ルールが改定され、83年度に10%、95年度以降は5%に。(*1)

《85年》赤字国債にも60年償還ルール適用

「特例公債依存体質からの脱却に努めるという目標の下に,今後,財政改革を具体的に進めていくためには,当面,特例公債の償還については,四条公債と同様のいわゆる60年償還ルールによることが現実的選択としてやむを得ないと考える」との財政制度審議会答申が出て、60年償還に。結果的に国債残高が増額となる。(*2021.4.20追記)

《91年》窓口指導の廃止

日本銀行は長年「民間銀行による個別の融資について窓口指導」することで、実質日本の貨幣量を調整し経済を仕切ってきた。
その伝家の宝刀「窓口指導」すらも終了することに。 詳しくは...
・「円の支配者」(リチャードヴェルナー)
・「1990 年代における金融政策運営について
  アーカイブ資料等からみた日本銀行の認識を中心に」(P13)

《91年》準備預金率が最後の変更(役割の終了)

日本銀行の57年準備預金制度を開始以降、政策委員会が金融政策決定会合において準備預金制度の準備率を変更し、金融の緩和、または引き締めをおこなってきた。 しかし、わが国をはじめ短期金融市場が発達した主要国では、そうした金融緩和・引締めの手段として準備預金制度は利用されておらず、1991年(平成3年)10月を最後に変更されていません
*1990年代以降、無担保コールレート(オーバーナイト物)が金融市場調節の主たる操作目標になっている。(*2)

《94年》預金金利の自由化

民間銀行、金利はどこも同じ。金利で自由競争なんてない時代がずっと続いてた。 でも、85年の大口定期預金導入以降、段階的に進めてきた預金金利自由化のプロセスが94年10 月 17 日に完了することに。

《99年》ゼロ金利政策

 2 月 16 日の総裁定例記者会見で「(略)ゼロ金利を目指すということか」という質問に対して、速水総裁が「ゼロでやっていけるならばゼロでもいいと思う」との回答を行い、「短期金利を実質『ゼロ金利』へ誘導」など報道されるようになった。

《01年》共通担保資金供給オペ

公開市場操作の手法の1つ。 民間の金融機関が保有する日銀適格担保(手形、CP、社債、国債など) を日本銀行に予め根担保として差し出し、日本銀行がこれを裏付けとして、手形買入オペを行う。2001年1月に日銀適格の手形や国債に限定されていたものが拡大された。

《02年》日銀 国債購入『1年ルール』を撤廃

67年に日銀が国債購入を始めた当初から「発行から1年以内の銘柄は買ってはいけない」という決まりがあった。そのことで『国債引き受けと区別するため』と説明されることも。
 それが、量的緩和政策を進める中で「直近の2銘柄を除けば発行1年以内の国債でも買える」と変更された。(建部論文*より)

《05年》国債の金利スワップ開始

国債に係る金利スワップ取引が開始される。
*固定金利と変動金利など相対でキャッシュ・フローを交換する金融契約
(*2021.4.20追記)

《06年》国債募集引受団(シ団)の廃止

日本の国債は当初より10年国債が中心で、10年国債は国債募集引受団(=シ団引受)によって発行・総額引き受けされてきた。これは世界に例を見ない日本固有の発行方式で、国債の安定消化のための組織として機能した反面、国債の競争入札制度の普及とともに形骸化していた。
 平成17年時点でこのシ団制度に参加していた主要な金融機関は1207機関にものぼった。その後、国債市場特別参加者制度(日本版プライマリー・ディーラー制度)の下で発行されるようになった。(*2021.4.20追記)

《08年》日銀当座預金超過準備への付利を開始

民間銀行が日本銀行にもつ口座は基本無利子だった。しかし、法律上最低限必要な金額以上ある分に利息をつけることを開始。これにより金融機関は日銀口座にお金を置いておくだけでノーリスクでお金が入ることに。(マイナス金利開始に伴い制度変更あるが付利は継続中)

《09年》国庫短期証券の統合、T-Bill発行へ

国庫短期証券とは、満期が1年以内の短期の割引国債である。
日本では、TB(Treasury Bills、割引短期国債)とFB(Financing Bills、政府短期証券)があったが、2009年2月に統合され、国庫短期証券(T-Bill)として一体的に発行されるようになった。(*2021.4.21追記)

《10年》基準外国為替相場が毎月改定へ

国の会計で外国為替を換算する基準は当初
 ・昭和24年:1ドル=360 円固定だったが改定が行われ
 ・昭和46年:1ドル=308円固定に
 ・昭和53年:直近半年間の相場を基に決定ー変動ーになってきた。
2010年(平成22年)からは「当該月の前々月中における実勢相場の平均値」に変更されることとなった。(*2021.4.29追記)

《13年》「日銀券ルール」の廃止

日本銀行のバランスシート上,長期国債の保有額は日銀券発行額を上限とすると定めた日本銀行の内部的ルール。当時の日銀は、これを主として「財政規律を保つため」「財政ファイナンスとみなされないようにするため」と説
明していた。しかし、積極的な国債買い入れを進めるために、ルール一時停止を2013年4月の金融政策決定会合で決めた。

《16年》マイナス金利の導入

金融機関が保有する日本銀行当座預金に▲0.1%のマイナス金利を適用する。
*ただし、実際はほんの一部となっている。


人類はここまで到達しているんだ。 夢は諦める必要ない。 space X 


ーー
*建部論文とは
商学論纂(中央大学)第55巻第3号(2014年3月) 597
国債問題と内生的貨幣供給理論」 建 部 正 義

この論文は中野剛志さんが「富国と強兵」でも引用されているものです。

*1(2021.2.11.追記)
「  政府紙幣発行の財政金融上の位置づけ
 ―実務的観点からの考察― 」
(PRI Discussion Paper Series)
by 大久保和正 2004.4.

*2(2021.4.5.追記)
主に日銀HPより。我が国で準備預金制度が開始したのは1957年「準備預金制度に関する法律」によるが、その実質的な運用は91年に終了。

*基準外国為替相場が毎月改定へ(2021.4.29追記)
 参考資料はこちら(P6)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?