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ミラクルミッション #11手形の回収

 「明日、田原町と廃校の現地視察をお願いしたい。
 今回はS商事の建設部門、広報部門の担当も同行するので、市役所の車の手配は不用です。なお、記録用の写真や映像も撮影したいのですが、大丈夫ですか」
 この頃になると、S商事からの話について、「無茶な日程・話」という感覚は全く麻痺しており、粛々と淡々と関係課へ連絡する。
 今回は、農政課、農業振興課、教育委員会総務課、公有資産課を参集させることとした(本格的なスタッフを連れてくるということは、かなり前向きな視察ということか)と、期待せずにはいられなかった。

 当日は、最悪とも言える土砂振りの天気であったが視察は決行され、S商事の広報班が撮影する記録用のカメラに緊張しながら、公有資産課 担当者が土地の詳細説明を行った。

 その後、近くの温泉宿で昼食を取りながら、前回視察に来た部長の質問と同じような内容ではあるが、実務者レベルでの踏み込んだ質疑応答も行われた。
 市側の回答が期待に応えられたかどうかは、ともかく、あらためて大きな山を越えた印象が残った。

 なお、この現地視察の際に、筆者の運転していた公用車がスタックして動けなくなり、田原支所の職員に救出していただいたことは、記録したくなかった出来事である。

 さて、日本の商慣習として「約束手形」という制度がある。
 契約代金の支払いをする際に、3ケ月、6ケ月、1年先など一定の期日を指定した「手形」とういう証書を振り出し、金融機関を介して相手に支払う制度である。
 言わば支払いの先延ばしであり、資金繰りが行いやすいという利点があるものの、期日に支払いができない場合は「不渡り」となり、1回で信用を大きく失い、その後の営業が不穏になり、2回目の「不渡り」を出すと銀行取引が停止し、実質的な倒産につながるという、諸刃の剣である。
 ちなみに、支払う意思や根拠がないのに、手形を発行することを「空手形」という。会社が末期の時や詐欺的な行為の時に行われることもあるらしい。

 大規模な現地視察の翌週、7月15日にS商事から電話があり、筆者が発行を続けていた「約束手形」の決済を行う必要にせまられた。

「正式決定はもう少し先になりますが、社内では田原の土地で事業を行うこと、常務まで内諾を得ることができました。事実上の決定です。
 そこで、まずは、田原の土地の借用に向けた手続きを進めていきたいのです。9月議会に補正予算を計上くださるようお願いします。
 しかし、大変申し訳ないですが、現時点では、正式な文書等を発出することはできないことを御理解ください」

 S商事の関連事業所ができることによる設備投資や雇用、税収などの効果に加え、S商事との人の交流が生まれることにより、有形無形のプラスの波及効果が期待できると考え、筆者はとんでもない量と質の汗を流してきた。
 しかし、筆者の想いが、役所全体で共有できていない状況で、土地の賃貸借の方向性や予算計上の企画をまとめることができるのか。
 予算計上を行うとなると、財政部へ事業企画書と予算見積書を提出する必要があるが、提出締切りは7月18日となっており、残り3日しかない。

「正式な文書が発出できないことは承知しました。9月議会の予算計上に向けて、直ちに対応します。ただ、予算については、市長判断を仰ぐ必要がありますので、今回の動きについて、一度市長に報告させてください」
「市長報告の件、承知しました。ただし、くれぐれも市長が外で話をしないよう、最大機密で進めてください」

 電話を切り、すぐさま文化部の部長、部次長に報告する。
「ということで、補正予算を計上するにあたり、農林水産部で計上することが、要になろうかと思います(文化部はそろそろ手を引きましょう。農業支援ですから)
 基金からの買い戻しになりますので、実質的にはお金の動きがありませんので、財政的な課題は少ないと考えますが、予算計上の是非について、あらためて、農林水産部と財政部に対する説明を行う必要があると考えております。また、市長査定が8月7日からになりますので、その前に一度、市長への説明が必要になると思います」
説明を受け、部次長が提案した。
「じゃぁ、農林水産部長のところは、私がすぐに説明に行きます、その後、農林水産部と一緒に財政部に説明するような段取りでよろしいでしょうか」
予算を伴うとなると、担当係長レベルでの協議などは全く意味がない。事務が増えることを嫌がることは目に見えている。まして
「相手からの文書も無いのに予算を計上するなんてあり得ない」
という、手続き論で動きが止まってしまうことになる。
 そんな瑣末なことにとらわれず、政治的・政策的な判断をするためには、こちらも部長、部次長としての政治判断、政策判断による前捌きが必要になる。

 なお、9月補正予算の資料提出締め切りが7月18日であることは、S商事には伝えてあり、間に合うように二次予選の結果を求めていたところである。
 ギリギリのせめぎあいというか、普通であれば、このタイミングで一から予算を組み立てるなんてことは、役所的には考えられない話であった。

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