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【随想】「太極拳を教えてやるよ、役に立つから」とK君は言った。+後日談。

学生時代、親しくなったK君とひと夏だけ特に親しくしたことがある。彼は東京出身で武道マニアなのであった。いいかえれば武道の収集家とでも言おうか、いろんな流派をやっていて、「いつか役に立つ時があるから」と言って、こういう時はこうしてこうやってと教えてくれるのだった。
関西人の「ボク」は必然的に「それって通信教育では・・・?」と聞いたら(吉本新喜劇の往年すぎる名ギャグ)「いや、東京でちゃんとした先生に習った」と言う。そんなに長くはないらしいけど。当時今ほど様々な健康法やスポーツなど(ヨガとか太極拳とか)の教室は東京でしかあまりお目にかかれない時代でもあった。そんな中で「ボク」は彼の一連の“コレクション”から「ボク」でもやれそうで、世間的にはだいぶ知られてきた太極拳と基本の体操(今にして思えば気功みたいなもの)を少し習ったのだった。

聞けばその世界ではわりと有名な先生らしい。確かに著書もある。半信半疑で一応は習った。しかもゆるく。まあ時間だけはある学生のこと。暇にまかせてひととおり短くまとめた形だけ覚えて、ついでに本も読んだ。著者はM・S医博といった。散歩途中に見かけた中国人師範の太極拳に興味を持ち、こつこつと何年も学び、途中こんなのが本当に役にたつの?と思いながら修行されたそうだ。武道としても優れているけど、医学博士らしく、どちらかといえば精神や健康への効果に主眼をおかれているようだった。実際に医博が演者となって掲載された写真はいたって普通の初老の男性である。
でも、せっかく「ボク」もK君から習ったことだし、時に本を開いて細かく自分なりにチェックし何気なくのんきに練習した。

 そしてその夏は過ぎた。
 秋口にK君は家の都合で大学を辞め、就職したのだった。

 その2年後「ボク」も社会人になった。

学生だった頃は思い出した時だけ、忘れないレベルでほんの少し練習したけれど、社会人になったら毎日に追われ何も運動しない日々が続いた。ある時期、体調がすぐれず、体を動かす習慣でもと思った際、K君から習った太極拳を思い出した。またまた、ちょっとだけ気分転換のために練習したけれど、かなり忘れていたから本を引っ張り出して順序やら細かい部分を思い出すことにした。

『人間はもともと完全に造られており、自身が最大の教師だから熱心にやれば必ずわかってきます』

医博のこの言葉は妙に説得力があった。改めて読んでみると、他のページもさすがに医師らしい論理的な内容と説明で納得がいくものだった。細胞・重心・神経や数値が細かく記されている。「ボク」は学生時代だいぶ端折って読んでいたのだった。
ゆるい練習をしばらく続けると、気のせいか体調は回復した。不思議なことに何年も続いていた背中の痛みが消えた。これは「ボク」が今の仕事について職業病みたいにずっとあった症状。朝起きてしばらくは背中の筋がつっぱって痛いのだった。デスクワークで同じ姿勢が長引くからもう慢性化して諦めていた。体操したりウォーキングしてもここまで消えることはなかったから・・・。ついでに言うとしばらく練習をやめたらまた痛みはぶり返した。

それから時が経ち約10年くらい前に、出張で東京に行くことが増えた。なら、ついでにと思い立ち、通うのは無理だけど、あのM医博の道場で月に1回でも教えてもらえないだろうか。本には道場の住所など記載はなく、「ボク」は出版社に電話で訪ねてみることにした。学生時代からもうかなりの年月が過ぎている。インターネットで検索しても出てこない。もう存命かどうかもわからないけど、もしかしたら習えるかも。

はたして・・・出版社の対応はとても丁寧だった。残念ながら先生はご高齢でなくなられていたけど、奥様に問い合わせてくださったそうだ。もう道場を閉鎖して何年にもなること、「お弟子さんの所在も私にはわからないけど、主人の本で問い合わせくださってありがとう」とのことで、出版社にも奥様にも「ボク」は恐縮し、担当の方に礼を言って電話を切った。結局、習うことは叶わなかったけど、きっと患者を見るように練習生の悩みとかに応えられていたことは想像に難くなかった。残念。

以来、時々だけ、それも体がピンチかなと思ったときだけやるムシのいいスタイルで続けることにした。気負わずに。だから「ボク」の太極拳はエア太極拳だ。形だけのエア。

だけど、ここ1年ほどは本当に“役に立った”。

ステイで運動不足になった時に思い出しては、懐かしんで、やることにした。普段からこもりがちの仕事だから「ステイホームったっていつもと変わらないよ」と初めは甘く見ていたが、半ば強制的にマスク、ステイ、ソーシャルディスタンスと言われるとなんだか苦痛になってくる。ストレスがたまる。加えて仕事もキャンセルが入ったりすると不安にならざるをえない。そんな時にいい。つかの間だけ自分のゆっくりとした動きに集中して、おおらかな気持ちでいると、なにやらスローな中に非日常があるような気分に包まれ、終わってみるとやる前とはあきらかに何か違う、と感じられた。まあそれが思い過ごしだったとしても。

K君とはあれっきりになってしまったが、
この場を借りて言いたい。「役に立ったよー!本当に」

「ボク」の太極拳は当時より一層ゆるーくなって、関節はさらにさらに固くなったけれど。同時にこうも思う。現実の生活は絶対にエアになりませんように・・・。

ちなみに近年ハーバード大学などでも太極拳の効果について研究がなされているというから、M医博が興味を持たれ「なにかある」と追求されたのは必然だったのだろう。よく神秘的な表現で書かれていることが多い太極拳だが、独自の理論で科学的に説明がなされていることに今更ながら驚かされる。本当に教わりたかった・・・。

【後日談】
実は緊急事態の自粛中に同業者で体調が悪くなった人がいて、ならば、と一緒にやる?と声をかけたら、すぐにやってきた。さすがに太極拳は時間かかるので準備にあたる気功体操部分を教えた。
それから約2ヶ月後のこと。
かかりつけの医者に行ったら、
このままいくと薬はいらないくらいだと言われたそうで、
これには「ボク」も驚いた。
彼は若いのに糖尿病と高血圧症だったが、数値がかなり落ち着いていたらしい。
だけどだけど「ボク」と同じで地味で飽きやすい運動だから、つい途中でやめてしまい、またぶり返したとのこと。
彼は、
「あれ、絶対何かありますね」と電話口で言った。
やはりなぜかはわからないけど、何かある…みたいだ。
だけどどうにも続けるのが、一番の問題のようで…。

でもまた同業のみんなで声かけあって一緒にやろうよ!
サークルでも作って。「ボク」がエア会長で。

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