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酒の飲みすぎで死にかけたアル中がこれからの長い人生について思うこと

重症急性膵炎闘病記の第8回(最終回)です。第7回はこちら↓

2022年10月末の入院以来、死にそうになっては生き返ってやっぱり死にそうになるなど三途の川を自由形で往復してきたたろちんですが、約4カ月半に及んだ入院生活もいよいよゴールが見えてきました。3月になり、ついに退院の日が決まったのです。

結婚して3カ月半で倒れて4カ月半入院してました


退院の日が決まる

3月に入ると毎日飲んでいた血圧の薬なども終了となり、いよいよ飯食って寝て飯食ってリハビリして飯食って寝るだけのネオニートおじいさん状態になりました。残る問題は身体がまともに動かないということです。リハビリはやってましたが、赤ちゃんが歩く練習する機械のおじいさん版みたいなのにすがりついて、ようやく歩けるくらい。

こういうやつ使ってました

リハビリの先生に聞くと「普通に歩けるまではあと2カ月くらいかかるんじゃない?」とあっさり言われ、「バカ言うなwww今からまだ2カ月とかwww悠久の時やないかwww」と草に草を生やしてたんですが、結果的にはマジでそんくらいかかりました。人体、一度ダメになるとめんどくさいので皆さんも気を付けてください。

実はリハビリ病院へ転院するかも、という話も出ていました。さすがに4カ月も入院してさらに転院とか無理無理無理と心が叫びたがってたので「僕はおうちに帰りたい!」と実際に叫びました。声で。そしたら「先生がいいって言ったらいいよ」ということになり先生がいいよと言ったので退院できることになりました。いいのかよ、と思った。

退院の許可が出たのが3月8日。そこからは早かったです。その日のうちにお腹に刺さっていたドレーンがぶっこ抜かれて、「いつ退院する? 明日? 明後日?」と急かされて慌てて荷物その他をまとめ、3月13日が退院記念日となりました。京都人でもぶぶ漬けくらい出すのに、ものすごい速度で追い出された。

退院後に必要な食事や血圧計なんかを大急ぎでそろえつつ、おじいさん向けの飲食物を入れたAmazon欲しいものリストを公開したら即日大量に届いたのもありがたかったです。踊り出すほどうれしかったのですが身体が動かないので病院で感謝のつかまり立ちをしていました。本当にありがとうございます。

看護師さんたちに送り出される

バタバタしてるうちに退院当日。少し雨が降っていて「初の外出で杖ついて傘も差すとか無理なんだが……」と思ったことを覚えてます。迎えに来てくれた妻も僕も若干ソワソワしていて、妻は「1人暮らしの家に男が転がり込んでくる感じがする」と笑っていました。

主治医の先生らとの面談は既に終わっていたので、退院の手続きはわりと事務的なものでした。入院費をクレジットカードで払う妻を見ながら、なんか「久しぶりに“現実”を見たな」というようなことを思いました。

退院の手続きを終えて、帰る前にICUの看護師さんにも挨拶に行きました。僕が最もあの世に近づいたときに引き戻してくれた人たちです。

中には入れないのでインターホン越しに一声かけるだけのつもりだったんですが、お礼を言おうとしたらわざわざ十数人の看護師さんが外まで出てきてくれてびっくりしました。パチンコの魚群演出かと思った。看護師群(生存確定演出)。

皆さん口々に「よくここまで元気になって」「おめでとうございます」といったようなことを言ってくれて、僕はただ「ありがとうございます」と言うことしかできず、エヴァ最終回のシンジになった気持ちでした。僕はここ(現世)にいてもいいんだ……!

そういえば入院中、ある看護師さんが「患者さんが元気になってくれるとほんとに嬉しいんですよ」と言っていました。責任は重いし、文句ばっかり言う患者も多いし、死んじゃう人を見ることにもある意味慣れなきゃいけないし、正直むちゃくちゃ過酷な仕事だと思うんですが、それでもそういうことを言ってくれるということがすごいしありがたいなと思って、ものすごく救われました。医療従事者の方はすごいな、とあらためて尊敬します。

ただいま

そんなわけで妻の運転で家路につきました。4カ月半ぶりに見る外界の風景が新鮮で「シ、シャバだ~~~~~!!!!!!!!」と興奮しました。帰りにスーパーに寄って「今日くらい食べたいものを食べな」と言ってもらい、久々に浴びる情報の洪水に感動しながら色々見てたんですが、スーパーを一周する前に体力が限界にきて座り込んでしまい、己のおじいさんぶりを実感しました。

家の玄関に入った瞬間、「我が家だああああああ!」と喜びが爆発……する前に「ようやく帰ってこれた……」という安堵感が大きくて、またへなへなと座り込んでしまいました。家に帰って最初にしたことは、ほしいものリストからいただいたようかんを食べることでした。久しぶりに食べたシャバの甘いもの、全身に染みわたるくらいおいしかったです。

この先も人生がずっと続いていくということ

以上がアル中をこじらせて重症急性膵炎という病気になり何度かの死亡高確率ゾーンをギリですり抜けて帰ってきた男の一部始終です。ご参考になれば幸いです。ていうかこの一件でよく「自分も酒に気を付けようと思った」とか「酒怖くなった」とか言われるんですが、どちらかというとそういうまともな人よりも雨の日も風の日も風邪の日も酒を飲み続けて756日酔いくらいしてるのに「それが普通だが?」みたいなキョトン顔をしている人にご参考にしてほしいと思っています。私は諸君の中の少数派に呼び掛けている。

僕は不幸中の幸いというか、壊死したはずの膵臓の機能もいくらか残っていたため以後一生続くような服薬やインスリン注射、あるいは厳格な食事制限などは抱えることなく現世に戻ってこられました。毎日ピザとコーラとドーナツ食ってると死ぬかもしれませんがそれは普通の人も同じなので、そういう意味では劇的に“元気になった”と言えるかもしれません。「闘病日記」としてはハッピーエンドと言っていいでしょう。

一方で本当に大変なのはここからだなとも思います。というかこれを書いている退院4カ月半後の現在、大小さまざまの後遺症や今後への不安をむっちゃ感じているし、現実の大変さをだいぶ思い出してまあまあへろへろになっていたりします。「長めの夏休みであの世にバケーション行ってきたけど明日からもう仕事かあ……」みたいな感じ。なんなら旅行先でよく言う「もうここ住んじゃおうぜw」をマジで実行しかけてた。

「死ぬ気になればなんでもできる」と言いますが、実際死にかけてもできないことばっかりだし、人生観がめちゃめちゃ変わったかというと以前と同じく「6億円当てて遊んで暮らしたい」としか思っていないので、僕は僕という呪縛から逃れられずに生きていくしかないんだなということをあらためて感じたりしました。

「奇跡の生還を果たして、以後末永く幸せに暮らしました。めでたしめでたし」と簡単にはいかないのが現実です。どちらかというと「めでたしめでたし」の向こう側にあるのが人生で、これからも僕は喜んだり悲しんだりのグラデーションの中で生きたり死にかけたりしていくのでしょう。

現実はやっぱり楽じゃありませんが、一度(というか数度)終わりかけた人生の続きを見ることができて、今はひいひい言いながらも楽しんで暮らしています。

終わりに

最後に。いきなりぶっ倒れてめちゃくちゃ迷惑をかけたにも関わらず、入院直後から献身的にサポートしてくれた妻、家族、友人、同僚のみなさんに心からの感謝を申し上げます。僕が生きて戻ってこれたのは間違いなくみなさんのおかげです。

それから無事を喜んでくれたり、さまざまな形でお祝い・支援をしてくれたフォロワーさんや配信の視聴者さん、このnoteを読んでくれたみなさん、ありがとうございました。ひとつひとつが本当に励みになりました。

匿名・レスバが前提だった古のインターネット時代から顔も本名も銀行口座も隠さず活動してきたのは、画面の向こうにも自分と同じ人間がいるんだからなるべく腹を割って話したいと思って生きてきたからですが、まさか物理的に腹を割った話まですることになるとは思いませんでした。なかなかユニークな人生になったなと嬉しく思います。

これからも生きている限り、生きていこうと思います。そういうことをこのnoteにも書いていきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

入院中、「少しでも希望になれば」と妻が買ってくれたバスケグッズ
同じくスパイダーマンのゲーミングチェア(めっちゃいいやつ)
退院数日後、ほしいものリストで石油王にいただいたエアロバイクでリハビリをがんばりました
退院1カ月、妻と映画を観て一緒に沖縄料理屋に行きました
退院2カ月、公園に散歩に行きました
退院3カ月、ピザもちょっと食べられるようになりました
退院4カ月、ドラムもまた叩けるようになりました

入院期間と同じ退院4カ月半が経過。がんばって生きています!

※2023年10月26日追記:入院から1年経ちました。まだ生きている

おまけ「重症急性膵炎で4カ月半入院した男の細かすぎて伝わらない後遺症7連発」

本編は以上となりますが、以下投げ銭代わりの有料エリアとして退院後に大変だった後遺症をまとめておきます。現在進行形のものやもう多分一生治らないものもあり、人体って脆いんだなと思いました。トホホ~(泣)。

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