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毎日酒を飲んでいたアル中の膵臓が無くなって1年が経ちました

2022年10月26日未明、僕は救急車で運ばれ「重症急性膵炎」と診断されて即入院。あの世にリゾートバイトくらいの期間まあまあしっかり滞在し、膵臓の3分の2が壊死した状態で現世にカムバックしました。いわば今日は膵臓くんの一周忌です。

平凡なアル中として一生を終える予定であった僕としては、予想外に激ヤバな形で人生がサ終しかけてたまげました。生き残ったのも何かの思し召し、と思ってこのnoteを立ち上げ、事の顛末を諸々書き残してきました。

その後に関する記事をまとめたマガジンも作りました

酩酊することでようやく人間をやりくりできていたアル中が、シラフになって見つめた1年間をあらためて振り返ってみたいと思います。


健康診断の結果が出た

先日、膵臓がなくなって初めて会社の健康診断がありました。結果としては大分健康になってました。もう膵臓はないのに!

左から今年、去年、一昨年

酒飲みが全員戦闘力みたいに語ることでおなじみ「γ-GTP(ガンマジーティーピー/飲酒などで上昇する肝臓の値)」の数値をご覧ください。入院1カ月前の2022年9月が「251」とラディッツ襲来時の天津飯くらいなのに対して今年は「15」とミスターサタンばりの数値に落ち着いています(基準値70以下)。数値だけで見ればまっとうな地球人と言えますね。健康診断行き始めた30歳手前くらいからずっと300とかだったのでこんな変わるんだと驚きました。

その他の数字も大幅に改善されていました。酒やめると健康になるんですねえ。おわり。

えまって。2年前のほうが数字めちゃめちゃ悪くない? なんで多少マシになった去年の段階で膵臓爆発するの?

膵無し太郎的には納得しかねますが、そういうケースもあるというリアリズムなんでしょう。友人の酒飲みは「3カ月で細胞が入れ替わる」という人体理論に基づいて、数年おきに3カ月間の断酒期間を設けるなどして内臓をロンダリングしていました。壊死した細胞はもう再生しないので、生涯アル中を貫きたい方はご参考にしてください。健康診断に行ってても膵臓の声は聞こえないぞ!

やっててよかった保険と正社員

お金の話。闘病記の最後にも書きましたが「生きててよかった。めでたしめでたし」ではなく、エンドロールの先には映画にならない当たり前の毎日が続いていくのが現実です。生活には当然お金がかかる。余談ですが、入院してる間にコンビニの100円おにぎりが150円くらいになってて死ぬほどびっくりしました。日本の物価やばくね?

そんでまあ入院すると一切働けないのに家賃や税金なんかの人間基本料金に加えて入院治療費もかかり続けるというスパイラルに陥ります。そんなとき生命保険入ってたのと正社員やってたのがだいぶ助けになりました。

保険の入院サポートが月いくら、会社の傷病手当が月いくらみたいな細かいことは妻が全部やってくれたんですが(本当にありがとう)、おかげで治療費を含めても貯金がめちゃくちゃ減るとかいったことにはなりませんでした。自営業だと収入ゼロになって家賃や光熱費や税金も払い続ける上に医療費も上乗せってなるからやべーなと思った。

ICUとかも長期入院になるほど入院費が安くなるというレンタカーみたいな方式らしく、最後に一般病棟で個室行ってからが日に1万以上とかして高かったくらいで、基本的に「死にかけてもこんなもんなんだ!お得~!」って感じの金額でした。日本の医療保険制度のいいとこ味わった感じ。往年の名スレタイ「【乞食速報】墓地が無料!今すぐ死ね!」を思い出しました。

死にかけたときに思っていたこと

こういうnoteを書いたおかげというか、何人かの方から「自分の家族も重症急性膵炎になった」「他にあまり情報がなくてnoteの内容が参考になった」といった連絡をいただきました。具体的な症状やお悩みを聞くたびにもっと細かく書いておけばよかったなと思ったり、あんなに苦しかったのに忘れかけていることがいっぱいあるなと思ったりしました。

自力で痰を吐き出せないころ、夜中に何度も呼吸ができなくなってそのたびに吸引をして本当にしんどかったこと。夜中に眠れなくて不安でずっとナースコールを握りしめていたこと。何週間も水が飲めなくて飲みたくて病室から見える冷蔵庫をじっと見つめていたこと。化け猫の幻覚、知らない人が隣に寝ている幻覚、医師たちが横で酒盛りをしている幻覚、全てが「重症急性膵炎」というドッキリでその様子がSNSで配信されている幻覚、それらがいまだに自分の中では本当にあったとしか思えない記憶として残っていること。

こういうのが無限にあって、どう伝えればいいのかわからないまま僕の中にだけしまわれていました。そのままだったら徐々に忘れていったかもしれない。同じ境遇の人の話を聞いて少しそういうことを思い出せました。

ICUに入ると家族も面会謝絶になります。妻も「辛いときにそばに居る」ということが許されなかったことに悩み、いつ来るかわからない病院からの悪い知らせに不安な毎日を過ごしたと言っていました。意識がないときにZoom面会をしたり、写真の掲示やみんなからの声を録音したラジオを流してもらったりしても「こんなことに意味はあるのか、本当に他にできることはないのか」と悩み、このまま死んでしまったらと思うと怖くて仕方なかったそうです。

連絡をくれた人もそんな辛さを抱えていたんじゃないか、と言っていました。

これは皆さんにも覚えていてほしいのですが、瀕死の状態のとき、全身麻酔で手術中のとき、脳出血で意識障害になったとき。そっちからは完全に寝てるように見えるかもしれませんが、意外と脳は動いていてめちゃくちゃボーッとしながらもぼんやり声は聞こえてたりなにかを考えたりはできています。少なくともそういう瞬間がある。多分。医者ですら否定するかもしれないけど僕はそうだった。

死ぬ寸前と言われていたときも(そう知ったのはあとからですが)こっちはもう慢性的な高熱としんどさである意味慣れがきているので、「このまま死ぬなら本当に寝るように死ぬ感じなんだなあ」って感じであんまり怖くはなかったです。うっすらとした意識の中で妻や友人や家族のことを思い浮かべて「ありがとうって言いたいな」「このまま会えなくなってもずっと元気で過ごしてほしいな」ということを思っていました。

みんながみんなそうなのかはわかりません。でもそういう風に思いながら、伝えられずに亡くなってしまった人もきっといると思います。

あの世にほぼ逝きかけた人間として、そういう気持ちが遺された人に少しでも伝わってくれるといいなと思っています。あとみんな生きてるうちにそういうこと言っといたほうがいい。ありがとう!

何かが欠けた人間を愛おしいと思う

昔から何かが欠落している人の表現に心を奪われてきました。文章なら町田康、音楽ならエレファントカシマシ宮本浩次、ネット配信者なら永井先生など。全員屈指の変わり者で、まともな感覚で付き合おうとしたらきっとすげえ大変だけど、発信するものは強烈に面白いってタイプ。

一部の皆さんにわかりやすいところで言うと僕が昔からネットで仲良くさせてもらっている「亀戸組」の面々も、返事はしない、時間は守らない、頑固でこだわりが強い、協調性がない、などまあ結構な欠損集団だと思います。最近物理的に歯が欠けたやつとかもいますが。

自分も昔から何かが欠落した人間だという自覚や悩みや不安があり、思春期の色々なこじらせを経て「毎日酒を飲むアル中社会人」という形に着地しました。それは決して褒められたものじゃないかもしれないけど、欠落人間としてこの世界で生きていくにはちょうどいい落としどころなんじゃないか。欠けた部分を埋めることはできなかった。だけど何かが欠けているからこそ同じような人の気持ちを少し理解できる部分もあるはずだ。

そう思って自分でも満足していたのですが、そんな矢先に膵臓そのものが欠落することとなり、それはちゃんと「そういうことじゃない」と思いました。今も思ってます。

「重症急性膵炎」最新ニュース

そういえば最近、重症急性膵炎の新たな治療法ができるかもしれないというニュースが出ていました。

「急性膵炎になっちゃった場合に重症化を防げるかも」って話なので、もう膵臓がなくなっちゃった人はどうにもならんのですが。とはいえ医療はこうやって進歩していくんだなあと思いました。今アホほど酒飲んでる方は医療の発展があるまでもう少しだけ控えてみてもいいのかもしれませんよ!


膵無し太郎からの一周忌の挨拶としては大体そんなところです。もうちょっと日常のあれこれを書こうかと思ってたけど、そのへんは普段のnoteで書いてるのでよろしければ今後も見てもらえれば幸いです。メンバーシップもやっています(いつも応援してくださる皆さん、本当にありがとうございます)。

また、重症急性膵炎のことなど、僕にわかることであればなるべくお答えしたいと思いますので、DMなりメールなりマシュマロなりでぜひお送りください。全ての膵臓を応援する者より。

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