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「最悪のルートに入った」 緊急手術で開腹したら腸がパンパンでお腹が閉じられなかった話

重症急性膵炎闘病記の第4回です。第3回はこちら↓

入院して約2週間が経過し、多少は容態も安定。みんなが「ようやく上向いてきましたね~」とホッと一息ついたところで緊急手術というドラマとかでおなじみのイベントが発生しました。そういうの見て「視聴率稼ぎのご都合展開がよー」とか文句言っててすみませんでした。マジであるんすね、そういうこと。

感染&開腹手術は重症急性膵炎の中でも最悪のルート

えー、なんで緊急手術に至ったのかですが、正直僕はよくわかってません。よくわからんけど気が付いたらお腹を切られてました。しょうがないだろ、おじさんは病人なんだ。

おじさんの記憶は役に立たないので、ここで妻が僕の友人らに共有していた闘病メモを紐解いてみましょう。

感染性壊死性膵炎かつ、早期の外科的治療への発展など総合的に見て重症のなかでもかなり悪い=一番生存率が低い病状に該当します。

2022年11月12日のメモより
実際の手術内容の説明。医者語で「手術しないと死ぬよー、しても死ぬかもしれないよー」と書いてある

文章で見るとめっちゃ怖い。細菌による感染あり、開腹手術ありというのは重症急性膵炎の中でも最悪のルートらしく、年に1人いるかどうかのレアケースらしいです。パチンコだったらケンシロウがキリン柄背景+赤文字で「お前はもう死んでいる」ってセリフ言ってきてるレベル。

当時の状態としては常に熱が38~40℃くらい出てて、看護師から「腹にでっかいメロン入ってるみたいだった」と言われるくらいお腹がパンパンに膨れ上がっていて、呼吸もハァハァ、おじさんヘロヘロといった具合でした。肺に水も溜まってる上に腹まで膨れて圧迫されて「い、息ができん」状態になってしまい、もう腹を開けるしかねえ、という判断になったとか色々聞きましたが細かいことはわかりません。しょうがないだろ、おじさんは病人なんだ。

実際このときは三途の川をジェットスキーで爆走する勢いで死の淵までいっていたらしく、通常面会謝絶のICUに家族が集められて「心の準備をしておけ」「最後になるかもしれないから顔を見ておけ」とかかなり強いことを色々言われたそうです。本記事の医療監修である妻いわく「敗血症性ショックだけでも死亡率30-50%くらいと言われているのでこの時点で突然心停止してもおかしくなかった」とのこと。パチンコ海物語だったら魚群が出たくらいの期待度ですね。

なお、お腹を切ったはいいものの、腸がパンパンに腫れすぎててお腹を閉じられない、という衝撃の事実が判明。お腹に分厚くてブヨブヨしたパッドみたいなのを貼り付けて密封保護はしたものの、その後約1カ月はお腹がパックリ開いたまま過ごしてたようです。さすがに怖くて自分でもちゃんと見れなかったのでどうなってたのかよくわかんないんですが、妻は膨らませた自転車のチューブみたいな腸が腹の上にこんもり乗っている写真を見せられて「うわぁ…」と言ったそうです。人体ってすげえなと思いました。

重症急性膵炎のわかりやすいイラスト

「残念だったな…今使っておるのがその10倍痛み止めなのだ」

ということでお腹パックリマンとしての生活が始まりました。この状態は定期的なケアが必要らしく(普通の人間はお腹をパックリ開けたまま生きていないため)、週に2回お腹を開いて腸をジャブジャブ洗う「洗浄」を行います。また、人工透析もやっていました。鎮静剤を使う洗浄、1回に何時間もかかる透析を交互に繰り返すようなハードデイズでこの時期も結構しんどかったです。「よくなるならなんでもやってくれ」という気持ちと「何回同じことすんねん! もうええわ! どうもありがとうございましたー!」と言って舞台袖にはけていきたい気持ちが2:8でせめぎあっていました。

寝ても覚めても常にお腹がズキズキと痛むんですが、看護師さんからよく「1~10で言うと今お腹の痛みどれくらい?」というのもよく聞かれました。「ここで10を使っちゃうと後でもっと痛いのがきたときに困るな」とかM-1の採点みたいなこと考えながら「6くらいっすかね…」とか言ってた。わりと痛みとか我慢しちゃうタイプのようで(だからこんなことになったとも言える)ずっと控えめに申告してたんですが、「辛かったら痛み止めがありますから」とは言われてました。ある時どうしても我慢できない痛みがきたのでその必殺技を使おうとしたら「今使ってるのがその痛み止めなんですよね」と言われて、実は最初から10倍界王拳を使っていてなお劣勢だったフリーザ戦の絶望を思い出しました。

全身ブヨブヨ高熱アチアチ腸はみ出しウンコマン

手術以降はむくみもすごかったです。特に手と足は信じられないほどむくんで、マジでクリームパンとかゴーストバスターズのマシュマロマンみたいになってました。お腹痛いとか高熱が出るとかとは違って、はっきりと目に見える形で体がおかしくなってるのがわかるのでこれは結構衝撃がでかかったです。

当時の写真。手がドラえもんみたいになってる

手足はむくんでブヨブヨ、毎日高熱が出る、十二指腸に直接入れている栄養は吸収されず下痢がひどい、夜はお腹の痛みと孤独感で眠れない。俺って全身ブヨブヨアチアチ腸はみ出しウンコマンじゃん…。あんまりナーバスにならないように意識してたんですが、自分の異常性と終わりの見えない入院生活でこの頃はちょっと元気なかったです。まあ病人だからずっと元気はないんですが。

お腹の洗浄をしてる際に一度、お腹の中から大量出血してまた緊急手術になったこともありました。炎症で組織が脆くなってる上に透析のために血液をサラサラにする薬を使ってたせいでそうなったらしい。僕はショック状態と鎮静で気絶してたのであんま覚えてないですが。毛利小五郎くらい大事なときいつも気絶してんな俺。

とにかくそんな一進一退の日々で看護師さんも見ててなんか察したのか、「つらいこととか1回全部紙に書いてみるとスッキリしますよ」と提案してくれたことがありました。パンパンの震える手で何時間もかけて書いたのがこちら。

「フロ人りたい」と素で「入」と「人」を書き間違えてる。基本的にいつもそれくらい朦朧としてました

病みすぎだろ。いや病んでるから入院してるんだけど。本人的には普段「仕事したくねー」とか愚痴ってるノリで書いたんですが、このメモが看護師間で共有された結果「あいつだいぶキテる」となったらしく、その後しばらく看護師さんたちが輪をかけて優しくなりました。

ベッド上のメリークリスマス

そんな日々を支えてくれたのが2、3日に1度15分程度で行われていた妻とのZoom面会でした。呼吸器のせいでしゃべれないので聞かれたことにうんうん頷いたり、手を振って変顔するくらいしかできませんでしたが、どんなに熱が出でもお腹が痛くても「Zoom面会だけはやる」と言うくらい楽しみにしてました。

医師と詳しいやりとりをしてたのは主に妻で、自分が死にかけてることもわからず「早く退院してー」「水飲みてー」とか言ってる僕に色々気を遣わせてしまったと思いますが、待っていてくれる、励ましてくれる人がいるというのは何より心強く毎日「結婚してよかった」と思いました。そんな形で思うなって話ですが、結婚してなかったら死んでたと思いますマジで。

腸の膨らみもいくらかマシになりなんとかお腹を閉じることができたころ、その日のZoom面会はちょうどクリスマスイブでした。とうとう病院でクリスマスになっちゃったねーとか来年はまたコンビニチキンとケーキでやるお手軽クリスマスやろうねーとかそんなことを話しました。僕はしゃべれないのでニコニコ聞いてただけですが。

時間がきていつものように看護師の兄ちゃんが「最後に奥様に伝えたいことはありますか?」と締めに入りました。なんか伝えたいときは「あいうえお」が書かれた文字ボードを一字ずつ指差して、こっくりさんのように看護師さんに読み上げてもらうんですね。僕はなんもクリスマスらしいことができないしせめていつもの感謝を伝えたいと思って、文字ボードを指差し始めました。

そしたら3文字目くらいで看護師の兄ちゃんが「それは僕の口からは言えないっす!」とか言い出しました。わしは物理的に言えんのだが、と思いつつも口パクでゆっくり「ア・イ・シ・テ・ル」と伝えました。ブレーキランプがあったら5回点滅させてたと思います。

妻は急で驚いたのか照れもあったのか「アラアラ、ありがと」くらいのリアクションだったんですが、看護師の兄ちゃんが「幸せのおすそ分けもらったっす! 今日来てよかったっす!」とかえらい感激してくれて2人でほっこりしました。

次回予告「たろちん、死す!」

そんなクリスマスのころ、お腹を縫ってからも経過が順調だということでようやくICUからHCUへの移動が決まります。何より嬉しいのはHCUではスマホが解禁されること。LINEで妻や友人と直接連絡を取ることもできるようになり、飲食などもいよいよ再開されそうな明るい雰囲気になってきました。では次回「たろちん、脳出血で死す!」編でお会いしましょう。

おまけ「性欲どうなってたん?の話」

本編は以上となりますが投げ銭代わりの有料エリアとしてちょっとしたおまけ雑記も付けておきます。というか今回は文字通り下世話な話題すぎるので隠す意味も込めて有料にしておきます。まあこないだのラジオで似たような話はしちゃいましたが……。

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