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病室のベッドで思い出の写真を見ながらおむつにうんちを垂れ流す日々

重症急性膵炎闘病記の第3回です。第2回はこちら↓

前回はICUに入れられると同時に僕が夢と幻覚の世界へ旅立ってしまったことをお話しました。いわばこれは僕の脳内だけで繰り広げられていた知られざる物語、アナザースカイなわけでして、今回は現実ではどんな感じの治療生活が行われていたのかというフィジカルな話をしてみようかと思います。入院から約2週間の出来事です。

腎臓くん、逝く

重症急性膵炎は膵臓だけでなく体の色んな場所に影響が出ると以前お伝えしましたが、入院翌日には腎臓障害が出てたそうです。腎臓がおしまいになると、おしっこが出なくなる→体に水が溜まる→血液に老廃物が溜まる、というコンボが決まり、無事に全身むくみまくりの水風船人間が完成します。自力で血液をきれいにできないので透析も必要になるわ、栄養をとるために大量輸液をすると肺の周りまで水が溜まって呼吸器も必要になるわと連鎖的に体が終焉に向かっていきます。今後も体のあちこちからイカれたメンバーが続々と登場することになるのですが、そのへんはまた機会あれば随時ご紹介します。

人工透析というのは腎臓のかわりに機械で血液をろ過する治療で、1回何時間もかかるわりに病気によっては週に何回もこれをやらないと死んじゃうみたいなことでも知られるアレです。ちなみに僕も入院中は頻繁にやることになるんですが、幻覚が落ち着いてからも「透析」という漢字と「とうせき」という音が頭の中でつながらず、何度確認してもなぜか読めなかったのを覚えています。普段読めてるものが読めなくなる、ゲシュタルト崩壊の実写版みたいな感覚。たまに読める日もあって「あ、今日は透析が読めるから体の調子いい日だ」とか自分の中のバロメーターになってました。

妻の神対応「闘病用Discordサーバー開設」

ICUに入って最初の頃はアルコールの離脱症状などもあり強めの薬が使われていたそうで、僕は基本寝てんだか起きてんだか自分でもわかんねえような状態でした(だから夢と幻覚を見続けていた)。その間、ものすごく躍動していたのが妻です。この一連のムーブは僕もあとで知ってものすごく尊敬したし、皆様にとっても家族などが入院した際の参考になるのではないかと思うので紹介させてください。

入院が決まってから妻が何をしたか。ぶっ倒れた僕にかわって入院の手続き、会社や保険会社への報告、家族や友人への連絡などをやってくれただけでもありがたかったんですが、そこからがすごかった。直接の連絡先を知る人はほぼいない状態から僕の仕事関係、ネット関係、学生時代の友人などそれぞれのコミュニティに連絡を取り、Discordでサーバーを開設。病状の報告やお見舞いのメッセージの受付などをほぼ一括で管理できる体制を構築してくれました。

妻が立ち上げた闘病応援用Discord「たろちんみつけた」

また、そのDiscord経由で僕の写真、好きな音楽、応援メッセージなどを募集。ある日僕が病室で目覚めるとベッドの横にみんなからの寄せ書き色紙や写真を貼ったボードが飾られていたんですが、ここまで入院から4日という爆速で妻がとりまとめから作成までやってくれたそうです。感動で泣きました。

妻のITリテラシーがかなり高いのはありますが、コロナ禍でお見舞いや差し入れなども制限される中、このWeb連絡網システムはめちゃくちゃ有効だなと思いました。特に意識朦朧として何もできない時期に写真の存在はありがたく、夜中の孤独な病室で笑顔のみんなの写真をながめながらおむつの中にうんちを垂れ流すのが何よりの楽しみでした。そんなことが楽しみになってはもう終わりなので皆さんは健康に気を付けてください。

オリジナルラジオ「おともだちFM」開局

テレビもねぇ、ラジオもねぇ、看護師毎日ぐーるぐるなICUでの寝たきり生活は本当に壁のシミを数えるくらいしかやることがありません。スマホが持ち込めないと言いましたが、スマホがあっても意識は朦朧としてるし指も震えてるし実際あんまり使えなかっただろうと思います。そんな僕が心の支えにしていたのが友達が録音してくれたオリジナルのラジオです。

最初は病室で流す音楽と一緒に妻が近況などのメッセージを吹き込んだ音源を差し入れしてくれたんですが、他の友人たちもそれに呼応して「ラジオを録ろう」という流れになったそうです。元々ゲーム実況とかネット配信をしている友人が多かったためそういうの慣れてる人が多かったのもあります。内容としては「W杯で日本が勝った、負けた」「M-1でウエストランドが優勝した」といった僕が知りたいであろう時事ネタから「初めてエロ本を手に入れたときの思い出」といった完全に脱線した雑談までさまざまでしたが、隔離空間で文字通り虫の息になっている自分にとってそれが唯一現実世界とつながれる情報源で、毎週の新作が届くたびに味がしなくなるまで繰り返し聞いてました。人生でこんなに楽しみにしたラジオ番組は、中学のときに聞いてた「ゆずのオールナイトニッポン」かこれくらいです。

余談ですがM-1もW杯も予想外すぎてビビりました

病室でガンガン聞いてたので看護師さんに「お友達しゃべりうまいですね」とか「奥さんYouTuberなんですか?」とかよく言われました。「どっちかと言うと僕がYouTuberです」と言いましたが、呼吸器をつけててちゃんとしゃべれないので伝わってたかどうかは謎です。

オンライン面会はじまる

そんな人工呼吸器ですが、一瞬だけ外されたときがありました。入院から12日目、お見舞いができないかわりに初めてZoomで家族とオンライン面会ができるという日でした。

まだ現実と幻覚の狭間にいる時期、ちょうど看護師に殺されかける幻覚(第2回参照)を見たあとくらいだったと思いますが、先生が突然「ちょっと呼吸器外しましょう」と言って喉にガッと手を入れてビャッとなんかをぶち抜かれました。僕がハァハァ言ってるのにめちゃくちゃ冷静に「どうでしたか?」とか感想を求められたので、「ピッコロ大魔王が口からタマゴを産むときの気持ちがわかりました」と言ったのを覚えてます。

直後に妻と母とZoom面会があったんですが、久しぶりに顔を見れたことと久しぶりに声が出せる喜びでマシンガンのごとくしゃべりまくり、5分くらいで息切れして終わりました。退院してから聞いたんですが「あのとき早口すぎてほとんど何言ってるかわかんなかった。薬でラリってたんじゃない?」とのこと。キレキレでトークできたと思ってた……。その後、やっぱ呼吸器いるわ、ということになり、首に穴を開ける「気管切開」を行い本格的に長い呼吸器生活が始まります。長い入院生活の中でも「水が飲めない」の次に「声が出せない」というのはつらかったです。

そして危篤へ……

ここまでが入院から約2週間。なんやかんやありましたがアルコール離脱症状も落ち着き、ベッド上でのリハビリなども始まっていました。ここから順調に快復していく……かと思いきや危篤状態になる次回へ続きます。

おまけ「病室で聞いていた音楽とたろちん応援歌」

本編は以上となりますが投げ銭代わりの有料エリアとしてちょっとしたおまけ雑記も付けておきます。今回は「病室で聞いていた音楽とたろちん応援歌」の話。

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