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本当に神様は実在するのか

今回はものすごく、基本的な問題に改めて、立ち返ってみたいと思います。

神社には本当に神様がいるのか?は以前、書いたとおりで、いると思いますが、いないところが多くなってきていると思います(神様のような高いエネルギーを発する存在が近くにいると、人体がリラックスする現象が起こるので、それを利用して間接的に判定します)。

それでは、神様はそもそも、実在するのか?というと、神様の定義による(歴史上の人物を神様として祀っている場合、少なくとも架空の存在ではないですよね)のですが、ここでは、神様を人知を超えた、人間よりも、高次の存在として定義したとします。

結論から言うと、実在すると断言は出来ません。なぜなら、次元の違う存在だからです。無理やり、喩えて言えば、映画の中の人物は、映画を見ている人のことはわからないからです(2次元の人は3次元の人を感知できない)。

とは言え、間接的に、状況証拠を集めて、真実に近づくことは出来るかもしれません。

例えば、神棚に何かをお供えするとします。たとえば、お酒とミカンをお供えすると、

お酒のエネルギーは強くなっているのに、ミカンは変化しない

という現象が起こったりします。Oーリングテストなどが出来る人は確認してみるとわかります。さらに細かく、実験していくと、神様によって、反応するものが変わることがわかります。例えば、同じ日本酒であっても、銘柄でエネルギーの強さが違ったりします。

全ての神様がお酒が反応するとも限りません。女神様だと、お酒よりも果物に反応する場合があります。

エネルギーが強いものは良いものであれ、悪いものであれ、伝搬現象のようなものが起こります。近くにあるだけで影響されるんですね。

細かく言うと、違うんですけど、ストーブに近いところに座っている人ほど暖かく感じますよね。それと似たようなことが、この見えないエネルギーにも起こるんです(ホントは物理学で言うエネルギーとは似て異なるんですが)。

神様は強いエネルギーを発信していますので、この法則の通りだと、神棚でも、神社の社でも、奉納したものは、皆、エネルギーが伝搬して強くなるはずなのですが、

強くなるものと、ならないものがキッチリ、分かれるんです。

ということは、

神様の好みが反映している

とも解釈できます。つまり、

意思があるわけです(本当なら、当然、神様が実在しているからです)。

これはお供えする物の成分などでは説明がつきません。例えば、2種類の神様に、全く同じように、お酒と果物をお供えしたとします。ところが、一方の神様はお酒だけ反応して、もう一方の神様は果物だけに反応するんです。

神様に好みがあると考える方が自然だと思います。つまり、実在することが前提になるわけです。

実はエネルギーの変化(自分の身体が微妙にリラックスするのか、緊張するのか)さえ、わかるようになれば、このように色々なことがわかるようになります。これは純粋な訓練で、人間なら誰でも出来ることです。特別な霊能者だけの特別な能力でもなんでもありません。

おそらくなんですけど、古代人は普通に神様と対話していたのだと思います。その習慣を現代人は忘れてしまったんだと思います。忘れているだけで、能力が失われたわけではありません。

神様の声も間接的に聞くことは出来るのだと思います。もっとも、客観的に証明できない以上、断言は避けておきます。スピ系の人達は、自分の主観だけで断言する人が多いので、余計に信用されなくなっていると思います。

私は自分の出来る範囲で実験したことを基に、紹介はしますが、断言はしないようにしています。

そう解釈する方が自然なのでは?くらいのニュアンスです。

でも、純粋に個人の信仰の問題と片付けることはできないと思います。古事記、日本書紀にも、史実と、信仰や伝説が混ざっていると思います。出雲大社でも、2000年代に完全に伝説だと思われていたことが、遺跡が発掘されたことで、史実だと判明したこともありました。

ちなみに、神棚だけでなく、私が描いた絵でも同じ現象が起こるようです。実際に検証してくれた方から報告を受けました。

コチラのお店です。私が描いた絵(の印刷したもの)を飾ってくれています。鳥取県にある地酒屋さんです。->インスタグラムはコチラ

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