生活が波のようにやってくる
平日、やっと家に帰ってきて、萎縮した気分を開放していたらあっという間に寝る時間になっている。週末、やっと一息ついて、自らを愉しませていたら、もう日曜日の午後である。年末、やっと一段落して、まずは休憩と思っているうちに、もう始業の日になる。
生活が波のようにやってくる。数十年経ってリタイアするまでは、波のように生活がやってきて、波の大小はあれど、逃れ休む場所は少ない。
気分の問題はある程度時間がなんとかしてくれるものだろう。それはわかっているが、例え断続的だとしてもだ、こんな惨めな生活を、対処療法的に誤魔化し続けるしかないものなんだろうか? 問題の根本的な解決が難しいとしても、もっと根本的に自らを癒やしてくれるものがあれば、もっと自分の時間を意志のまま使えるようになるだろうに。
それで自分が何を求めているのかといえば、「同じような境遇にいる人の存在」だ。
学校/会社に行けば、もう見上げる他ないような立派な人々が沢山いて、それこそ1ダースも2ダースもいて、こんな素晴らしい人間が実在しているのならば己は一体何なのかと恐ろしくなる。
一方Twitterを覗けば、見るに堪えない喧嘩が繰り広げられていて、人間はここまで駄目になれるものかと驚く。天と地との間で宙吊りになっているかのような気分だ。いわゆる「所属欲求」というものを満たしたくて仕方がない。どこかに似たようなやつはいないのか?
こうやって頭を抱えて日々を暮らしていくうちにも、徒然を紛らわすばかりの自分と、自己研鑽に励む周囲の人々と、差は埋めがたいまでに開いていく。そう、こんな無為な慰めなどしているより、もっと意味のあることをしなくてはいけない……
しかし、「それじゃやりきれない!」と思ってしまうのが自分の悪癖だ。雨が降っていて、傘を持っていない、それじゃあ、図書館やらジムやらに向かうより前に、傘を探そうとするものだろう? これが苦し紛れの言い訳だとしても、本当にそう思っているんだから仕方がない。
熱烈にコミュニティというものを求めている。自分が学校やら会社やらに行っている間にも、そのコミュニティでは自分によく似た人々がいて、何やらかやら楽しそうな雑談をしている(あるいは、置き手紙を読み合っている。) そういう状態を手に入れることができれば、少しはこの困った気分も改善されるんだろうか。
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