音楽
初めて、心臓が鼓動したのだと思った。
当時2歳ほどであっただろうか。人生で思い出せる限りの最古の記憶は人混みの中、父に抱えられて聞いた音楽だ。どこか祭りのような場所にいて、歩き疲れた私は父に抱えられていて、隣には母がいた。幸せを絵に描いたような光景のなか、それは突如起こった。
戦争が始まったのだと、そのくらいの恐怖を覚えた。自分の鼓動を変えてしまうほど強いドラム、ベースは血管を揺らし、その後に鳴ったギターに耳を刺された。怖いという感情が走ったのは一瞬で、それは直ぐに興味へと切り替わる。この時、私の心臓は鼓動したのではないかと思う。あの瞬間から私の人生が始まったのではないか、本気でそう思うのだ。
初めてCDを購入したのは、14歳になったばかりの頃だった。衝撃的な出会いをして、私はすぐにCDショップへと行き、お小遣いでCDを購入した。
当時、携帯電話の使用が21時までと決められていたこともあり、ラジオをよく聞いていた。今どきでは珍しく、卓上型のラジオを使用していた。これは、学校の記念品かなにかで貰ったものだったが何だか形が可愛らしくてお気に入りだった。ピンと、アンテナを立て聞きたい放送局へと周波数を合わせる。ザザっというノイズの後、聞きなれたパーソナリティーの声がする。そんなアナログ感がどうにも私の好奇心をくすぐった。今思えば、" 卓上ラジオでラジオを聞いてる私 " が、他と違う顔をしている私が好きだったのかもしれないとも思うが、そんな背伸びも今の私を作る材料であったように思う。その夜も変わりなく、ベッドサイドのランプだけを灯し、アンテナを伸ばしていた。
この夜が、なんとも忘がたいものになる。軽快なギターサウンドからはじまり、跳ねるようで、甘い、しゅわしゅわと口の中で弾ける飴玉みたいな歌声。続いて入るドラムにベース。一目惚れ、言わば、ひと聴きぼれ、だった。近くのペンを手に取り、バンド名をカタカナでメモする。
「お聞きいただいたのは、
JUDY AND MARYで"motto"でした。」
楽器を始めたのはそんなに早くなかった。
弾き始めたのはここ数年で、歌を作り始めたのはここ1年。初めて手に持った楽器はベースだった。
本当はもっと早く楽器を始めたかったのが、如何せん両親ともに音楽、特に楽器への興味が非常に薄く、バイトもできない中学生の私に、楽器を購入するというのは厳しいものであった。受験合格の祝いに、自分のベースを手に入れた時、ここから始まるんだと思った。
すぐに、バンドを組んだ。女子5人のバンドで、流行りのバンドの楽曲や、昔からある定番曲をカバーしたりした。私は一瞬で夢中になった。楽器を触るのは初めてだったし、ベースのtab譜を読むのも最初は難しくて苦戦したが、どうしても楽しくて仕方がなかったのだ。左の指の皮がどんどん固くなって、右手の人差し指と中指の皮がめくれたり、血が出たりした。タッピング奏法が上手くできないのが悔しくて1日何時間も練習していたから、親指の第1関節には、痛々しくアザができていた。痛みは誇らしく、手元にできた努力の勲章を見て少し嬉しくなったりもした。
だがグループというものは難しいもので、メンバーの1人が練習に来なくなった途端、呆気なく解散した。
解散してからというものの、1人でベースを弾くのは退屈だった。始めて1年程度では上手いわけでは無いので、バンドでやっている時に比べて音楽を作り上げる、みたいな実感がないように思えたのだ。
そんな時に父の友人から、ギターを貰うことになる。今でも愛用しているギターなのだけれど、捨てるような状態でもなくかなり綺麗なもので、弦を貼り替えただけで難なく使用できた。ベースとは勝手が違うので、また1から学び直しではあったのだが楽しくて、すぐに夢中になり気がついた時には弾けるようになっていた。
ギターを弾きはじめて数ヶ月後、音楽の授業の中で1人3分以上の音楽に関する発表をする機会があった。それは何でも良かった。ピアノが出来たらピアノ、ダンスが出来たらダンス、アカペラで歌ってもいいし、音楽に関するものであればなんでも良い、という随分とざっくりとしたものだった。私はギターの弾き語りを選び、ポルカドットスティングレイの極楽灯を演奏した。人前で歌うのもギターを弾くのもこれが初めてだったから、驚くほど手が震えた。クラスで目立つ方でもなかったので、かなり緊張もしたが歌い始めた瞬間、私は謎の安堵を得た。終わらなければいいとすら思ったのだ。普段話したことの無いクラスメイトから「もっと歌ったらいいのに、歌手になったらいい。」と真剣に言われて、嬉しくなった。今でも思い出して頬が緩む。そういえば、小さい頃初めて持った夢は歌手だった、と思い出した。
私の青春全てを詰めたバンド、ポルカドットスティングレイとの出会いもラジオであり、同時期に藤井風さんのYouTubeを発見し、キーボードを始めるきっかけになったことも、どこかで書きたいが今回は話がこれ以上長くなってしまうのと、ただのオタクエッセイになってしまうため断念する。またじっくりとオタクエッセイとして書きたい。
タイトルを音楽に決め、ここまでは私自身の音楽史的な要素を書いてきたのだが、ここからは少し直近の話をしようと思う。赤裸々に全てを話してしまえば、着地点をここにするべくして書いたエッセイと言っても過言では無い。
先日、礼賛というバンドのライブに行った。とても好きなバンドでデビューから聞いてはいたのだが、チケットがなかなか取れず、先日初めて行くことが出来た。
ドリンクを引替え、見えそうな位置に着く。背が高い方では無いため基本スタンディングはどこにいても見えないのだけれど、どうにか人の隙間を縫うようにして視線の導線を確保する。
徐々に暗転していく場内、鼓動を無理やり変えるように、銃声の如くドラムが鳴り響いた。それは、あの時の衝撃と全く、寸分狂わず同じものであった。私は動くことが出来なかった。動いてしまうとステージがみえなくなるとか、そんな陳腐な理由ではなくて、とにかくかっこよくて、動くことが出来ない。続けて、血管を揺らすベース、包むように鳴るギターと耳を刺すようなギター、妖艶さを持つ声。あっという間に、こんなにも早く私の世界を彩っていく。才と彩を感じて、動けなかった。音楽に殺される、と思った。音楽の内に最期まで生きたいと、むしろ今ここで、ギターの音に全身刺されてしまえれば良いと思った。私は、こんな場所が作れる人間になりたいとも思ったのに、足掻いてもあそこには行けないのかもしれない、という相反する感情を抱えて立ち尽くしていた。だが、気持ちはなぜだか晴れやかで、どこかで吹っ切れずに居たマイナスの感情の鎖が切れていたことに気がついた。どうにもならないほどの熱量が湧き上がってきてしまい、舵が壊れたように音楽への気持ちが高まっていく。
その夜、私は更に音楽に恋に落ちてしまった。私は音楽がないと生きられないのだと、音楽のために生まれてきたのだと思った。もっと歌いたい、いつか私の思う音楽を、エンターテインメントを、届けたい。今のところはかなりの片思い、人生的に片思いだけれど、いつか誰かのために、私のために、これからも続いていく生活の中で誰かの居場所になる音楽を作りたい。私のピークタイムはここからだ。21時の渋谷の雑踏にも負けない、そんな強すぎるほど熱い想いを優しく宥めるように冷たい風が頬を撫でた。
(※バンド名やグループ名の敬称略)