「セッション」という映画を見た話

2014年の映画です。原題は「Whiplash」(直訳で鞭打ちという意味)

多分、見たのは3回目かな…アマゾンプライムにあったので久々に。

映画の内容をザックリ言うと、、

「偉大なジャズドラマーを目指す19歳の学生が、同じ学内にいた狂人教師に追い詰められる映画」

こう書くと「ホラー映画?」ともとれますが、ジャズという落ち着いた音楽や楽器(メインはドラム)をフィルターに通しているのでそこまで怖さはないかつ物理的に誰かが死んだりはしません。

ですが作中に自動車事故や血が一部流れる箇所があるため、ジャズの身を纏ったサイコホラーみたいな映画です。

またよくホラー映画の終盤にある緊迫した展開、

集中して見入ってしまうような状態が全編を通して続きます。

それくらい役者の演技や作品全体を覆う緊張感があり、

かつ狂人教師もFワード連発で罵声を浴びせまくるので、見る人を選ぶ映画ではある。

私はドラムをやっていること、

D・フィンチャー作品のような狂った作品が結構好きなのでこうして何回も見てしまっている。

音楽とかにも当てはまるのだけど、映画も結末がある程度分かる単純明快な作品よりも、一筋縄ではいかないクセのある作品の方が魅力的に映るんですよね〜

今回の主人公は大学生ではあるものの、充実したキャンパスライフなんてものはなく、あるのはドラムセットとスティックだけ。。

彼女もおらず、ただひたすら目標とする偉大なジャズドラマーに近づくために一人黙々と練習をしている。

ただ、一人で練習している時の量は決して多くなく、その目標自体も遠い存在のような「憧れ」に近いものに見えます。

ある日、狂人教師がジャズバンドのドラムとして誘ってくれたこと、いつも行く映画館の受付女性にデートを申し込んで良い回答をもらえたことが重なり、何となくこれからの日々が充実していくように感じられました。

そこから徐々に精神的・肉体的に狂人教師に追い詰められ、近くにいた存在はおざなりになり、いつしか「憧れ」に近かった偉大なジャズドラマーになるため本気になり始めます。

何よりも今回見て思ったのが、

「世間的な安心・安定を捨ててでも、自らが狂ってでも、なりたいものになる」

その強い意志だけで(映画とはいえ)どこまでも行けるということ。

なんだか今の自分とは真逆の人物を見ているようでした。

これって結構前から感じている「目標や目的を持ったほうが良い」にも繋がるのですが、その目標に近づける存在がいて、仮にその人物がヤバい人でも関係ないことが、映画が進行していく毎に感じられて。

「安心と狂気は、バカと天才のように紙一重にあるものでは」と思ってしまう。

それは、教わる方もですが、教えている方も当てはまります。

今回の映画の場合、「教わる方=生徒」、「教えている=狂人教師」ですね。

海外ラウドロック系バンドの一例として、

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プロデューサーに罵られたり嫌がらせをされたヴォーカルの人がいたのですが、

それはプロデューサーがヴォーカルの人を本当に嫌いだと思っていたのではなく、

怒り狂ったヴォーカルをレコードに記録するためにしていたことだと言われてました。

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上に書いた事例は今回の映画の狂人教師にも当てはまると考えます。

主人公の目標に合った手段がたまたま、、

「罵ったり、精神的・肉体的に追い詰めること」だっただけ。

それは「安心」という社交辞令やポジティブな会話では主人公に何の成長もクリエイティブな事も生まれない、いわば時間の無駄だと狂人教師は考えていた。

そもそも何故あそこまでドラムに厳しいのか?

ドラム以外にも演奏者はいたのに、罵っていたのは音を外したと認めた太めのトロンボーン奏者一人でした。(本当に外していた人間には注意をするだけ)

※(他は生徒全体に対して挨拶程度に酷い言葉を軽く言ってるくらい)

一つ確実なお話としてこれはこの映画を監督した「ディミアン・チャゼル」さんの話になります。

学生時代に狂人教師に追い詰められた実際の怖い体験を反映した作品らしいです。(Wikipediaに記載あり)

それともう一つ、先程のラウドロック事例に紐づけたものです。(個人的意見)

怒り狂っていくこと=主人公を偉大なジャズドラマーとして成長させるためには必要不可欠だった のではないかと私は思います。

冷静に考えて、「世界一怒り狂ったレコードを作りたい(目標)」と考えた時に、笑顔で何でも受け入れてくれる「優しいおじいさん(手段)」を雇うのは間違いではないですが、目指していたものには限りなく遠く感じます。

そういう意味では狂人教師を遠ざけようとしていた実の父親よりも、父親らしい教育をしていた。とも思えるかもしれません。

だからといって「人を罵ったり人生ぶっ壊したりして良いのか」と言われるとそういうことではないです。

それは、本当に壊れて身体に危害が加わるシーンが収められていること、話には出てきますがうつ病で亡くなった生徒がいたという過去が取り上げられていること、が証明しています。

どちらが正解か間違いではないですが、そういう時に正気を保っている家族や友達、恋人がいると良いのですがね。。。

段々、映画の話なのか、音楽の話なのかよく分からなくなってきたのでこの辺で。

個人が嫌いで感情をぶつけてただ怒っているのは「教育」ではないけど、

その人を成長させる方法が怒ることであるならたとえ怒っていても「教育」していると言えるのかもしれません。

それは表面上では見えてなくて、言葉で説明しても理解できないことではある。

ただひとつ、確かなことが言えるのなら、、

この「セッション」という映画は良い映画で、色々と考えさせられた映画。

最後に「教育」の意見は個人的なものなので、気を悪くされた方はすみません。

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