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【サポーターズ退職エントリ】ありがとう全国の学生エンジニアさん

サポーターズを退職します

新潟の自動車部品メーカーから上京転職し、早2年。キャリアチェンジをする決意に至り、昨日(2020/8/14)サポーターズの最終出勤日となりました。

2年間、本当に沢山の胸が熱くなるような嬉しい出来事がありました。
同時に、人材サービス業ならではのつらさも経験しました。

簡単にですが、まとめてみたいと思います。
(追記:書いてみたら結構書けてしまって、全然簡単じゃなくなったので、時間のある人だけ読んでください)

そもそもお前、誰?

VOYAGE GROUPのビジネスサイドの人間です。
「サポーターズ」というIT企業に特化した就活サービスの中の人で、エンジニア就活のチームに2年を通して所属していました。

経歴

- 2018年8月~2019年9月:イベントチーム(1on1面談イベント、合同セミナーの企画運営、コンテスト企画運営、学生さんフォロー担当)
- 2019年9月~現在:エージェントチーム(エンジニア担当キャリアアドバイザー)

一言でいうと、「ユーザーと直接絡む人」を2年やっていた感じです。

ふりかえり: よかったこと

- 「ものづくりに取り組む人」の人生を多く見られたこと

サポーターズを選んだのは、ものづくりに取り組むひとへのリスペクトが強い自分特有の価値観が生かせると考えたからでした。

ものをつくって、ひとに披露すること。その時点で凄く勇気のいることで、ましてやユーザーに気持ちよく使ってもらう、楽しんでもらうために改良を重ねるというのはとてつもなく大変だと思っています。
音楽や演劇のプレイヤー側という趣味があるため、産みの苦しみや人からの評価に対する葛藤を自分ごととして捉えられることもあり、なにかを創り出す人へは出来る限りの敬意を表したいと日々考えています。

世のプロダクトは、エンジニアさん以外にも、プランナー、セールス、マーケ、運営、バックオフィス等々…沢山の人々がいて成り立っている努力の結晶です。

ただ、自分には、バックグラウンドのなかで"理系" "技術者" に尊敬の念を持つ瞬間が多くあったからか、エンジニアに特化したサービスの裏方を務めることに対しては不思議なフィット感を感じました。
長岡技術科学大学の超近所で生まれ、高専・技大の友人が大きな機械を動かしたり、魔法のようなスピードでPCをいじったりするのを見て、かっこいいなぁ〜と思いながらすくすく育ったバックグラウンドが、まさか仕事に生きるとは思いませんでした笑

最初に持っていた思いと実際の業務のギャップはなく、エンジニアさんと沢山出会うことのできる日々は最高に楽しかったです。
ものづくりへの思い入れや苦しみについて、それぞれのストーリーを聞く機会が多かったのは、自分自身のこれからの人生の大きな財産となりました。

- "きっかけづくり"というキーワードを得られたこと

イベント業、エージェント業どちらに従事しているときも、意思をコントロールする/される世界観をつくってしまわぬよう、あくまで出会いの場、きっかけづくりをしたいという思いでコミットしていました。

もちろん、就活成功したのは佐藤さんのおかげで、サポーターズ最高っす!!と全面的な感謝をお伝えいただけるのは幸せではあったのですが、
"押し付けではないきっかけづくり"みたいな文脈でいうと、

佐藤さんは良い意味でエージェントっぽくなくて信頼できました

ハードルの高い企業に挑戦するきっかけをくれてありがとう

などという言葉はスタンスが伝わっているように感じて、心から嬉しかったです。

この経験から、「きっかけづくり」―何かに出会えるプラットフォームに携わっていたい、というキャリア軸を得られました。

- ToCのWebサービス運営に携われたこと

自分の仕事はイベント企画運営&エージェント業でアナログな部分もかなり多かったのでWebサービス運営してたぜ!!っていう実感はそこまでないのですが…笑

コロナ禍前の1年は、オフラインイベント&出張&地方イベントといえば佐藤みたいな立ち位置で、PCを開くより顔を合わせて学生さんと話している時間の方が長かったかもしれません。

フロントマンとしてユーザーに接していると、イケてるポイント、イケてないポイントを聞く機会が多く、
ユーザーはサービスのどんなところにメリットを感じて、どうすると離れて行ってしまうのか?ということを事実に基づいて情報収集する姿勢が身についたように感じます。

ふりかえり:苦しみ

- 「知ったかぶりアレルギー」

誤解を生む表現ですが。。。就活サービスの中の人や、採用に関わるときってみんな知ったかしないといけないの?って、そういうことではありません。

ただ、知ったかぶりできたらどんなに楽だろう。と思う場面は毎日のようにありました。その背景を記します。

1.「教え導く者」
人材業界の中でも、新卒の学生さんの就職活動をサポートするという立場の人間は、「教え導く者」になりがちです。
なにもわからない学生さんのために、手取り足取り一緒に頑張ってあげなくちゃ。そのようなやさしさがモチベーションで同業者はとても多かったように感じます。
中途の転職支援に比べ、新卒の学生さんは就業経験もなく何もかもが初めて!という状態なので、もちろんそういった教え導いてくれる方々の存在がありがたい場合もあるでしょう。(実際私も新卒の就活時には地元の人材系企業の方に大変お世話になりましたし、今回の転職もアドバイザーさんのサポートを受けています!)

2.「学生さんの仕分け」
就活サポートと言ってもビジネスなので、収益を上げなければなりません。
と言っても、自社は嘘をついて学生さんに企業を紹介して、、、みたいな激ヤバ闇エージェントはさすがにしていなかったのですが、
イベント業やエージェントをやるうえで、イベントの構成やエージェントとしてのスクリーニングにお金をいただいているため、「学生さんをレベルで仕分ける(ハイレベルなのかポテンシャル層なのか)」みたいな仕事も必要でした。
もちろん、学生さんにもメリットがあるようにサービス設計はしていて、「自社の利益―学生さんへの貢献性」のバランスをとれるよう尽力しているのが我々のような企業なのですが、それでも「学生さんの人生と、短期的な自社の利益、どちらをとるべきか…」というトレードオフの構図になることもあります。

教え導く者としての活動、学生さんを仕分ける業務、この2つを両立にさせるには、大げさに言うと、この世のすべてを知っていないとならないように感じていました。この世のすべてをその時点でつかむのはとても難しいから、知ったかぶりをできたらどんなに良いだろう。と思っていました。大げさすぎるんですけどね。

もちろん就活相談に乗っていたとしても、企業紹介をしていたとしても、彼らの人生を完全にコントロールすることはありません。

そのため、必要知識をどん欲に学び、何より目の前の学生さんにしっかり向き合っていけば良い、そこまで重く捉えすぎないように、と上司や周りからはよくアドバイスを受けていました。

しかし、自分の価値観のなかで、相手の自由意思を尊重したい思いや、「相手の立場に完全に立てたと思うことは驕りだ。」というポリシーが強く、アドバイザーとして学生さんに接することに葛藤を覚える日々が続きました。
会社から離れた時の私は何より自由を重んじる人間で、教え導く者、という表現もあえて大袈裟に書いてはいますが、自分はそのような存在にはなれないとずっと考え込んでいました。

いま振り返ると、ユーザーさんは自分の自由意思でサービスを使っているので、対等にビジネスライクに付き合っていき全力を尽くせば良いというシンプルな考えでも良かったのだろうとも思います。人材業界を最高のフィールドだと考え、知ったかぶりではなく本当に何でも知っているような人に成長できたら、スーパーアドバイザーになれたのかもしれません。

ただ、やはり価値観ベースで強い違和感を覚えてしまっている中で、エネルギーを使って切り替えてまでこのビジネスに人生を注ぐほどの強さは私にはありませんでした。

そんな中でも、悩みをエンジニアをやっている友人たちに聞いてもらっていたのはかなり助かりました。

「企業様が求めている技術レベルや、どのような人がどのような評価を得てきたかというデータを人材系の企業は持っている。思い込みで仕分けしているわけじゃないし、データに基づいてアドバイスをしているわけだから、罪悪感を感じる必要はないよ。」

このようにフォローしてくれたおかげで負のスパイラルからは脱することができました。

- 「私がやった」/ 「インフルエンサー」に関心がなかった

これはつらかった、というよりは、この関心の薄さが、人材サービス/学生さんにまつわるサービスに従事し続けるモチベーションを保てなかった大きな要因なのだろうな、という話です。

就活サービスの中の人の仕事で、他の仕事とは少し違う特徴的なやりがいは、
「私がやった」ということ / インフルエンサーになることの2つなのではないかと考えています。

「私がやった」=「私のサポートのおかげで○○さんが入社できた!」という担当者個人の介在価値を発揮すること

インフルエンサー=自社サービスについて自分自身が広告塔になりSNSなどで宣伝をすること

この特徴的なやりがいについて、もちろん佐藤さんのおかげです!と言われればテンションが上がるし、一時期はモンスターエナジーを飲みまくるサポーターズの中の人みたいな感じでTwitterを頑張っていた(?)時期もありました。

魔剤仲間が増えて、これはこれで楽しかったですが謎のブランディングだといまになって思います笑

ただ、それが最終目的ではもちろんないとはわかりつつ、介在価値を実感すること、インフルエンサーっぽい活動をすること、この2要素に他の人ほど執着がないことにも途中で気付きました。

昔から、黙々とただ良いモノをつくる、みたいな職人キャラが好きだったのです。

それをふと思い出す日があり、だから少しこの働き方に違和感があるのかな、なんて思い始めました。
この気づきから、自分の名前が表に出なかったとしても、愛着の持てるプロダクトの作り手になりたいと思うようになりました。

サポーターズ、そして何より、全国のエンジニア学生さん、本当にありがとうございました!

退職という決断をしましたがサポーターズの皆さんには感謝でいっぱいです。
いま、とても納得感のあるネクストキャリアを掴めたと感じているのですが、サポーターズでの経験なしではここまで考えが至らなかっただろうと思います。

- 優秀かつ愉快なメンバーとToCのWebサービス運営をできたこと
- 1000名を超すエンジニア学生さんに関わり、「自分もこのかっこいい人たちと一緒に、プロダクトのつくりてになりたい」と思えたこと
- 自分が葛藤を覚える場面(人に対し強いコミュニケーションをとること、「教え導く」こと)を自覚できたこと

サポーターズを信頼し、活用してくれた全国のエンジニア学生さん…本当に本当にありがとうございました!

私が2年走り続けられたのは、サービスを活用して活躍の場を掴んでいる前向きな姿に元気をもらったことや、イベントで、社員の私まで仲間に入れて楽しい時間を過ごしてくれた、皆さんの優しさのおかげです。
モンスターエナジーの人という認識はだいぶ嬉しかったですw(モンスタージャパンに就職もちょっと憧れました。)

私自身が次のキャリアをポジティブに決められたのは、紛れもなく、エンジニア学生の皆さんのプロダクトづくりに真摯に取り組む姿に物凄く良い刺激を受けたおかげです!皆さんと出会い、私も愛されるプロダクトの作り手になりたいと思いました。

皆さんのこれからの大活躍を心から願っております!本当にありがとうございました。

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