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4/1-39.2℃

4月1日は晴れ晴れしい日だなぁと毎年感じる。

午前8時半、自分の前を歩く男の子は、着慣れていなさそうなスーツに身を包み、後姿からも緊張が伝わってくるほどだった。きっと新入社員だろう。

何気なく目線を下げると、彼のジャケットの裾には、まだしっかりとしつけ糸がついていた。
後ろからそっと声をかけ、その糸がしつけ糸と呼ばれていて、着る前に切ったほうが良いであろうことを伝えた。

彼はすごく助かりましたと礼を言い、ちょうどゆく道の先にあったコンビニに向かって歩いて行った。恥ずかしそうに歯を見せて笑う表情が良いなと思った。勇気を出して声をかけてよかった。これから頑張ってほしいなと新入社員か確かめてもいないのにお節介おばちゃんは思ったのだった。

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症状を彼にうつしていないことを祈る。密着して話したわけでは勿論ない。お互いマスクをしていたからきっと大丈夫だろう。

彼に声をかけた日の午後に体調を崩した私は、39.2℃の発熱で意識朦朧の中、総合病院に入院をした。

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急性胃腸炎だった。体は正直強いわけではないが、ここまでの重症に至ったのは久々で、入院をするのは10年ぶりだった。

ただ医療の力は素晴らしく、2日半の絶食+点滴治療ですっかり良くなり、4/6現在は退院し普段の生活に戻ることができた。

たった数日の入院で何を言ってるんだという感じかもしれないが、やはり1人で体調を大きく崩すのはかなり心細いものだった。

移動も、荷造りも、手続きも、もちろん治療も全部一人。ドクターや看護師さんが化粧っ気のない私を学生だと思ってかなり甘やかしてくれたのは救いだったが、途中で忘れものに気付いたり、体調と一緒にメンタルもやられて無性につらくなったりと、物理的にも精神的にもハードだった。

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誰かに助けを求めればいいじゃない、と思うかもしれないが、人に頼ることは案外難しい。人が自分にどれだけ興味があるかなんてわからないから。

隙あれば自分語りという皮肉がネット界隈で流行?したように、人は時に冷酷なほど他人の自己主張に厳しい。だから、Instagramのストーリーは流行るのかもなんて考える。24時間で消える手軽さが、可視化された承認欲求のいやらしさを軽減するような気がする。
私は他人の自己アピールに寛容な方かと思う。可愛く撮れたら褒めてほしいし、自分を知ってほしいよなそりゃあ。

noteで赤裸々に日常や恋愛観を書くことはできるのに、何故入院してつらいよ〜というメッセージを誰かに送ることは難しいのだろうと自分でも不思議に思った。
両親にさえ入院の事実を伝えることを躊躇してしまっていたくらいだ。(たまたま言わなければ不都合が起きるタイミングだったので言ったら泣くほど心配された)

SNS投稿よりもメッセージに躊躇いの気持ちが強いのは、1on1で自分の近況を届けることで鬱陶しさを感じられたらどうしようと思うからだろう。SNSなら興味がなければスルーすれば良いが、メッセージならどれだけ興味がなくても返信しないわけにいかない(無視という攻めの選択肢もあるにはあるが)。

想像以上に私は臆病なんだなあと気付かされた。

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心配して遥々差し入れに来てくれた友人が2人もいたこと、何人もの知人にメッセージをもらったことを考えると、周りに恵まれていることにも気づくべき期間だったとも思う。そんなに臆病になることないくらいに。

ある後輩には、LINEのやりとりをしている中で飲みに誘われ、ごめん実は入院してんだよね、と打ち明けた。
なんで早く言ってくれなかったんですか、自分はそんなに頼りないですか😭
との返信。少し、寂しい思いをさせてしまったようだ。

心配させたら悪いと思っての行動だったが、それもまた自分勝手な思い込みによる過度な遠慮だったのか、うーん難しい、と病床で頭を掻いた。

じゃあその子が入院報告を送ってきたらうざったく感じるのかと自問しても、決してそんなことはなかった。むしろ頼ってくれて嬉しい。しかし、やはり自発的に自分通信を送るのは憚られるというのは何故なのだろう。

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どれだけ向かい合っても、直接言葉で尋ねたとしても、他人の気持ちをダイレクトに受け取ることは難しい。自分の感情さえ、理解も制御も不能なことが多々あるのだから当然だ。

だから結局、自分がしたいようにするしかないのか。高熱でしんどくて慰めてほしい、悲劇のヒロインモードならかまってちゃんメッセを送っても良かったのだろうし、ネガティヴな反応が怖いならひとりで粛々と療養に励むのも正解だ。

他人の思いを想像するのは大切なことだと思う。ただ真実は誰にもわからないし保証もできないのなら、コントロール可能な自身の行動だけを頼りにしていくしかないのだろう。

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入院直前に新入社員らしき彼にしつけ糸について声がけしたことは、全く後悔していない。あの顔色悪い女、お節介だったなとあの彼に思われているかもしれないが、巻き戻せない過去を悔いても仕方がないし、乱暴な言い方だが知ったこっちゃない。とにかくあの時迷惑と思われるかもという気持ちよりも、恥をかいたら大変だから教えてあげたいという思いが強く、行動した。それだけが事実なのだ。

入院中しんどい近況を報告したくても出来なかった臆病さが確かに自分の中にあった。しかし、後輩の頼ってほしかったという言葉は嬉しかった。
この人には頼っても良かったんだろうなと思うなら、次から少し弱みを見せても良いのかもしれない。

退院して残ったのは、死に至る病でなくても、体が弱ると心もしんどくなるのだという気付きと、差し入れに来てくれた友人たちの存在は勿論、メッセごしに心配してくれる人々からの思いやりもかなり助けになったということ。

だから、隙自語なんて概念忘れていいから、これを読んでくれた友人知人の皆さんは、
しんどい時は24時間365日メッセしてきてください。メッセが億劫なんて元々思わないタイプだけれど、入院してさらに、そういう時の連絡がどれだけ気分的に助かるかを知りました。

したいと思ったら連絡する潔さも必要だと感じた。だから鬱陶しく思われても、気になった時は連絡しよう。そういう人間に私はなるのだ。

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結論がまとまらず筆が1日止まった。記事を書くたびに仕事でもなんでもないこのただの自己満の文に悩んで休日が終わるのだが、そんな時間も嫌いじゃない。

そして結局、悩んだ割に、いつにも増してまとまらない文章だが、まぁ良い。

平熱まで下がり、コーヒー2:牛乳8のカフェオレをがぶ飲みできる日常が戻ってきた!それだけで上出来だ。

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