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ドストエフスキー 大審問官 「カラマーゾフの兄弟 第5篇 プロとコントラ 5より」を読んで

みなさん、こんにちは。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に収録されている「大審問官」を読んだ感想を書いていきます。

あらすじです


次男のイワンが三男のアリョーシャに自分の考えをもとにした小説を作ったと言います。

前回のやつです

その小説は

大審問官

という物語。

舞台はスペインのセヴィリア。神の栄光のため、国内では毎日のように異端者が火あぶりにされていました。

その物語の主人公は90歳の大審問官。

国内では偉い立場であり、神様の教えを受け継いで、それを国民のために改変し、国を支配していました。「大審問官の教えを守らないもの」や「別の神様の教えを信じているもの」は、異端者扱いされ、火あぶりにされていました。

そんなある日。この国にある人が現れます。

それは

神様の姿をした青年

です。

その国民は青年を見ると、すぐに彼のところに駆け寄っていきます。

ある老人は青年に

「私の眼を治してください。そうすれば、あなたさまを見ることができます」

と言います。

老人の言葉に青年は彼の眼をさすっていきます。すると、老人は眼が見えるようになりました。

次に青年は大聖堂へ行きます。そのとき、棺桶に花を持った少女が納められていました。周囲の人は青年を見ると、ざわめきます。

「もし、あなたさまが本物の神様なら、この少女を生き返らせて下さい」

というと、青年は「起きよ。娘」と呟きます。すると、少女は棺桶の中から起き上がり、優しい目をして辺りを眺めていました。

この二つの出来事から、国民は歓喜します。

「とうとう、帰ってきたんだ。『私は帰ってくる』という言葉は本当だったんだ」

国民は青年が歩いた道に口づけしたり、讃美歌を歌ったり、彼の後ろについていったり、陶酔状態でした。

そのとき、大審問官はその光景を目の当たりにします。

青年が人々に見せた行為に、大審問官の顔はみるみると曇っていきます。

そして

大審問官は側近に向かって青年を捕えるよう、命令します。青年は抵抗せず、そのまま連行されます。

陶酔していた国民も青年が連行されるのを黙って見ています。それどころか道を開け、大審問官に跪いていました。

青年は古い建物にある牢獄へ閉じ込められます。やがて一日が過ぎ、大審問官はその牢獄のところへ行き、青年に向かって問います。

「おまえは、あれなのか。あれなのか」

青年は大審問官の問いに黙ったままです。

「いや、別に答えなくてもいい。本物だろうか、偽物だろうか、そんなこと関係ない。わしはただ、国のルールに反するものがいれば、処刑しなければならないんだよ。今さら、あれが帰ってきたとしても、どうだと言うのだ。何も付け足す権利をもっていないし、国全体が混乱する可能性がある」

このように、大審問官は自問自答を繰り返し、青年は黙った状態がしばらく続きます。

大審問官は、ある疑問を青年にぶつけます。

ある疑問とは

青年がかつて悪魔から受けた3つの問いについてです。

1つ目は

青年が荒野で修行していたときのこと。断食修行で数日間、何も食べない状態でした。そのとき、悪魔が現れ「この石ころをパンに変えてみろ」という問い。

その問いに対して、青年は「人は物質的な目的だけで満足するのはでなく、精神的な満足感を得られてこそ、充実な人生を送ることができるのだ」と言って悪魔を退けます。

2つ目は

青年が神殿の高いところにいたとき、下を眺めていました。そのとき、悪魔が現れ「自分が神の子と思っているなら、ここから飛び降りてみろ。もし神の子なら、天使やらが現れ、おまえを地面に落ちないよう、守ってくれるだろう。さあ、やってみろ」という問い。

その問いに対して、青年は「神様をためすのではない」と言って悪魔を退けます。

3つ目は

青年のもとに悪魔が現れ、「おまえが持つ『神様』という肩書きを外してみろ。そうすれば、土地などをおまえに与えよう」という問い。

その問いに対して、青年は「そういった意味での肩書きではない。そして、それを理由にして、語るのはよくない。我々は自由で平等なものだから」と言って悪魔を退けます。

という3つの問いです。

この3つの問いには、奇跡・神秘・権力という意味がある。と大審問官は言います。

「この3つの問いには、世界中の人々が抱える問題、そのものが秘められているんだぞ。その3つ問いを受け入れることができれば、解決できるはずだ。それなのに、おまえは全部退けた」

大審問官は青年がかつて出した答えに対して、納得いかないようです。

「世界中の人々は、おまえが言う『自由』というものに、苦しめられているんだ。なぜなら、人間は『自由』という重荷に耐えられることができないからな。簡単に言えば、善悪の判断とかだ。それが簡単にできないから、この先、誰を信じていえばいいのか分からないのだ」

大審問官は続けます。

「例えるなら、幼少期から少年時代は両親や教師の判断により、「これをしてはいけません」や「これをすると、君やみんなのためにもなる」といったものなどがあったから、『自由』という苦しみに多少耐えることができた。しかし、成人になると、『自由』は保障されるが、善悪の判断などは自分でしなくてはいけないようになった。実家を出て社会という世界へ踏み入れると、なおさらだ。『自由』とは、何かについて日々考え、悩む。そういった連中が今でも、迷える子羊のように溢れている」

この世界は動物が進化し人間となり、知恵を持つようになりました。そして「パン」という食料が生きていくために、必要となってきます。かつての時代にて、動物のような弱肉強食の世界で「パン」を食べれるもの、食べれないものに分かれます。そのなかで「パン」を奪うものが現れ、自分の「パン」を守ろうと必死になります。神様が現れる前、善悪の判断は、自分自身で行い、「パン」を食べて過ごしていきました。

そんななか、時代が経つのにつれ、神様が現れます。

「天界の神様がこの世界を作ったのだ。この世界の根源こそが神である」

と人々に言い聞かせます。すると、神様が言ったその言葉と考えに、人々は共感を得るようになります。あっという間に時代を越え、その考えが広がっていきます。

大審問官も元々、神様の教えに従順し守っていました。しかし、神様が「戻ってくる。信じて待っていよ」という言葉から、いつまでも待っても来る気配がなく、疑問を感じていました。やがて、神様の思想を信じている人たちの派閥ができ、かつて同士だったものが敵となり、争うようになりました。

あれだけ「自由で平等な世界にする」と主張しながらも、人々は悩み、生きづらさを覚えるようなりました。そして、神様がいなくなった後、人々は「自由」という閾値を超えてしまい、「私のほうが神様に対する信仰心が強い」や「自分が信仰する神様が正しい」と言うようになりました。

大審問官がそれらの歴史を踏まえて

神様にとって考えているのは数万人の強者(信仰している連中)だけで、残りの何百万人は強者のための土台になっているの違いない。

と考えます。

「我々が思うに、そういった弱い連中こそ、考える必要があるのではないか。と悟ったのだ。結局、その弱い連中も従順する運命だからな。そこで我々は、彼らから『自由』を貰う代わりに、『パン』を与え、『善悪の判断』などといったものを保障し、人々を管理するようになったのだ」

大審問官がそうしたおかげで

困った時、彼らの手元に「パン」を与えたことで人々は善行について考えるようになったり、自分に何か事態が起きたら、守ってやるという保障。そして、彼らは誰が一番信用できるリーダーなのか判断することができた。

と言います。

「おまえはもったいないことをした。3つの問いを受け入れていれば、全世界がおまえをリーダーとしてついていき、世界を統一できたはずのに」

大審問官の皮肉にも、青年は黙ったまま、彼を見つめています。

「おまえはわしの言葉に腹が立たないのか、そんな微笑を浮かべた表情ままでいられるのが不思議だ。まあいい。明日、おまえを火あぶりにしてやる。昨日、おまえを陶酔していた人々もわしの合図だけで、燃えさかるお前に向かって炭を投げるだろう。これで終わりだ」

大審問官は息を切らしながら言い終えます。大審問官は青年に向かって散々、そんな皮肉を言いました。

実のところ、大審問官はその疑問について、誰に相談したらよいか分かりませんでした。とりあえず、この青年にそのような話を聞いてもらいたかった。そして、何でもいいから何かを言ってほしかったのです。

青年は大審問官を見つめながら、ゆっくりと近づきます。そして、彼の唇に口づけをしました。

大審問官は青年の答えに思わず、全身が震えました。

「もう出て行け、二度と来るな」

と言って、青年を牢獄から出し、彼はどこかに消えていきます。

それ以降、国内では青年を見る人はいませんでした。

そして、大審問官はというと

以前と変わらず、異端者を火あぶりにする日々を送っていました。


感想です


大審問官やイワンは、物事の本質について深く考えていることが分かりました。

例えるとすると

自分が知りたい情報について。

今はSNSやネットが普及し、情報社会が主流となり、手軽に情報を知ることができます。

しかし、多くの情報が毎日飛び交っている状態で、その情報は正しいのか、間違っているのか。という判断は自分自身で行う必要があります。

「自由」という重荷に耐えがたいものはない。という大審問官の言葉から

「自由」に、いつでも情報を知ることができたぶん、その情報に対するメリットとデメリットについての判断は難しく、調べることにも時間がかかるので、少し分かる気がします。

なので

正しい情報を知るため、1つのものではなく、本やテレビ、ラジオなどを聞き、取捨選択していき、物事の本質を判断していく必要があると思います。

大審問官は青年から口づけされても変わらず、自分の思想を信じていたり

イワンも「大審問官」という小説を語り終えた後、アリョーシャに批評をぶつけられても

「全ては許される」という思想を貫こうとしていました。

読んでいると、イワンと大審問官はよく似ていると思います。


自分が掲げた思想や考えなどは

他人を傷つけたり、周りに迷惑をかけなければ

周りに流されず、貫くことで

何かが見えてくるのかもしれません。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

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