レイブラッドベリ:喜びと祝福のライティング〜読むべき本、書くべき事について〜
先日、レイブラッドベリの短い動画を、篠田真貴子さんが翻訳して紹介してくれていたものがSNSで回ってきました。
すごくよかったので、レイブラッドベリの元ネタの60分のスピーチを見てみました。
めっちゃくちゃ面白かったので、訳してみました。
僕は書く仕事はしたことありませんが、沢山の学びがあったし、何より感動しました。
レイブラッドベリが読書も書くことも、ものすごく愛情を込めて生きていたことが、ひしひしと伝わってきました。「とりあえず、これは読んどけ!!!」という作家も沢山、紹介されています。それを知れるだけでも、収穫でした。
難しそうな本から、『チャーリーとチョコレート工場』のロアル・ドダール。『オズの魔法使い』のフランク・バウムなど。読みやすそうな作品も紹介されていたので、途中リンクを貼り付けてあります。よき読書体験の参考になればと思います。
いくつかの具体例は除きました。目次は勝手に付けました。単語いくつかは、英語のまま使いました。長いかも知れませんが読んでみてください。
はじめに
今夜は言いたいことがたくさんあります。皆さんの多くが作家志望だと認識しています。来年を台無しにしないように、書くことの衛生面から話したいと思います。
まず思い浮かぶことは、小説を書くことの危うさです。 どれだけの方が小説を書いているかわかりませんが、うまくいっているのなら、私の言うことを聞く必要はありません。問題は、書き方を学んでいない人が一年かけても、小説が出来上がるとは限らないことです。
初心者、中級者にとって最適な衛生管理法は、とにかく短編を沢山書くことです。質は問いません。少なくとも練習にはなるし、1週間に1本書けば、年末には52本の短編小説ができる。52本の駄作を書いてみると良いでしょう。きっとそんなに書けないでしょうけれど。
(会場、笑)
でも、最終的には例えば30週40週、あるいは1年の終わりに突然、素晴らしい物語がやってきます。私にもそれが起こりました。
12歳から書き始めて、初めてまともな短編小説を書いたのは22歳の時でした。それまで何百万語も書いてきましたが、それは間違った方法だったのです。それらは、ただの真似事だったのです。
H・G ウェールズ、ジュール ヴェルヌ、シャーロックホームズのコナンドイル、 P・G ウッドハウス、なりたいヒーローが沢山いました。
エドガー・ライスバローズの『ターザン』、映画『ジョン・カーター』の原作『火星のプリンセス』、フランク・バウムの『オズの魔法使い』、素晴らしい作品たち。
いつか自分が大人になってオズを書くことを夢見ていましたが、その時は来ませんでした。どれだけ愛していても、自分は他の誰にもなれなかったのです。
今夜から始められる、小説の書き方を学ぶ方法は、短編小説を沢山沢山書くことです。とてもよいトレーニングになります。物事をコンパクトにまとめる方法、アイデアを見つける方法を学びます。
自分でもどこに向かっているのかわからなくなってしまう長編小説とは違って、一週間の終わりに何かを成し遂げることができるんです。それは、心理的にもとてもよいです。
私は30歳まで待ってから、初めて長編小説を書きました。それが『華氏451』です。待つ価値があったと思いませんか。
(会場、拍手)
おすすめの作家たち
私は小説を恐れていました。駄作になるかも知れない作品に、1年間を費やすことの危うさを認識していました。その一年の間に52本、あるいは104本の短編小説ならば書くことができます。ロアルド・ダールやジョン・チーヴァーの短編集を読み、技巧を学ぶことも重要なことです。
(アメリカ文学翻訳者、柴田元幸責任編集の雑誌MONKEYに、ジョン・チーヴァー:村上春樹訳の短編小説特集が組まれています。
とのことでMONKEYおすすめです。収録されているジョン・チーヴァーの「なぜ私は短編小説を書くのか」というエッセイも、レイブラッドベリのスピーチに通じるものがありました。)
リチャード・マシスン、ナイジェル・ニールの短編小説を読んでみてください。 ジョン・コリアーは今世紀最大の短編小説家の一人ですが、彼の名前を聞いたことがないと言うなら、ぜひ調べてみてください。絶版になっているので、私は来年、彼を復刊させようと思っています。彼は素晴らしい短編小説を書き、私が22歳の時に深い感銘を受けました。
(ナイジェルニールの本は見つかりませんでした。『トマト・ケイン』という作品が有名みたいなので、図書館で探してみてください。)
(ジョン・コリアーの短編集は復刊していました。レイブラッドベリのおかげなのでしょうか。)
影響を与えてくれた女性作家も沢山います。イーディス・ウォートン、キャサリン・アン・ポーター、ユードラ・ウェルティの『緑のカーテン』。
(幽霊は、スコセッシ監督、エイジ・オブ・イノセンスの原作)
(ユードラ・ウェルティの『緑のカーテン』、日本語版は絶版です。代わりに南部女性作家ユードラ・ウェルティの誕生という論文がありました。『花咲くユダの木』のキャサリン・アン・ポーターも同じですが、ユードラ・ウェルティも「南部女流作家」というジャンルに区分されるようです。
とありました。)
このような短編小説をたくさん読んで、現代の短編集には近づかないようにしましょう。それは、ただの日常の一コマでしかなく、人生の断片でありどこにも連れて行ってくれません。メタファーがないのです。
最近、THE NEW YORKERを見ましたか?これらの物語の一つを読もうとしたとき、すぐに眠くなりませんでしたか?短編小説の書き方を知らないのです。
(会場 笑)
ワシントン・アーヴィング、メルヴィル、エドガーアランポー、前世紀初頭のSF作家、ナサニエル・ホーソーンをもう一度読んでみてください。
これらの短編集は、メタファーが詰め込まれています。メタファーを見抜く力、メタファーの書き方、メタファーの集め方、それらの能力が上がれば上がるほど、小説を書くのに有利になります。
この中の何人かは、自動的に良い小説家になるでしょう。私はあなたに話すことはもうありません。そのように生まれてきたのは幸運なことです。
私は途中で自分がメタファーコレクターであることに気が付きました。メタファーを見て、どう認識したら良いかを教えることはできません。ただ、もしメタファーを詰め込むならば。今夜からできることは、多様な物事を、多様な分野から、詰め込んでいくことです。
1000日の読書プログラム:メタファーを集める
衛生的で非常にシンプルなプログラムを紹介します。これから1000日、毎晩寝る前に短編小説を一冊読むこと。それから、一篇の詩を読んでください。10分か15分です。古典的な一篇の詩です。
ほとんどの現代詩には近づいてはいけません。詩ではないからです。自分をだまして、詩のように見えるものを書きたいなら、先に行ってください。でも、どこへも行けません。
シェイクスピア、アレクサンダー・ポープ、 ロバート・フロスト、偉大な作家の一編の詩と、一編の短編小説を読むのです。
(前に紹介した、MONKEYのシェイクスピア特集、柴田元幸新訳の『リア王』や、俳優イッセー尾形と柴田元幸の対談『庶民の目でみるシェイクスピア』など収録。)
(もう400年前の作品ですが、この文庫は新訳のおかげで、ものすごく読みやすい。翻訳という仕事はすごいですね(他の作品もそうですが、400年の時間を経ているというのが、改めてグッときました)。)
これからの1000日、様々な分野、考古学、動物学、生物学、政治、文学批評、そして偉大な哲学者たちを比較して読む。オルダス・ハクスリー、偉大な人類学者ローレン・アイズリーなど。彼はペンシルバニア大学の人類学部長です。40年来の友人です。聞いたことがないかもしれませんが、彼以上の人類学者は知りません。ハーパーズマガジンに連載された『The fire apes』は、最高でした。
私は後日、ファンレターを書きました。
「アイズレー博士、『The fire apes』は過去20年間のアメリカの作品の中で、最も素晴らしいエッセイでした。また本を書いてくれませんか。」と。
彼は、「それはいいアイデアだ。また書くよ。」と返事をくれました。博士はその後、17冊の本を書きました。私は15歳も年下なのに、彼の父となったのです。
(会場、笑)
(アイズレー博士、「The fire apes」は見つかりませんでした。)
とにかく毎晩、寝る前に短編小説を1つ、詩を1つ、エッセイを1つ頭に詰め込んでください。1000日が過ぎたら、あなたの頭の中はアイデアやメタファーで溢れます。個人的な経験に対して、深い洞察力で観察することが、可能になります。その洞察力がメタファーを生み、頭の中にある別のメタファーに繋がっていきます。
メタファーを詰め込むこと。個人的な経験の中で、メタファーを瞬間的に見つけられること。この二つが必要なことです。そのために、短編小説を大量に書き、毎晩、短編小説、詩、エッセイの3つを読むこと。それが、クリエイティブな道を開いてくれます。
図書館に行きましょう
私は、大学には行けませんでした。そんな余裕はなかったんです。でも、週に3、4日、10年間図書館に通って、28歳の時に図書館を卒業しました。
(会場、笑)
図書館に住みましょう。お願いです、図書館に住むのです。コンピュータやインターネットに頼って生きている場合じゃありません。図書館に行くのです。確かに私も、今あるもの、使えるものは何でも使う。でも、熱狂的に生きたいんです。図書館での素晴らしい出来事を経験してほしいんです。
例えば、なんでもいいから6冊の本を選びます。そして、「うーん、これは違うかな。これもちょっと違うな。」と、本を選んでいくのです。やがて「この本は、私の写し鏡だ」という本に出会うのです。「これは、私自身だ。」そんな本に出会うのです。
私が自分のような人を見つけたのは、人生のかなり後半、32歳のときでした。ジョージ・バーナード・ショーです。私たちは双子でした。
私が明日無人島に3冊の本を持っていくとしたら、聖書はもちろんです。そしてシェイクスピア。そして3冊目にはジョージ・バーナード・ショーのエッセイ集を持っていきます。彼に会う機会がないまま、亡くなってしまったのは残念です。
(エッセイ集は見つからなったですが、バーナード・ショーの有名な戯曲は読むことができます。)
書くことは、喜びと祝福
そして、古い映画とも恋に落ちてください。1923年、3歳の時に母に連れられて映画館に行ったのは、とても幸運なことでした。初めて見た映画は「ノートルダム・ド・パリ」で、それから何日も不思議な歩き方をしました。次に覚えているのは、5歳の時に見た「オペラ座の怪人」。「The lost world 1925」の恐竜と同じ恐竜が「キングコング」に出てきたのが13歳。
沢山のものに愛情を注いでください。気取らないでください。あなたが好きなものなら、なんでも良いのです。そして、書くことは深刻なことではないのです。喜びと祝福なのです。
楽しんでやればいいんです。「しんどい、大変、、、」なんていう先輩作家は無視していいんです。そんなの知るかよ!!なんです。書くことは「work」ではないのです。すでに多くの人々がよく言っていることですが、書くことに突然煮詰まったら、どうしたらいいのでしょうか?
政治的なこと、社会的なこと、世の中のためになることを書いているのなら、そんなことは止めましょう。私は世の中のためになることを書いているわけではありません。 そんなことは考えてない。楽しみが溢れるように書くのです。
私は人生で一日も「work」をしたことがありません。私自身も羨ましく思いますが書くことの喜びが、日々、毎年、私を駆り立ててくれました。
書くことに壁を感じているのなら、今晩、書いているものを止めて、他のことをすれば治るでしょう。そんな時、あなたは間違ったテーマを選んでいるんです。私の潜在意識は、私に何ができて、何ができないかを正確に知っていました。
私は、長年にわたり有名監督から様々な脚本を依頼されました。1955年当時、ある有名監督は私に、ドラッグに関する脚本を依頼しました。私はドラッグに興味はありません。私はドラッグを使う人が理解できないので、断りました。翌年も別の作品のオファーがありました。有名な裁判を分析した犯罪本でしたが、断りました。
20万ドル分の脚本を断ったのは、そのお金を受け取れば自分が壊れてしまうと思ったからです。いい仕事ができず、悪い評判が立つと思ったからです。そんなお金や「work」に何の意味があるんですか?衛生的に書くために、もし今夜ここにいる皆さんの中に、お金を稼ぐために文章を書くようになった人がいるとしたら、まず忘れてください。
私たち夫婦は37歳で、ようやく車を買う十分な資金ができました。そのころには4人の子供がいたので、車が必要でした。だから街角に立ってパルプマガジンを売りました。1話20ドル 、15ドル 、30ドル。そんな値段で販売しました。
ダーク・カーニバルに収録された全てのストーリーも、その時売っていましたが、結果として本になり今でも残ることになりました。。
読みたいものを書いてきた
編集者ともよく喧嘩しました。彼らは伝統的な怪談を欲しがりましたが、私は伝統的な怪談は読まないので、書きませんでした。私は、自分が読みたいものを書いてきたのです。
23歳の時、喉の痛みで医者に行きました。
「どうしましたか。」
「喉が痛いのです。」
「あぁ、腫れてますね。アスピリンを出しましょう。家で飲んでください。」
「でも、先生。不思議なことに、自分の腱や筋肉、色んな部分を感じてしまいます。」
「あぁ、それは普通のことだよ。頭蓋骨の後ろには延髄があり、後頭部にはひび割れのようなものがある。肋骨の間、顎の動き、膝の関節、足の指をちゃんと見たことがありますか?自分の足が本当に好きですか?ほとんどの人が考えたことがないでしょうけれど。」
そんな話を聞いて。私は自分の骨を感じながら家に帰り、その日の午後、『骨』という物語を書きました。自分の中に怪奇的な何かを見つけた男の物語です。そのような物語は、今までの出版物の中に見つかりません。誰も書いたことがありません。自分の”Fear”に忠実であること。そこから始めるのです。
本当の”Fear”を元に、『ダークカーニバル』『10月はたそがれの国』『何かが道をやってくる』も創られています。
(『骨』は10月はたそがれの国に収録)
過去に戻り、あなたの”Fear”を集め始めてみてください。あなたが熱狂的に愛しているものを10個リストアップしてください。
そして、それらについて書いてください。あなたが嫌いなものを10個リストアップして、それらを殺してください。嫌いな人、嫌いなもの、書いてみてください。怖いものをリストアップして、自分の中の”本当の悪夢”を書いてみてください。
マーヴィンのポイントブランクのような映画を観に行きましょう。自分を傷つけた人間をすべて合法的に殺してしまうという、素晴らしい映画です。
(会場、笑)
たんぽぽのお酒
実際に自分に起こったかどうかわからないけれど、直観的に感じてきた出来事の積み重ねが、本になっていきます。
私は20年ぶりに故郷に帰りました。私が生まれた家の隣にある祖父母の家を訪ねたのです。芝生に上がってタンポポを摘んでいると、近くの女性に声をかけられました。
「もしかして、レイじゃない??」
「そうです。奥様」
「こんな所で、タンポポを摘むのは、レイブラッドベリしかいないと思ったのよ」
(会場、笑)
彼女は、20年ぶりに訪れた祖父母の家を案内してくれたんです。ステンドグラスの窓は昔のままでした。その後、街を散歩していると、”リー・ウィンスキー”という看板の床屋さんを見つけました。
そこは、祖母が通っていたところです。私は、祖母の担当の床屋さんの食事姿が好きでした。とても綺麗な食べ方で、それを見るのが楽しみでした。もうウィンスキーさんが亡くなっている事は知っていましたが、馴染みの人が店にいるはずだと思って、ドアを開けてみたんです。
そこには、75歳くらいの床屋さんが立っていました。私も60歳くらいでしたが、彼は私を見るなり、櫛とハサミを床に投げつけて「なんてこった!40年も待っていたんだぞ!」と言ったのです。「あなたは誰ですか?」私は言いました。「君のおばあちゃんの担当だったんだ。さぁ、座って。」彼は言いました。椅子に座ると私の髪を整えてくれながら、昔話を聞かせてくれました。
「君と兄弟、そして君のおじいちゃんについて、ひとつ覚えていることがあるんだ。
1923年の夏、君が3歳の時のこと。
おじいちゃんは君に軍手と麻袋、5セント硬貨を渡し、近くの野原のタンポポを、採りに行かせた。
それを地下室に持ち帰って、つぶして、ワインを作り、きれいなケチャップ瓶に入れて、地下室の窓際に置いた。
”1922年夏“”1923年夏”“1924年夏”
地下室の窓にはたんぽぽのお酒が、並んでいたんだ。」
あぁ、なんてことだろう。3歳の時にタンポポの酒を作ったかどうか記憶にありませんでしたが、これは真実だと思いました。私はたんぽぽのお酒について、本を書いていたことがあったのです。
彼は、あの時代を贈り物として私に返してくれたのです。涙が止まらなくなりました。家に帰って、今話したようなことをグルメ雑誌に記事として書きました。
この直観的な何かが私を捕まえ、短編を書かせました。
すべての私の本は、”surprise"な出来事からはじまります。
火星年代記
もう30年以上前、ワインズバーグオハイオを読んでいました。24歳の時です。いつか私も、こんな本が書けたらと思って、いくつかのキャラクターやメモとタイトルをノートに書き込んんだのですが、その後は何もせず、忘れてしまっていました。
(オハイオ州のワインズバーグという架空の街で暮らす、労働者階級、変わった性癖、患者を診たくない開業医、過去のトラウマを抱えた人など。街にいる「ふつう人々」の短編が連作となった小説)
その後の5年間は、パリについての一連の物語を書いていました。その頃、27歳で私は結婚しました。妻は私と結婚するために、清貧の誓いを立てたのです。
(会場、笑)
結婚した日、銀行には8ドル。私は封筒に5ドル入れ、牧師さんのところに向かいました。牧師さんは言いました。
「これは何ですか?」
「今日の式の料金です」
「あなたは作家でしょう??」
「そうですが。」
「それなら、このお金は必要でしょう。」
彼はお金を受け取らなかったのです。その後お金ができたので、ちゃんと小切手を送りました。それから3年間は、どうにか採算の取れる物語を書いていました。でも突然、妻が仕事を辞めなければならなくなりました。妊娠したのです。彼女はアビーレントの仕事をしていて、週に40ドルの手取りがありました。
私は怯んでしまいました。突然、私は家族のためにお金を稼がなければならなくなりました。子供が生まれるのです。そんな時、友人のノーマンコーウィンが ー彼は最高のラジオ作家でありプロデューサーでしたー 声をかけてくれました。
「レイ、ニューヨークに行って編集者に会おう。 彼らは君が世の中に存在していることを知らないんだから!6月に妻のケイティと一緒にニューヨークに行くから、案内するよ」と。
それで29歳のときにニューヨークへ行きました。銀行には40ドル、手元には短編小説の束。長距離バスに乗り込みました。それ以外の方法で行く余裕がなかったんです。長距離バスで4泊5日、ニューヨークへ渡ったことがありますか?やるもんじゃないですよ。
(会場、笑)
特に50年前はエアコンもトイレもなかったから、バスは2時間おきに止まっていました。ガソリンスタンドのトイレに飛び出して、出発前に急いで戻る。最低のバスでした。
ニューヨークでも貧乏だったから、ニューヨーク州YMCAから週5ドルもらえました。編集者たちには会いました。
編集者に「小説は書きますか??」と聞かれました。
「私はスプリンターなんです。短編小説を書いています」と答えました。
「そうか、、、でも、短編小説は出版しないんだ。売れないから。 」
私はもう家に帰ろうと思いました。最後の夜、ダブルデイパブリッシング(有名な出版社)のウォルター・ブラッドベリと食事をしました。その席で彼が言ったのです。
「レイ、今まで書いていた火星人たちの話はどうするんだい?彼らの話をまとめて、小説にしないか?『火星年代記』というのはどうかな?」
「え、できるかな。でも、、それは、すごいぞ!!!」
「今夜、本のアウトラインを書いて、明日オフィスに持ってきて。もし私がそれを気に入ったら、750ドルの前金を出す」
私は、徹夜でアウトラインを仕上げ、翌日、彼に渡しました。彼は言いました。
「うん。これは750ドル出せる。ところで、他に素材はある?」
「全身に刺青を入れた男の短編があります。深夜になるとタトゥーに命が宿り物語が始まっていくんですが、、、」
「わかった。もう750ドルだ」
(会場 笑)
そんなある日、何も知らされずあるイラストを渡されました。それが「火星年代記」の主人公でした。
ワインスバーグオハイオ!!ワインスバーグオハイオだ!!ワインスバーグオハイオの人たちを、ようやく火星に連れて行けたんです。素晴らしいことが起きました。
やってみないことには、何が起きるかわかりません。とにかく、言葉を集めてください。言葉をつなげてください。もしかしたら、あなたは忙しすぎるのかもしれません。
「どうしたら売れるんだろうか。」「そのために、何をするべきなのか。」「周りにどう思われるか」という問いに。知的に書く、ということに。そういう書き方をずっとしてきたのかもしれません。
でも、その影に隠れてしまうことがあります。「私は誰なのか。」「どうやって自分自身を発見していくのか。」ということ。
あなたの言葉を集めて、つなげていくのです。そこから始めましょう。今までの出来事、頭の中を巡っていること、それをつなげていきましょう。書いていくと最後のページに、突然あるキャラクターが登場します。それが本当の自分、本当の”fear”、本当の希望、本当の愛の表れです。あなたは情熱を持って書くようになる。あなたは興奮しながら読むことになる。
自分自身について、今まで知らなかったことを発見することになるでしょう。まだ触れていない過去に触れていく事でしょう。私は今も、私の知らない部分に触れています。
The sound of Summer running
45年前のバスでの出来事も書きました。
とある少年がバスに飛び乗ると、通路を走り抜け、私の向かいの席に飛び乗りました。そのエネルギーがあれば、一日に一篇の詩を書くことができるのに。週に一度は短編小説を、月に一度は小説を書けるのに。
私は嘆きました。そのエネルギーはどこから来るのだろうか。ふと足元を見ると、新品の白いテニスシューズを履いていました。
これだ。
「子供の頃、毎年春になると父がダウンタウンに連れて行ってくれたんだ!!」
とある厳しい冬の終わり。私は、地下室で重い冬靴を脱いで、床に放り投げた。代わりに新品の軽いテニスシューズを履いたんだ!
どこまでも走れそうな、あの感じ。すべての稲妻。砂漠を走るネイティブアメリカン。世界のすべてのエネルギーが集まってくる、あの感じ。
これだ。
私はバスを降り、物語を書きました。"The sound of Summer running "という物語です。(たんぽぽのお酒に収録。 邦題『テニスシューズ』)
(ちなみに、ジャズベーシストのマークジョンソンがオマージュで、『The sound of Summer running 』(1998)というアルバムを制作しています。ジャケット写真ではまさに、白く軽くどこまでも走れそうなスニーカーを履いています。)
エピローグ
私はまた、祖母の料理についてのエッセイを書きました。私は祖母と一緒に台所に立ち、七面鳥を解体するのを見るのが好きでした。鶏の解体も手伝いました。私は食糧庫が好きでした。そこで、世界中のスパイスの名前を読むんです。それらは、中国や日本、台北、それぞれのシンボルと綺麗な色彩に溢れていました。
その事をエッセイに書きました。数年後には、40もの短編小説になっていました。突然「これは小説だ!!」と、気がつきました。生まれてくること、成長すること、ひと夏の経験を愛すること。誰かの死で、いつか自分に死が訪れると知ること。人生のすべてを祝福する小説になっていました。
すべては、自分自身の”surprise"から始まっています。
あなたも、そうあってほしい。私たちは生きることから逃げられません。自分の人生以外のどこにも行けません。その人生の一部として、あなたは何かを書いていると思います。そして、「書くこと」に求める事は、たった一つです。それは読者に見つけてもらうことです。そして、こう言ってもらうことです。
「あなたの作品を、そして、あなたを愛しています」と。
初めてそういう経験をしたのは、1950年の春、『火星年代記』が出版された時です。なぜか、5000部しか売れなかったんです。
とある日、シカゴで乗り換えのために2時間空きがありました。私は、友人とのランチのためにシカゴ美術館まで歩きました。到着し席に座ります。周りには観光客がいました。上の階にも、20人くらいのツアー客がいました。そして、私が見上げた時、突然彼らが階段を降りて私の席まで来たのです。
みんな、『火星年代記』を持っていました。想像できますか!?彼らは私の作品の愛読者だったのです。みんなの本に私はサインをしました。こんなシーンに出会ったことは今までありません。
この時、私は書くことの全てを知りました。誰かが気にかけてくれて「あなたは大丈夫、イカれてなんかない。私たちは愛しているから。」そう祝福されること。それが書くことのすべてです。
今夜はあちこちに話が飛んで行きましたが、その中で書くことの喜びと素晴らしさについて、大切なヒントを十分にお伝えできたと思います。まだ話し足りないこともありますし、皆さんにも質問してもらうことにします。私も座りますね。今日はありがとうございました。
(会場 拍手)
スピーチ後、司会者とのセッションにて
(ということで、こちらの動画に続いていきます。こちらの動画は、印象的な部分を一節だけ紹介ます。)
司会者
「レイさん、毎日書いていると伺いましたけど、そうなのですか?」
レイブラッドベリ
「そうです。毎日、毎日、書くんです。書かないとダメになります。書くことは自分自身とその周りの事をきれいにしてくれます。魂を、浄化してくれます。情熱と誠意を持ち、自分の中にある本当の"Fear"を丁寧に扱うこと。そうすれば外への助けが必要なくなり、人生が豊かになる。全員に効くかわからないけれど、私にはものすごく効くんです。」
まとめと感想をひとこと
ふぅ。ここまで読み返しながら、じんわり暖かい気持ちになりました。最後に、全体をまとめるとこんな感じです。
なんて、素敵なんだ。レイブラッドベリ。
スピーチ動画、司会者とのセッションを見て、レイブラッドベリの言う「書くこと」が「work」ではなく、喜びと祝福だということ。綺麗ごとのように聞こえた「お金のために書くのはやめよう」ということが、レイブラッドベリにとっては本心なんだろうな。ということが、ストンと自分の中に入ってきました。
読みたい本も沢山見つかったので、今年の読書はアメリカ文学と短編小説の年になるのかも、なんて考えています。長くなりましたが、レイブラッドベリの声が少しでも届くといいなと思います。ありゃしたっ。
感想戦も書くぞ。
サポート、熱烈歓迎です。よろしくお願い致します。