その心配はどこからくるの?

僕は、2年間担任を持たずに、学校全体を見て回った。

その間、たくさんのお母さん方と面談をした。

と言っても、僕のところに面談に来るお母さん達は、子どもが勉強についていけないとか、友達とうまくいかないとか、学校に行きたがらないとか、基本的に子どもが学校生活において何かしら困っている人たちの親だ。

だから、そういう子どもたちのお母さんと話していると、たくさんの困りごとが出てくる。

でも、そんなお母さんたちと面談をしていて、一つ気づいたことがあった。

それは、子どもが学校生活に何かしら課題を抱えているお母さんたちだが、大きく分けて、2通りのパターンに分かれるということ。

1つ目 なんだかんだ言いながらも「うちの子は大丈夫」だと、最終的には心の底で、自分の子どもを信じているお母さん

2つ目 どこまでいっても、自分の子どものことが心配なお母さん

すごく大雑把に分けると、このどちらかである。

学級担任をしているときは、1の「うちの子は大丈夫」とわが子を信じている、お母さんの面談の時間は「特に話すことがない」ので、ときどき時間を持て余すことがあるが、それはそれで、「あぁ、このお母さんは子どものことを信頼しているんだな」と思って安心する。

逆に、心配が尽きないお母さんとの面談は、いくら時間があっても足りない。心配の種は、いくらでも出てくるのだから。

で、今年はコロナ渦ということもあって、あまり積極的に面談を入れてこなかったため、どうしてもと面談をしたお母さん方は、圧倒的に2の「わが子が心配」タイプのお母さんが多かった。

僕は、子どもが不登校気味になったり、何かしらの問題が起きたりしたときは、基本的には、お母さんに何かしらを気づかしてもらえるために、子どもがそういう状況を作ってくれたのだととらえている。

まぁ、さすがにストレートに「お母さんの問題ですよ」とは、お伝えできないが、それとなくお母さんの心のありようについて考えさせる質問を投げかけるようにしている。

「何か心配なことありますか?」

「そこが心配なんですか?」

「ちなみに、ご主人とはどんな話をしますか?」

「ご主人は、それに対してどんなことこを言っていますか?」

「どうして、心配なんですか?」

「そこが心配だと思う原因は何ですか?」

もちろん、僕も子どもをもつ親として、わが子が毎日楽しく学校に行ってくれることが、何よりもありがたいのはよく分かっている。

だから、学校がつまらないとか、勉強が全然わからないとか、友達とうまくいかないとか、そういうことを聞くと、「大丈夫かな?」と心配になる気持ちはよく分かる。

でも、学校がつまらなくても、勉強が全然わからなくても、友達とうまくいかなくても、当の本人が、それをどうとらえているかが重要であって、それを親がどうとらえるかは別の話である。

だから、学校がつまらない   → でも、まぁいいか。

    勉強が全然分からない → でも、まぁいいか。

    友達とうまくいかない → でも、まぁいいか。

って、子どもが「まぁいいか。」って思っているなら、心配なのは分かるけれども「大丈夫」であると思っている。

そこを、子どもがどう感じているかを確かめもせず「困った、心配なんです。」って心配するから、当の子どもも心配な気がしてくるだけなのだ。

で、さらに突き詰めていくと、どうしてお母さんは心配をするのかというと、自分の経験と照らし合わせて、自分の価値観で判断して、その価値観からずれていると「心配」になってしまうのだ。

例えば、もし、お母さん自身が子どものころ勉強に困ったことがなくて、いつもそのことで誉められていたら「勉強はできたほうが良い」という価値観ができる。逆に勉強が苦手で、そのことによって何かしら嫌な思い出があったら、やはり「勉強はできたほうが良い」という価値観ができる。

それは、友だち関係でも一緒。自分自身の友達との関係でうまくいって良かったことや、うまくいかなくて嫌な思いをしたことがあれば「友達とは仲良くしたほうが良い」という価値基準ができ、「心配」の種となるのである。

だから、子どもに何かしらの問題が起こったと感じたら、自分自身の価値観を見直すいい機会なんですよね。

と言って、もう一度自分自身のその価値観はどこから来たのか?というのを考えてもらえるような、声かけができるよう心掛けている。


僕ら学校の先生は、基本的に子ども時代は割と「いい子」だった人が多い。

だから「勉強はできたほうが良い」

「友達とは仲良くしたほうが良い」

「わがままは言わずに、自分の仕事は最後まで責任をもってやるべきだ」

「人の話はしっかりと聞くべきだ」

など、たくさんの当たり前だと思っている価値基準がたくさんある。でも、それって、本当に大切なことなのかな?

その価値基準は、ほんとに生きる上で必要なことなのかな?

それって、幸せになるために大切なことなのかな?ってのを、もう一度、疑ってみる、というのもありだと思う。

それらを、ずっとずっと突き詰めていくと、本当に大切なことって、僕はたった一つだけだと思っている。

あなたが、幸せに生きていくために大切だと思うことって何ですか?

ちょっと考えてみてね。

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