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人という存在がだす温かさ

自分が住んでるスペインでは3月中旬からEstado de Alarma(緊急事態宣言)による、外出禁止が始まり、約3か月の間、多少の緩和などがされつつも、ずっと続いていた。

それが昨日をもってついに終わりを告げた。今日早速外に出る機会があったんだけど、街の雰囲気がなんとなく明るく見えた。

今までの、外にいる人たちもみんな下を向きがちだった環境が終わり、これから前を向くしかないのを体現するかのようにみんなが前を見て歩いていた。

多くの国で外出禁止、自粛のような政策がとられ、仕事も在宅でやる事になり、家族であっても家と家の行き来が出来ない、実際に会うことが出来ない状態が続いた。

そんな中で、Zoomによる会議だったり、Zoom飲みだったり、テレビ電話のような機能、つまり機械を通してのコミュニケーションを使って、行われるものが多くなった。

実際に、Lineで家族と電話をしてみたり、友人とZoom飲みをしてみたりもした。本当に便利な世の中になったなと思う反面、人の温かさを感じない、ただの会話にしか聞こえないという寂しさも感じてしまった。

人の温かさと言っても色んな事があげられると思う。

人との接触で感じられる体温はもとより、表情から伝わってくるもの、言葉の抑揚から伝わるもの、同じ空間を共有していること、空気感など、

本当に多岐に渡る。

機械を通じての繋がりも、上に書いたものの大部分は網羅している。本当に素晴らしいものだ。それには完全に同意する。

だが、実際にやってみたテレビ電話だったり、映像で繋がる飲み会だったりはやはり実際の会話とか飲み会とは違うと感じた。

そこに温かさがないようにどうしても思ってしまうのだ。

パソコンや電子機器の画面を通しては、その人の顔、表情、声の抑揚が実際と同じように伝えられても、同じようには感じないのだなと改めて感じた。

実際に会ったこともあり、知っている人であるのに、まるで画面の向こうにいるだけでまるでテレビの向こうの俳優のように、違う世界にいる、そんな感じがしてしまってしょうがない。むしろ、離れている事を誇大して伝えてくるように感じる。

人と人が直接会った時には温かさが必ず存在する。それは距離の近さと、そこにある人の存在が表現してくれているものだと思う。

画面を通じた笑顔を見ても、本当は笑ってないんじゃないか?こっちが楽しいって思っていることも伝わってないんじゃないか?存在がないものを見ている気がして不安になる。

今回のコロナで人と直接会う事が出来なくなって、人と人が直接会う事の意味をもう一度考えさせられた気がした。

人というものは目の前に存在しているだけで、温かさを出している。その温かさが表情やジェスチャー、声のトーンなどの表現を作り上げ、それらの表現を一層、豊かにしてくれている。

人という存在が、その人が目の前にいるという実際に存在しているという認識が、コミュニケーションに安心感だったり、温かみを与えるものだと思った。

この先、コロナの影響で実際に会って行われる行為は少なくなっていくかもしれない。しかし、重要な事はやはり、実際に会って行われるべきだと改めて感じた。

こんな時だからこそ、今まで当たり前に感じていたものに気付かされた気がする。

今日からまた人と会ってのコミュニケーションュが始まった。人と触れ合うのはまだ怖いけど、人と触れ合ったときの温かさを求めてしまう。人との触れ合いに安心を覚えてしまう。それほど温かさに飢えていたのに気付いた今日だった!

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