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"The LEPLI" ARCHIVE 123/『自分が捨てたゴミは自分で拾え!!』新たなファッションビジネスの世界を創成するために。

 文責/ 平川武治。
 初稿/ 2014年9月15日。 

 これからのファッション人間もカッコ良く生き延びたいのであれば、
『スローライフ』に於ける『スローファッション/スロークロージング』について関心を
持ち、その為の共生可能なライフスタイリングも考え実行するべき時代が来ています。

 作られたモノの最後は全て、『ゴミ』になる。
格好付けて自己満足の世界でデザインされ、自我と慾のシステムで販売されるモノの経路を
客観的に考えてみると下記の様になり、その ”モノの最期は全て、ゴミとなる。”
この根幹を発想から『倫理観』と共に“服を作る”と言う行為すること。
これが『スローファッション/スロークロージング』の根幹である。

「作られたモノ、服」が”ゴミ”になる過程。/
 ◎自己満足と会社の都合によって生産された”モノ”は、
―受注する―上乗せして生産する―店頭―数回転のリピート*/
店頭在庫―数回の期末セールからファミリィーそして***各種セール
―アウトレット**
―リサイクル業者
=”ゴミ”。
 注/*PCの進化によりこのリピート回数が売り上げ効率となる。
  **アウトレットの出現により在庫品の再販機構が新たな利潤を生み出す。
  ***このセール時に、"70%off"は在庫型の臨界点である。

 ◎気分とこゝろの自己満足と言う見栄そして、安心度で購入された”モノ”は、
―買う―シーズンに着る、数ヶ月着る、数シーズン着る若しくは、一度しか着ない。
―タンス在庫
―リウエアー―家族―友達
―リメイク/リフォーム
―チャリティ & ボランティア
―古着屋
―ネットオークション****
―リサイクルショップ*****
―リサイクル業者/
=”ゴミ”。
 注/****、*****従来の”バッタ屋”はこれらによって新たにな”再販構造”となる。
 そして、”ゴミ”(衣服類)は以下のような選別が為される。
「リ・ユース、グローバル・サウスへの輸出、工業用資材、ウエス、焼却」

 1)スローファッションを考え始めよう。/
 日本のファッション産業には世間で言われる”ブラック企業”構造がその長い間の実績(?)によって常識化されてしまった、ここでも『倫理観』乏しき産業でしかありません。
 これは企業の大小に関わらず、デザイナーブランドと称される少数人の個人の自由の裁量と
自己満足と自我と欲によって企業構造化為され、憧れの巴里へ進出しているレベルから、
国内の帰国組”なんちゃってブランド”レベルの企業までも、戦後の日本においてはその殆どがなんらかの、”ブラック企業”構造です。
 ここにも勿論、個人やその集団である企業が持つべき筈の『倫理観』を欠如させて迄も
ビジネス優先発想で、ここ迄に至ったところでの日本のファッションブランドビジネスの
成長構造でしかない。
 その多くは『倫理観』を持つ事によって『洗練さ』が現われると言う王道なる次元を
知らずして、”金儲け”へ走る世界です。

 この現実は日本のそれらブランド企業は殆どが、”オーナー社長兼デザイナー構造企業”の
形態を周到して進化して来たものがその大半でしかない事によるだろうし、この様な企業構造が未だに多い事でも理解出来る。(ここでは世界レベルに”ファミリービジネス構造とは違う。)
 次なる新たな世代へ向けての、今回のテーマ理念、”サスティナビリィ/持続可能性”という
発想を根幹に期待すべき、新たなる社会へのコミットを考える『スローファッション』には
「倫理観」から生まれる”洗練さ”が大切なキーワードであり、
それぞれが思うところの『倫理観をデザインすること。』です。

 2)ブランドビジネスと倫理観。/
 戦後の日本に於けるファッション産業は現在の大手アパレルと言われる戦前からの繊維産業を母体とした企業と’60年代後半からの、そこからはみ出して自分自由な発想とセンスで服を
作りたいと、自分のブランドを“マンションの一室”を借りてブランドを立ち上げ始めた、
”デザイナーブランドビジネス”。
この流れを当時は、「マンション・メーカー」と呼ばれた。
あの『鈴屋』がディストリビューターとして彼らたちのブランド”を社会にコミットさせる。
 この当時の日本発“マンションメーカー”ブランドデザイナーの発想には
彼らたちの夢と情熱多き、オリジナル性が高かったと記憶している。
と言うのも、この時期の日本発アートや写真の世界を見てもそのオリジナリティの痕跡は
その後の消費社会へ組み込まれることへ急ぎ過ぎたアートや写真の世界のレベルとは
大いに熱量の差異があったからだ。

 そして、そこから生き残って、僕たちが東京のファッションデザイナーですよと
’70年代後半から郎党を組んだ東京発のデザイナー集団、“TD-6"組。
彼らは海外コレクションのトレンドから多くの影響を受けた服作りを上手に自分たちの
イメージングによる空間環境と演出とメディア露出によって時代の寵児になり、
その後、この中から更なる発展へと、度胸ある上手なお金の使い方で”パリ上陸”を成功させ
更に、その後の努力とお金の使い方によって“世界のデザイナー”として日本を代表する迄の
ブランドデザイナーが輩出された。
 また、この時代の国内残留組デザイナーたちもしぶとく、”昔取った杵柄”商法で現在迄、
”駅ビルデザイナー”として生き残っている現実。
これが ’80年代という日本の大衆消費社会構造の発展と、「赤いカードの丸井」商法と共に
進化成功して来た日本のインデペンデントなファッションデザイナーブランドの育ちである。

 その後、彼らたちの余りの身勝手なカッコ良さとビジネスに憧れて’85年来、登場したのが
当時のアパレル系のキャラクターブランド組だ。
彼らたちは当然自分たちが持っている”デパート商法”に固執し、生産背景を駆使し、
D.ブランドのイメージングさへも”パクリ”、売り上げ追求型で現在迄も継続している。
が,当然、”デパート商法"とは不動産ビジネスである以上”店子”としての彼らは、
”枯れ木も山の賑”であり、実質の儲け場所はランク落ちし、”駅ビル”と地方都市の”イオン”
対応ブランドの現実。
 そして、昨今の”ファストファッション”の登場と共にその価格構造がばれてしまった今では
もう既に、再起不能重症組が”多いのがこの時期の第2次アパレル系キャラクターブランド集団
であろう。

 従来迄は、デザイナーと生産工場をその母体としてスタートしたブランドビジネスも
時代が産み落とした”モノの豊かさ”と共に新たな”販売の時代”へチューニングした構造で
もう一つのあらたなブランドビジネスが誕生した。
 これは日本のファッション産業の’80年代”バブル経済”を好機に、’90年代以降にも加わった
”セレクトショップ”と言う名の小売業がリーダー役で活躍する。
彼らの”小売機能”をビジネス形態の武器に登場したセレクトが作る”オリジナルブランド”だ。
彼らたちの作るモノも海外ブランドを小売業機能を使って仕入れ、それらからサンプルを選び
”パクリ”って商品化し、イメージングし利潤追求ビジネスへ構造化した”小売業発”の初期の「SPA系ブランド」の登場である。
ここでは、「売れるものだけを、どのように絞り込んで生産するか?」というマーケティング
主導型であり、多くはファッションヤッピーたちのグループが彼らの育ちである。

 その後は、小売り業でも”古着屋”を営みその古着から”パクって”モノ作りを始めたブランドグループと”横町のファッションD.J.”がブランドを立ち上げる。
 また、当時の時代の表層になった“援交”なる新たな社会現象を利にあっという間に
その立ち居場所を得る事に成功した”シブヤ09系”の登場もある。
 
 そして次なるは、ファッション情報がワールドワイドになり、親が持っていた育ちとしての
”外国コンプレックス”が子に伝わりより煽られ、そこで親の裕福さに甘えた海外の
”ブランド・ファッション校”への留学組の「なりすましデザイナー系」の登場であろうか。
そんな彼らたちのほとんどが、海外での彼らたちの立ち居場所を確保できない卒業生たちは、
帰国後、何らかの経歴を「なりすまし」して国内メディアを利用してデザイナーになるという
「なりすましデザイナー」の誕生であろう。
 
 これらが考えられる日本における現在までのファッション産業の”作り手中心”の
「ファッションデザインーブランドビジネス」の進化論であろう。
 この略通史で共通する事、もうお判りであろうが
それは『”パクって、”モノを作り、イメージングする』と言う事に尽きるであろう。
『パクル』と言う言葉が乱暴で品位無い言葉とおっしゃる輩たちが使って来たのが、
『影響を受ける』と言う言葉か、『うちのデザイナーの感性或いは、イメージです』であり、
これが現在迄に至って来た日本に於けるファッションブランドビジネスの”根幹”である。

 その根幹とは、今は流石にもう死語と化してしまったであろう「感性&センス」と
「イメージ」と言う横文字単語を使い回し、それなりの努力をして成し挙げ、遂げた
”儲け第1主義産業”である事を当事者は忘れないで思い出していて下さい。
ここには何ら「倫理観」という心の有り様やもつべき意識は残念ながら見当たらなかった。

 3)”ユダヤ・マジック”の種とは、「イメージ」という付加価値を生み出すこと?/
 当然ですが、世界のファッションビジネスはこの『パクる』と言う事をそのシステムの
外には出さないで上手く”イメージング”で隠蔽し、
でも、『パクる事』と『パクられること』でこのファッションビジネスのフィールドが
広範囲になりしかも、潤滑に継続可能なプロセスとシステムとした。
ここにもこのファッションビジネスが『ユダヤビジネス』である事の由縁でもある。
("The Fashoin is always in fake."という僕の視点がここにある。)
 世界のファッションブランドビジネスとは、『みんなで”パクれば“怖くない!!』と言う
世界観であり、即ち『倫理観』薄き世界でもある。

 どうですか?ファッションデザインの世界は“意匠登録”や”版権”等の
「コピーライトビジネス」ではなく、「自由放題」が根幹でもあるビジネス構造です。
 しかし、世界の”素材メーカー”にはこの“意匠登録”や”版権”等の世界が確立されている事も熟知しておくべきです。
そこでは、誰が一番儲けられる立ち居場所の構造であるかの関係システムになっていますね。
 
 日本のファッション産業では元々、『倫理観』等を持っていたら参入出来ない或いは、
持っているがために途中で挫折してしまう迄のレベルの産業でしかないと言う実際認識が
必要ですね。
 よく、『パクって、ナンボや!』と言う大阪の船場界隈の言葉がありますが、
これは何も日本のファッション産業だけではありません。
憧れの海外ブランドや世界のラグジュアリー・ファッション産業でも
これがビジネスシステムの根幹には変わりがありません。
 しかし、彼らたちの世界観にはその背後に『宗教倫理』を持ちえているがために、
所謂、『飴と鞭』を使い分けます。
その多くが”企業文化創成”と言う手段や”企業ボランティア”または、”企業チャリティ”と言う
諸慈善行為を為して大いに社会とコミットし続けている事です。

 しかし、日本のファッションビジネスの”オーナー社長兼デザイナー企業”の成功者たちには社会や自分たちの国に還元するようなこの「倫理感」と「精神性」は皆無に近いでしょう。
「自分たちの”会社のため”という目的で個人収入を増やすこと」が裏目的の企業人たちしか
長い間の僕の経験からでも、残念ですが思い出せませんね。
ここがユダヤ人起業家たちとの間での直接的な大いなる相違点です。
 この根幹には、戦後日本の成金成功者たちの多くが、
「目先の自分だけのことしか考えない。」輩たちが、「根性、根性!」で
頑張って来なければならない時代性だったのでしょう? 
 ここには国や社会の時代がもたらした”成熟さ”の相違が挙げられるでしょうし
又、ファッション産業は『ユダヤ民族の産業』の一つである事にも通じる
現実の彼ら民族との大いなるビジネスマインドの相違の一端が由来しますね。

 例えば、日本のファッション界は社会に直接善意でコミットするよりもどれだけメディアや
芸能エンタメ界とお友だちでいるか?そのお友だち関係がビジネスに直接影響を与えると言う
レベルの根拠もここにあるようですね。
 ここで、ユダヤ人と我々日本人の倫理観の差異の一つにはやはり、現代の日本社会がほぼ、喪失してしまった、『宗教倫理』があり、
家庭教育とともに、宗教をどのよに人生の礎とするかにも言える事でしょう。

 4)『スローライフ/スローフード』そして、『スローファッション&クロージング』へ、
 ’90年代終わり、僕が当時”ミッテルモーダコンテスト”のキューレーターをやっていた
バーバラ嬢と知り合いであった事から彼女がその後、企画立案しDIESEL社へ広告代理店と
伴に売り込み成功事例となった、“IT'Sファッションコンテスト”がある。
 このDIESEL社も然り、現在でも世界レベルでの売り上げトップは”DIESEL JAPAN"社
(大阪本社)であり、大いにこのコンテストを利用して彼らたちは日本マーケットへ
微笑みを投げ掛けているのが実情です。(これが”IT'S.”の受賞結果に現れる。)
 なぜ、この“IT'Sファッションコンテスト”を引き合いに出すかと言えば、
僕も第1回2回と審査員に招待されての経験からの話です。
 コンテストのプログラムが全て終了した最終日、その午後遅くから主催者たちは
参加者全員をトリエスタ山間部にあるレストランへ招待してくれる。
実は、これは大切な最終プログラムなのです。
参加者は全て食べ放題飲み放題で大判振る舞いうけ、大いに語り合って交流を交わす機会、
これによって初参加者たちのマインドはエクスタシー&ジエンド!なのです。
この山間部のレストランがイタリーではもう当たり前になった『スローフードレストラン』。
見事な、今的に言えば、”おもてなし”であり、僕も当時、大いに驚き愉しませて頂いた事を
想い出したのです。
 ここで僕が言いたいのはこの素晴らしいフィナーレ、おもてなしの舞台に使われている
レストランが当時流行の『スローフードレストラン』である事を解った参加者が幾人いたか?と言う事のなです。

 ここにもファッションピープルたちの教養レベルの現実があるようです。
“地産地創地元消費”が根幹であり、コンセプトなのが『スローフードレストラン』
正に、この発想がこの閉塞感しか無い現在のファッションシーンを救う、新たな方向性の
重要な一つであり、ファッションの世界にも既に登場し始めていると言う事です。
 それが『スローファッション/スロークロージング』。
そして、このコンテンツは“グローバリズムとローカリズム”のバランス化或いは、
ファッションに於ける『表』と『裏』の世界の共生と共有のための再構築化と
新たなファッション産業の構造改革へ繋がるでしょう。

 多分、日本に於いては実際には今世紀初めであっただろう、
『スローライフ』と言う1個しか無い地球のことを改めて、考えた
新しいライフスタイリングが提案され、メディア化され
その後、『3.11』以後より、多くの若者たちの心を捉え、
そして、若いが故の純粋さと共に、これを機に彼ら世代の人たちが真剣に自分たちの生活に
『スローライフ』、『スローフード』に興味を持ち考え始めたのでしょう。
 
 発端は、『一つしか無い地球』の危機感。
地球とその環境がそれぞれの国家、社会、企業と個人の”エゴ”で最悪な進化へと、
“発展”、“改革”と言う言葉によって、現実になり始めた事に気づき始めたからでしょう。

 この『スローライフ』の根幹は”サスティナビリィ/持続可能性”という理念です。
「自然資源消費や環境汚染が適正に管理され,経済活動や福祉の水準が長期的に維持可能な
ことをいう。」と定義されています。
"Sustainable Development"がWCED/環境と開発に関する世界委員会によって
強調提唱されたのが実は、1987年。
 20数年前から世界レベルで提唱されて来たが、『ただ一つの地球』の自然とその環境は
より、悪化するのみのこの”放置された20数年間”と言う時間経過でしかありません。

 5)『スローファッション & スロークローズ』の時代も訪れる近未来のファッション。;
 着る服1着を通じて、どの様な人たちとの関係性が”持続/継続”をもたらすビジネスに
なって行くか? 所謂、”ファッション産業におけるサスティナビリィ”をもっと生産と消費の両サイドから考える動きが盛んになって来ている。
 
 『大手企業が正しい方向へ一歩を踏み出し始めた。例えば、PUMAが最近開発した靴や
衣料品のシリーズは初の“Cradle to Cradle証書”を獲得した。これによって、靴も服も全て、生分解もしくは再生利用が可能になったシリーズ。
 “Cradle to Cradle証書”/直訳すると、”ゆりかごからゆりかごへ証書”であり、
マグダナー-ブラウンガード-デザイン―ケミストリィー社によるエコロジー認証書であり、
生産から使用、再生迄徹底した倫理規範が必要な認証。
 ポートランドにある”QUEEN BEE CREATIONS”は所謂、オープンスタディオである。
熟練した職人が工業用機械を使って革を裁断しバッグや財布を縫製する様子を見学出来る。』(抜粋/『フアストファッション』より、)
 ここでも以前から僕が言っている『オープンアトリエ+トッピング+クリアープライス』というシステムがファッションビジネスの新たな方向を生み出せるようだ。
 例えば、最近盛んになってきた「コラボレーッション」システムが然りである。
ここでは「リスクとコスト」の削減のための新しい関係性が根幹である。

 『ブルックリンでも、”マニファクチュアーN.Y.”がオープンする。
ここは縫製工場と100人程のインデペンデントなデザイナーたちが共同で使える共労の
ワークショップスタディオである。この結果、コストが削減出来る。
「サンプルパターンメイキング+サンプル縫製+ショーイング+展示会+本縫製+発送」迄が
このワークショップスタジオの機能である。』(抜粋/『ファストファッション』より)
 これ等も以前、僕が『東京に縫製工場を!』というキャンペーンを張った事があるが、
まさにこれである。
 これで東京に誕生したのが『ころも座』であるが、その根幹が理解されていないようだ。

 『例えば、現在では“繊維ゴミ”のうち再利用や再生に廻されるのは、
僅か、15%にすぎない。残りは、埋め立てゴミである。
 ここで、’13年からはパタゴニア、ノースフェイス、アイリーンフィシャー、に続き、H&Mも各店舗で古着のリサイクルシステムを導入した。この為、H&Mはスイスのアイコレクト社と
契約をした。このアイコレクトは古着リサイクルでは世界規模の企業である。
これによって、自社ブランドだけではなく、他ブランドの古着も下取り可能になった。
 ブラジルのメリッサシューズやパタゴニアでは、下取った古着を新たなコレクションの為に再使用している。
この『スローファッション』は食品業界で起きた革命的な変化がアパレル産業にも広がって
来ていると即ち、「産地が商品を選択する時の重要な情報になりつつある。」とN.Y.タイムズも論じた。(今後、もっと考えられる根幹が、“地産地創地元消費”。)
 そして、この『スローファッション』の雇客即ち、消費者が求めるものは、
『完全な透明性』と『心温まるエピソード』である。
”誰が、どの様な環境と人達によって実際に作られているか?”という視線と安らぎ感である。
 また、『スローファッション』はスローフードからの発想で、
”自分の着る物は自分で作る”普段着の事。
大量生産の服はファーストフードと同じく飢えと必要性を満たしてくれるが、
耐久性に欠け、無駄の多いものです。
自分で縫った服には、手料理と同じく愛情と栄養が
詰まっています。

 そして、この根幹には”5つの節約運動”/(USA TODAY COLLEGE/’12-JUN.)がある。
 『古いものこそ新しい+スタイルの組み合わせに挑戦しよう+買うより、交換すべし+
タダより、素敵なものは無いそして、社会的責任を意識する事こそ、今一番トレンディ。』
(抜粋/『フアストファッション』より、)
 「倫理観をデザインする」とはこのようなことを考えるべきでしょうね。

 6)エピローグとして、「ゴミを想えるこゝろ。」の時代観。/ 
 そう、今後のファッションの世界も何処かで“MAYI HELP YOU?"が必要です。
この5つのコンテンツが、”ファッション産業におけるサスティナビリィ”をもたらす
大きなコンテンツになり、『スローファッション/スロークロージング』のための新たな
産業構造と広報が必然となるだろう。
・下取り回収システム。
・再使用の種類とシステムとその技術とスキルそのためのエヂュケーション。
・『スローファッション/スロークロージング』のためのメディア。

 そして、知っておくべき、リサイクル業者のノーマルな再利用区分とは、
*リウエアー/古着としてそのまま再利用或いは、後進国へ輸出。 
**アップサイクル/素材別素材に戻して異製品化。
***ダウンサイクル/反毛材に加工して自動車メーカーへ、防音材や床カーペットに。
****リユース/ウエス等工業用雑巾に。
これらが従来のリサイクルの再利用の区分である。

 参考;幾つかのリサイクルについてのニュース/
日本でのアイコレクト社の活動は/http://www.sankeibiz.jp/business/news/130701/bsl1307010601004-n1.htm
*岡山の高校の試験問題に/
http://www.maniwa.okayama-c.ed.jp/otiai/Nyushi/H25tokubetunyushiMondai.pdf
*バロックジャパンが下取り回収を店頭で行ない始め古着回収ボックスを店頭に設置した。
http://runway-ch.com/ch/news_ladies/entry/293924 

文責/ 平川武治。
初稿/ 2014年9月15日。

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