冷静な出発点に立たせてくれる――佐々木芽生著『おクジラさま ふたつの正義の物語』

 以前『ザ・コーヴ』という映画が話題になった。日本の太地町のクジラ漁について取り上げたアメリカのドキュメンタリー映画だ。ドキュメンタリーと言っても、太地町の人々を悪と決めつけ、それに対抗する活動家を正義のヒーローとして描くものである。日本では、ドキュメンタリーとは中立で事実に忠実であるものと理解されているが、海外ではドキュメンタリーも監督の表現方法のひとつで、伝えたいメッセージに沿って撮影・編集を行うことは問題とされない。問題はこの映画の内容に、日本として正式に抗議しなかったことである――。

 このような見方を『おクジラさま ふたつの正義の物語』という本を読んで知った。『ザ・コーヴ』はいわば問題提起であったが、それに対して世界への発信力が弱い日本はきちんと反論できていない。そんな問題意識を持った著者で映画監督の佐々木さんは、クジラについての映画を作ろうと思い立つ。数年間の制作期間をかけて、その映画が今年(2017年)完成した。

 映画のために取材した内容や考察、背景、歴史などをまとめたのがこの本だ。バランスのとれた映画を作ろうというコンセプトの通り、クジラを巡る問題の全体像がよくわかる本で勉強になった。クジラについて語るなら、まずはこれ、とおすすめしたくなる本だ。

 実際、知らないことがたくさんあった。クジラとイルカの違いは大きさだけ、という基本的な知識から、太地で行われている追い込み漁という方法自体は、近年(1960年代)に水族館で見せるイルカを捕るために始まったものだという歴史まで、イメージだけをふくらませて、事実にほとんど目を向けて来なかったことを思い知らされる。

 イルカを虐殺しているイメージは、それこそ『ザ・コーブ』によって印象付けられたものだが、それは他の地域でも行われていることだ。太地にユニークなのは複数の船で「音の壁」を作って、沖からイルカを湾に追い込んで捕らえる方法だ。これ自体はイルカを傷つけるわけではないし、残酷とも感じない。問題は食用にする個体の屠殺方法で、これについては現在はできるだけ苦しまないようにする方法が工夫されている。

 おそらく活動家たちの考えでは、イルカやクジラを捕まえて殺すこと自体が受け入れがたく、その象徴として注目すべき場所が太地なのだろう。具体的に、とくに太地のどこが悪いのかという話になると論が弱い。

 イルカの体内には水銀が蓄積されているから食べると危険、という主張も『ザ・コーヴ』ではなされている。確かにクジラ肉の水銀値を測ると高く、クジラ肉を食べている太地の住民の毛髪からも高い水銀値が検出される。しかし、長年に渡って健康被害は出ていない。

 どういうことかというと、水銀がゆっくりとクジラの体内に蓄積される場合は、体内で別の物質と結びついて無毒化される現象が起こっている。そうでなければイルカもクジラも次々と死んでしまうはずだ。水俣病の場合は水銀の蓄積が極めて短期間で起こったため、無毒化される前に魚から人間へと渡ってしまった。このような事実もあまり知られていないのではないだろうか。少なくとも自分は全く知らなかった。

 環境活動家の歴史も興味深い。グリーンピースは「映像を使う」ことを発明し、自分たちを主人公にして悪に立ち向かうという構図でアピールしたところ世の中に受けて、多くの資金を集められるようになった。その資金力が各国の政治を動かしている。メディア戦略にも長けており、短時間で記事を書かなければならない記者のニーズを熟知して、報道する側が使いやすいようなキットを用意している。

 このような戦略に対抗するために、日本も、英語で世界にわかりやすく発信する力が必要だというのが著者の主張のひとつだ。アメリカ人は自分の頭で考えて、自分の意見を持つように教育されているので、正確な情報さえあれば、きちんと考え、正しく判断するはずだという。

 その他、国際捕鯨委員会の内実、日本の捕鯨政策についてなど、さまざまな視点からクジラの問題を理解できた。「バランスのとれた」様々な見方を紹介するだけでなく、それぞれを掘り下げている。捕鯨文化を守ろうとする太地の人はもちろん、その文化に興味を持って現地に住み着いたアメリカ人にも密着。環境団体と住民(町)との最初で最後の対話集会を主催した風変わりな右翼活動家も取り上げている。海外から来た活動家も含め、個性的なアクターが次々と登場してくるストーリーも魅力だ。

 個人的にこの本を読んで、初めてイルカショーを観に行った。スーパーで売られていたクジラ肉も買って食べてみた。

 逆に言うと、自分はクジラについて直接の利害関係者ではない。でも海外の映画で悪く言われるのは、なんとなくいやだ。一方的な見方をされると異議を唱えたくなる。ザ・コーヴ的な見方を受け入れるのは難しい。

 このあたりの違和感について、この本が答えを出してくれた気がする。つまり、一方的な見方にしっかり反論し、その上で事実を見て判断していくこと。あなたのクジラについての意見は? と今問い詰められると困るけれど、自分の意見を考える冷静な出発点に立たせてくれる本だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?