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音楽の記事を書こうとした #02


谷口です。
ロボットを作ってる会社でスタッフしています。
音楽の記事を書こうとしました。



#02



バンドやりたい



中学時代、友達とバンドを組んだことがあった。

小学生の頃からアコースティックギターを弾いていたが、これを機にエレキギターに変わり、
チャットモンチーの『シャングリラ』や、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの『アフターダーク』のコピーをした。

文化祭のために組んだバンドだから、文化祭が終われば解散だった。

この田舎町にはライブハウスや音楽スタジオの気配がない。
あるのは寂れたカラオケくらいだ。練習場所を見つけるだけでも苦労する。
その後も続けてやろうという空気にはならなかった。

「高校生になってもバンドやりたい」

ひっそりと僕だけが、そんな想いを募らせていた。

僕の背中を強く後押したのは、
TOKYO FMのラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』発の十代限定フェス、
閃光ライオットだった。

(文字通り十代にのみ参加資格があり、審査を勝ち進んだファイナリストはビッグステージで演奏できる。2008年〜2014年まで開催。)

大会の存在を映像で見て知り、衝撃。
自分と同じ十代の青年たちが何千人もの前で、それもオリジナル曲で、圧巻のライブをしている。

こんな世界があるのか・・・!

俺も、閃光ライオットに出たい!
メンバー、まずはメンバー!
軽音楽部のある高校を受験する!スタジオやライブハウスのある街に行く!
そうすれば、閃光ライオット、出れる!

単純で、頭の悪い中学生だった。

熱狂するオーディエンス。みんなが僕らの歌を口ずさむ。
巨大なステージから見渡す景色。ギターをかき鳴らす姿。

妄想が膨らんでいく。もう止められなかった。



軽音楽部



地元からかなり離れた、軽音楽部のある高校へ無事合格した。

その当時、日本は空前のバンドブーム再来。(アニメの影響だとかなんとか)

入学当初の部員数は100名超え、どいつもこいつも軽音楽部だった。
ここならば、オリジナル曲を作れる最強のバンドメンバーに出会えるだろうと胸を躍らせた。

しかし蓋を開けてみると、
みんなは『軽音楽部=コピーバンド』という意識で活動していることが分かった。
先輩のバンドを覗いてみてもオリジナル曲をやっている気配はない。


あれ?どこにもいない。こんなにいるのに。

まあ・・・俺も作曲の仕方知らないわけだし・・・そんなもんか?


流されやすいのが僕の悪いところだ。

『全員クラスが同じで仲が良かった』というよくある平凡な理由で結成し、
『オリジナル曲をやる最強のメンバー探し』は早々に切り上げてしまった。

例に漏れず、僕が組んだのはコピーバンドだった。



初めてのライブハウス



夏には軽音楽部恒例、ライブハウスを貸し切ってのライブがあった。
1年生にとっての初舞台である。

僕のバンドはトップバッターだった。

音響などの都合上、リハーサルは逆順で僕らが最後になる。

リハを終えた先輩や同期たちが「どんなもんや」とフロアで見ていた。
リハとはいえ、緊張の空間だった。

持ち時間を考えた、コピー2曲。

たしか、RADWIMPSの『最大公約数』と中島美嘉の『GLAMOROUS SKY』だったと思う。


それはそれはひどい演奏をしてしまった。


僕たちの技量のなさが露呈したのもある。でもそれより、空気に飲まれていたことが問題だった。完全にビビっていた。呼吸も全く合わない。
照明や音響のチェックも「そんな感じでお願いします・・・」と頼りない声を返すのが精一杯で、終始グダグダのリハだった。

終了後、他の部員たちの視線が冷ややかな気がしてならなかった。

入部して早々バンドを結成したため名が通っていたのと、新入生の中では少数だったギター経験者の僕がいるということで期待されていて、このライブにはプレッシャーとプライドがかかっていた。

期待はずれ。そんな空気がフロアに流れていた。

完全に落ち込んでしまった。


きっと本番はもっとやばい。
全く楽しめる気がしなかった。


そもそも音楽なんて向いてなかったんだ。
自分に期待しすぎだ。だからショックなんだよ。
不器用だということを忘れていたのか?


ネガティブな感情が心を埋め尽くしていく。







とはいえライブはお金を払って見てもらうわけで、残念な姿を見せるわけにはいかない。リハと同じ失敗はするわけにいかなかった。

気まずい楽屋。部員たちと目を合わせられない。

完全にやりづらい空気にしてしまった。

メンバーも僕も意気消沈、戦意喪失モードだ。

このまま最悪なライブの幕開けか?


絶望の中、楽しかった時のことを思い出す。


みんなでふざけて作った曲があった。


その名は、『ファッ◯ューマシンガン』。

演奏時間1分ほどのパンクナンバー。ゴリゴリのやつだ。
歌詞は「ファッ◯ュー」以外アドリブである。

練習に行き詰まると、息抜きでその曲をやったんだ。
作曲未経験者たちが勢いで作った、頭悪い感じのやつ。

おバカな曲だけど、あの時楽しかったな。




LIVE


あっという間に本番の時間がやってきた。


ステージに上がり、ギターをアンプに繋ぐ。
メンバーもセッティングを済ませていく。
異様な緊張感があった。

「こいつら大丈夫か?」そんな空気が会場から漂ってくる。
照明のライトがカッと点くと、目の前がぼんやりとした。

視線がこちらに集まってくる。

僕がマイクに口を近づけていた。

ボーカルでもコーラスでもないけれど、
『途中のMC用』という名目でマイクをセットしてもらってあった。

「こんばんは・・・

あの・・・

・・・

さっきリハで滅茶苦茶な演奏しちゃって・・・

ああ、やばい終わったーって思って・・・

もうだめだーって・・・

せっかく初ライブ・・・

先輩方も見てるのに・・・

トップバッターで・・・

盛り上げなきゃいけないのに・・・

・・・」

背後にある真空管アンプのノイズ音が、会場の静けさを物語った。


何度もイメージしてた、自分のカッコいいライブ姿。

あれはやっぱり妄想で、これが現実だった。

あーあ。

こんな感じかぁ。


その瞬間、何かが弾けた。


「だから聴いてくれ!!!」


「ファッ◯ューマシンガン!!!!」


すかさずドラムがカウントし、その曲は始まった。

RADWIMPSでも中島美嘉でもなく、紛れもなく僕らの曲だ。


会場が、嘘みたいにぶち上がった。


ギリギリで戦うことを選んだ心は、強く震えていた。




#03につづく

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The SALOVERS (サラバーズ)


ノーガード剥き出しで”青春”を音にした、そんなバンドだった。
彼らThe SALOVERSは、2015年に無期限活動休止を発表した。
このMVの曲は休止前のラストアルバム『青春の象徴 恋のすべて』の1曲目に収録されている。とても美しい曲だ。
世界のすべてみたいな青春が終わっても、相変わらず人生は続いていく。
「青春時代はここからここまで」なんて誰も教えてくれない。
知らず知らずのうちに青春は『あの頃』へと変わってしまい、
世界の本当の姿を知り、過ぎ去った日々を想う。
彼らは若くして勘づいてしまった。青春は永遠ではないということを。
だからこそ、自らの手で終わらせることを選んだのだろう。
”青春の時間の終わり”を、『希望』に変えてくれる歌だ。


The SALOVERSの休止後、ボーカルの古舘佑太郎さんは2017年に新たなメンバーとバンド『2』を結成。最近は俳優としてもご活躍されています。

青春が終わっても人生は続いていく。セカンドシーズンが始まるだけだ。


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YeYe (ィエィエ)

3ピースバンド『concentrate on popping』でボーカルをされていました。
その後ソロ活動をするにあたり『YeYe』に。
優しく透き通った歌声に、独特なゆるさ。お茶目さ。
でもその奥側にある、”本当の強さ”が見え隠れする。
そこに惹かれてしまいます。


遊び心を感じる可愛らしいサウンドがとっても素敵です。
何気ない日々を、ささやかな暮らしを、ぱっと明るくしてくれる。

肩の力をふっと抜きたい時、聴きたくなるアーティスト。

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GLIM SPANKY (グリムスパンキー)


2014年にメジャーデビューし、現在でも活動されています。
ハスキーな歌声と渋すぎるギターサウンドに痺れます。
噛みつかれるんじゃないかってくらい強い。
だからこそ聴く者の心を強く揺さぶる。色気すら感じる。
滅茶苦茶カッコいい。


この楽曲、閃光ライオットのステージで演奏していた。
高校生の若さでこの曲を生み出していたのだ。
その時にしかつくれない曲、歌えない歌ってあると思う。
それゆえに、歳を重ねてからかつて生んだ曲と対峙し、
新たな解釈を加えることだって出来る。それが面白い。

サビに入る瞬間、感じるのはまさに『焦燥』。


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谷口



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