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マイノリティは悪(かヅらばし)

あなたの周囲、関係コミュニティ内にマイノリティパーソンはいますか?

要素を挙げれば、価値観、考え方、能力など他者比較出来る万物にマイノリティは存在する。

同じような環境で生きていると、全体平均に何となく収束するが、その中で上や下に大きく外れた個体。それがマイノリティである。

今記事では、マイノリティの要素を価値観に限定する。

価値観においてのマイノリティは、人間社会では基本的に迫害対象となる。理由は明白だ。
人間は、自分の価値観を基準に物事を考え、その価値観が集団において受け入れられる事に喜びを感じ、安心感を得る生き物であるからだ。

そんな中、自分には理解不能な価値観を持つ未確認生物が身近に出現すると、自分を全否定された気になるのである。

つまり、自分と異なる価値観を持つ人間が、自分のコミュニティ内で評価を得ることで、自分の存在価値が脅かされるのではないかと恐れているのである。意識的にこのように考えていない人間でも、「何となく嫌い」と無意識的に当事者を排除するような振る舞いをするのだ。

馬鹿にしたり気持ち悪がったりするのは、自分がマジョリティである事を周囲と確認し合い、一定の安心感を得た後の話であり、周囲の人間がおらず、自分と全く異なる価値観を持った人間の2人しかいない場合、その集合の価値感平均は2人の中間になる為、共存という道を模索するのだ。

ここまではマイノリティパーソンに対する、マジョリティパーソンの認識、応答である。

マイノリティは悪

社会においてマイノリティは上記の理由で、悪者扱いされる。
この鬱陶しい風潮が現代社会において、どれだけの才能を潰しているか考えて欲しい。

出る杭は打たれる

マイノリティは99%が悪とされ、1%が高い支持を得る。
では、その1%とは何か。

その1%とは、富を築き上げた人間や何かの領域において並外れた成績を有している人間である。マイノリティは、成功無しに評価されないのだ。

従来、コミュニティ内で毛嫌いされていた存在であったにも関わらず、成功した途端、人が集まってくる。

そして、決まってその成功とは、お金などの定量化出来る、言い換えれば目に見えるものに限っているのだ。

マイノリティは価値観という概念において、支持を得ることが無い。私はそう感じる

マイノリティパーソンは基本的に優れている。
マイノリティの人間は、常に周囲から異端児扱いされている為、自分の立場を常に意識しているのだ。そして、マジョリティ層の価値観を唯一客観視出来る存在でもある。

他点から集団を観察出来る事から、集団内では得られない知見を有する場合があるのだ。

それ故に、誰もが思いもつかないような発明やビジネスを生み出すことがある。

人々はそれらの人間を”天才”と呼ぶ。

これも気持ち悪い風潮である。
成功するまで散々、腫れ物を見るような目で見ていたにも関わらず、成功した途端、天才という軽薄な言葉で評価するのである。無論、呼ばれた当事者は自分が天才だと言われた事に違和感しかない。

人間とは、自分が成し得なかった事を仕方有るまいとする為に、成し得た人間を天才、言わば、”別の生き物”と認定することで自分を慰めるのだ。

ただ異なる価値観を有するのみの人間は迫害するが、その対象が偉業を成した際は、己を慰める為だけに天才という言葉で片付ける。
都合の良い生き物である。

私はどのコミュニティにおいても中立な立場で居続けたい。

自分の価値観と異なる価値観を有する人間と出逢ったらなら、その出逢いを喜び、理解出来なかったとしても関係を重宝したい。

マイノリティな存在こそ、本当は大切にされるべき存在なのかもしれない。


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