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努力の総量は飽くなき渇望に比例する

こんばんは🌝

試験も終わり、テキストモードでのnote振り返りへと戻ります。
(140文字のつぶやきも落とし込むという点でやはり面白かった)

さて、本日のタイトル

努力の総量は飽くなき渇望に比例する

について

これは先日のキャリアアップの試験を終えた当日、試験会場から自宅に帰宅するまでの車中で浮かび考えていたことであります。

取り組みや挑戦で、手応えという自身の感覚というモノがありますよね。

ゴールを描き取り組み、挑戦の本番を迎え結果を出すという時の感覚。

試験を終え正直、
私は本当に自分が望む自己実現の為に努力を行動を注ぎ込んだのだろうかと思いました。

ネガティブですね笑、正直な自分の感触なので包み隠さず打ち明けます。仕事のでの出来事を感じたままにnoteに執筆し、変えたいと願いながら本当に努力を惜しまずやってきたのだろうか。
やってきたのであれば、不安な感触はないはずはやるべきことはやったあとは天命に任せると。でも後ろめたさがある。

それは渇望していた未来への自分の投資配分(努力量)なのかもしれません。

現実は冷静です。数値や結果が現実を表すのだから。

ましてこれをコミニティや仲間、外部に発信しているのであれば自身の感じるとる手応えについてより鮮明にどうだったのかがわかってきます。

自身の内部から感じるモノ、他者の外部からなるモノ。

そのギャップがある意味、自分の手応えを自信の持ち方に影響を与えるのかもしれませんね。

ギャップが生じた時にただ後悔の念を受諾するのではなく。結果は現実を表すのかもしれないけど、

そこに至るまでの一歩を進めたことも事実であり、間違いなく進もうとした事実でもある。
であれば、まずは自分を褒めよう

これは属しているコミニティ(SRC)の仲間たちから気づかせてもらったこと。

自分を許すということでもあるのかな、
妥協するということではなく在りのままの自分を受け入れること。

努力の総量は飽くなき渇望に比例することも事実。
そこに自分が行った経緯、手応え、結果とのギャップも事実。
それでも前に進もうとした一歩も事実である。

事実に向き合うことは自身の自己肯定との戦いでもある。

その中で仲間の存在はとても大きい。

不安や見えないトンネルの中にいたとしても必ず、光をかざしてくれる存在、私を認めてくれる仲間がいるというのは心の支えであり、崖の淵から堕ちかけそうになっても元に戻してくれる存在である。

私は救われている。結果が伴えば一緒に喜べるのだが、違ったとしても、きっとそんな私での承認してくれるだろう。だから安心してまた次に取り組めるのだ。

タイトルへの帰結に行けてない気がするが、努力の総量を最大限活かすには自分の自信と仲間の存在が大きいということだと感じたこの土日でした。

今日1日に感謝🙏✨


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