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インドのサイキック養成所(虎の穴?!)

「私は、お前のすべてを知っている」

 ターバンを巻いた長身のインド人が言った。

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雑踏からの鋭い視線

 あれはたしか1990年晩秋だったと思う。インドの有名企業本社屋や高級ブランド店などが立ち並ぶニューデリーのコンノート・プレイスは、ビジネスとショッピングの中心街でもあるが、昔ながらの屋台もあるし、当時は実にインドらしい光景や人々に出遭った。いまやスターバックスコーヒーもマクドナルドもある都会の一等地だが、そのインド的情緒や光景は完全に失われてはいない。

 セントラルパークを中心に環状線が三重に広がり、主要道路が放射線状に伸びているのだが、そのひとつ、ジャンパス通りを歩いていくと、すぐ先に昔ながらの露店街、ジャンパス・マーケットがある。その日、ぼくはただぶらぶらとその辺りを歩いていた。車道ではヒンドゥスタン・アンバサダー社製のタクシーが我が物顔で走り回り、オートリキシャーが警笛を鳴らしながら、くねくねと流れの隙間を縫うように往来している。通り沿いの店は一間(いっけん)程の間口しかない店ばかりで長屋のように立ち並び、歩道はごった煮のような人混みで、お互いの身体が触れ合うことにも慣れてしまうほどだった。

 その人混みの先に頭ひとつ突き出た背の高い男が見えた。男の顔は遠くてはっきり見えない。揺れ動く雑踏の中で立ち止まっているからだろうか。それとも奇抜なターバン姿のせいだろうか。周囲の景色や人々がソフトフォーカスのうようにぼやけ、彼の鋭い視線に吸い込まれそうになる。

 ぼくは不安になって目をそらした。気を紛らわせるために土産物屋に目をやる。しばらくして店の軒並みが途切れ、小さな露地が右に伸びる開けた場所に出た。

 背後にさっきと同じ鋭い視線を感じる。振り返ると奥にあの大男が首を左右に揺らしながら立っている。 このインド人特有の首の動きは「No」と首を振っているようにも見えるが実際には「Yes」だ。よく「No Problem!」と呟きながら見せる動きでもあるが、大抵の場合、問題は“ある”。

 彼が手招きをする。ぼくは招かれるまま引き寄せられる。それまでの喧騒がエコーのようにこだまして徐々に遠ざかっていき、彼の声がぼくを突き刺す。

「私は、お前のすべてを知っている」

虎の穴への誘惑

 男は言い切った。なにを馬鹿な……と思ったが好奇心が猜疑心を上回る。

 しばらくぼくを眺めていた男は、すぐさま5 cm四方ほどの紙きれを取り出し、鉛筆でなにかを書き始めた。ナイフで何度も削ったであろう鉛筆はやけに短く、男の大きな手にすっぽりと包み込まれている。書き終わると男はその紙きれをクシャクシャと丸めて握り締め、ダイスを振る時みたいに息を吹きかけた。

「お前もやれ!」

 言われるままにぼくも息を吹きかける。男は紙きれを何度か揉み直して言った。

「私の手を握りなさい」

 毛深い褐色の手にぼくは手を重ねた。すこし汗ばんでいる。その手に男はさらに自分の手を重ね、しばらく目を閉じていた。やがて目を開き呟いた。

「ティカチェ!」(OKという意味)

 握りしめたぼくの指を男が一本いっぽん剥がすように開いていく。思ったより力が入っていたようだ。開いたぼくの手に男は紙きれをのせて「開けてみろ」 と言った。

 走り書きの英数字が並んでいる。ケイ、アイ、エム、アイ、ワイ、オー……ビー ダッシュ ゼロ、エス ダッシュ ワン……。

 なんのことだか分からない。

 男が無表情に尋ねる。

「お前の母親の名前は?」

 頭の中でつぶやきながら、ローマ字綴りに直してみる。母の名前は「キミヨ」だ。KIMIYO……鳥肌がたち、冷たい汗が吹き出てくる。男は淡々と続けた。

「B……これは、お前の兄弟の人数だ」

(ぼくに兄弟はいない)

「S……これは、お前の姉妹の人数だ」

(ぼくには姉がひとりいる)

K I M I Y O
B-0 S-1

 さらに男はぼくの過去を語り始めた。

 ずっと放浪してきたこと。その旅で肝炎を患ってしまったこと。現在の人間関係で悩んでいること……。言われたことはみんな当たっていた。

 そして男はぼくの未来を語り始めた。

 いつ結婚するだろうとか、どんな仕事や生活を送っていくだろうとか……。悪い未来ではなかった。

「ハヌマーン神がお前を守ってくれる」

 ひととおり話し終えると男は猿の姿をしたハヌマーン神のお守りを授けてくれた。でも携帯ストラップのような彫り物の神はなんだか心細かった。

 男は、よくインドのサドゥが持っている布製のバッグから日記のようなものを取り出し、そこに挟んである一枚の写真を見せてきた。モノクロの写真がセピア色に変色した紙焼きの写真。インド式のふんどし、ランゴータだけを纏った半裸の男たちが写っている。髭も髪も伸び放題の男たちが数十人はいるだろう。周りには建物も何もないが、まるで卒業アルバムの集合写真のように並ぶ男たちの中心には、ひときわ貫禄のある年長者らしき男が数人。

「私たちは、ここで修行している。そしてその成果を多くの人の幸福に貢献せんがためにと、こうして都会に出てきて占いをしているのだ。お前がなにか有意義なものを得たと思うなら、我がグル(導師)と仲間のために寄付をしてほしい」

 ぼくは100ルピー札を何枚か手渡した。このまま男についていって一緒に修行してみたいという誘惑を抑えながら……。

******

過去と未来、そして“いまここ”との繋がり 

 あれから30年が過ぎた。

 男の語った未来は、なにひとつ実現していない。その時点で男が告げたぼくの過去はすべて当たっていたのにである。ぼくはなにか選択を間違ったのだろうか。お守りのハヌマーン神を失くしてしまったからかもしれない。

 ぼくは思う。

 過去のことは確定している。だから、なにかしら能力をもつ人には見えるのかもしれない。しかし未来は未だ不確定である。だから方向性はあるとしてもガチガチに固められた未来ではなく、選択肢による分岐があるのではないか。だから未来は変わるのだと。

 もちろんしっかりしていないと因果律の束縛に囚われ、感情と欲望に足をさらわれてしまう。そうなれば最悪のシナリオを辿ってしまうのかもしれない。でも“別な選択肢の結果という現実”は知り得ないのだから、比較のしようがない。

 だから、ぼくは想う。願うといってもいい。いや、信じたいといってもいい。

すべては、ベストのことがベストのタイミングで起きている。

 この“ベスト”とは、ステレオタイプの損得や幸福という概念で定義する“ベスト”ではない。実際には不幸としかいいようのない現実も襲ってくる。しかし、そもそも相対的な比較対象としての、もうひとつの、起きていない現実がなければ、より幸福か不幸かは確認のしようがない。ならば、いまここに起きていることを“ベスト”として受け容れようということだ。

 運命論として諦めようという話ではない。自分の言動への自覚と責任を放棄してしまえという話でもない。しかし、因果律や縁起の法則によってつむがれる結果を、自分自身だけでコントロールできるわけがない。できると考える、あるいはコントロールしようとするならば、それは傲岸不遜だろう。

 ならば結果や顛末については、ゆだね、受け容れる。塞翁が馬の如く。人事を尽くして天命を待つの如く。

 だから、ぼくはなりたい。

 究極の極楽とんぼみたいな楽観主義者でもなく、自分の現状を憂いでばかりいる悲観主義者でもない、究極の「Hope Holder 希望保持者」になりたい。どんなに絶望しても希望を持ち続けられる人。希望は絶望のあとにこそ生まれる。だからこそ強く輝くのだ。

Mysticismへのいざない

 実は、先の男の話には続きがある。

 あの出来事から約1年後。

 ぼくは友人とタイの田舎町にいた。まだ観光地として無名の町、いや村と言ったほうがいいだろうか。町にはカフェテラスを併設した安宿が一軒しかなかった。

 その日、ぼくたちは村人のバイクを借りて海岸まで足を伸ばした。バックシートが年上のおっさんというのが少々残念だったが、まだ観光地化されていない、映画『ザ・ビーチ』のようなビーチを満喫した。

 帰り道、激しいスコールに遭遇。アスファルトのゴツゴツした感触と振動がヌルっと消え、居心地の悪い静寂が足元に拡がった。プールのようになった舗装道路がゆっくりと近づいてくる。「あー、これからここにぼくたちは叩きつけられるのか……」とナレーションを入れられるくらいすべてがスローモーションになった。

 衝撃とともにスローモーションは終わり、今度は極端な早回しなのではないかという勢いでアスファルトを転がる。ぼくは両肘と両膝。後ろに乗っていた友人は両手と背面を強く打った。どうやらタンデム状態のまま転げ落ちたようだ。

 さしたる治療院もなく、安宿で手当てをしたが、ぼくの左肘の傷はパックリと開いたままだった。借りたバイクの持ち主が少し離れた小さな診療所に連れて行ってくれた。4針ほど縫い安宿に戻る。傷はズキズキしたが、それ以外はいたって普通だった。それどころか気分は逆に高揚していた。
 
 食事を頼み、お茶を飲みながら友人と談笑していると、隣席のアメリカ人バックパッカーが話しかけてきた。これから「インドまで自分のアガスティアの葉を探しに行く」という。アガスティアの葉とは、古代の聖者アガスティアが未来の人々(つまり、ぼくたち現代人)の人生を預言したと伝えられている預言書だ。日本でも青山圭秀氏の『アガスティアの葉─運命か自由意志か、そして星の科学とは何か』(三五館・1994)で紹介され、しばらくして大ブームになった。

 ぼくは、すぐにコンノート・プレイスで出遭った男の話を始めた。少しばかり大袈裟に。稲川淳二の怪談風トーンも混じえて。

 ちょっと耳を澄ませば隣のテーブルの会話が聞こえてしまう小さなカフェテラスだ。しばらくすると、今度は別のテーブルに座っていた西洋人女性がドイツ訛りの英語で話しかけてきた。

「ごめんなさい。お話が聞こえちゃったもので……でも、その人ならきっと私も遭った人だと思うのよ」

 女性の母親は、ドイツ人でも綴れないような珍しいファーストネームなのに、男は一文字も間違わずに書き出したのだという。アメリカ人のバックパッカーが目をキラキラさせている。タイにいながら、すでにインドの神秘性に完全にやられている顔をしている。インドでたくさん見てきた顔だ。

 さらにひとり、ふたり、とバックパッカーたちが集まってきては、それぞれの神秘体験を披露し始めた。

 いつのまにか空はオレンジ色に包まれ、やがて星のイルミネーションが頭上に拡がっても話は尽きなかった。きっとあの星の数だけ、絶望があり、そして希望があるんだろうな。そんなことを思ったことを思い出す。

 えっ? そのあとほくとそのドイツ人女性がどうなったかって? それはあの占い師も何も言っていなかったのでゴニョゴニョゴニョゴニョ……。

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