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続 普通以外は規格外?

前回の記事の続きとなります。
こちらでは、2022年から現在までの様子を書いていきます。


2022年旅する1年

2020年、2021年は、コロナ禍とは言えども地方出張があったので久々に国内を色々と回ることができた年となっていた。
考えてみればコロナウィルス騒ぎになる前は、海外旅行ばかりになっていた気がする。
国内を色々と行ったお陰で改めて日本の素晴らしさを再確認したのも事実。
そして、コロナ禍の影響で各地空いている状態でゆっくりと行くことができてしまった。
いつもは、観光客でごった返す京都も空いていた(2021年)

国内各地色々と巡るのも楽しいと思い2021年の終わりから2022年の年初めは「また今年も色々な所に旅行ができるように」「旅をしながら仕事ができるように」と願っていた。
振り返ってみるとこの願い通り2022年は月1回くらいのペースで旅ばかりすり1年となった。
この年は、映像制作とコンサルの仕事をして過ごした1年となったが比重的には、やはり映像の仕事が大きかった。
2021年に続き地方撮影もあり地方へ行く機会が割とあったしプライベートでの旅行もあった。
2022年の行った先をまとめた画像

出張ついでに旅行した場所もあれば完全プライベートとしても行った場所もある。
ただ、完全プライベートと言ってもフリーランスなので常にPCは持って歩くことになりこのPCがなかなか重いので飛行機に乗る際はいつも“Heavy”タグが付けられるほどで毎回、超過料金を支払っていた。
これだけ旅行をしている割に衣裳持ちでついつい色々入れてしまいコンパクトにまとめられない性格でもあるのが原因。
毎回、追加料金を支払っていたのとPC分のスペースも大きいので「このPCがなければ入るのに」とか「PCがなければ軽くなるのに」なんていつも思っていた。
それにプライベートとし旅行へ行く度にPCを持ち歩かなくてはならないことが縛られている感を感じていた。
映像の仕事は好きだけど早朝、深夜、休日関係なく仕事をしなくてはならないので(だからPCを持ち歩く)体力的にも一生できる仕事ではないなとなんとなく感じていた。
でも、この時は仕事と思っていたのでそこまで気にもかけずに頭の片隅で思う程度だった。

気づいたら願望が叶っている感覚

振り返るとこの年は「行きたいな」「乗りたいな」と思っていたものを全て達成していた。
昨年2021年に長崎へ行った際に精霊流しの話を聞いて行きたいと思い、軍艦島へ行ったときにここから五島列島のフェリーが出ているのかと知って五島列島へも行きたいと思っていたり友人から特急ゆふいんの森の話を聞いて乗ってみたいと思い別府温泉も行きたいし青森もいつか行ってみたいと思っていた。
写真を見てお分かりの通り全て達成していた。

達成するぞ!なんて意気込んでいた訳でもなく色々なタイミングが重なり行けた〜と言う感じ。
自分としては、行きたいから行った、たまたま仕事が入ったから行ったとかそんな感じなのでスルリとその場にいたような?言葉で表すのが難しいがよく言うこれが「引き寄せ」?
あまり「引き寄せ」と言う言葉だけでまとめるは個人的には好きではないけが、、、
この話についてはまた別の記事で書こうと思う。
そんな訳で、結果的に年初に願った通り旅する1年を引き続き過ごしている結果となった。
2020年無職からフリーランスと言う働き方に変わってもありがたいことに色々なご縁で生かされていると日々感じる。
そして、この年の終わりには、頭の片隅で映像の仕事は一生ではないと感じていたことがもっと色濃く感じている気がした。(映像業界の景気的にも)
だからと言ってこれを意識してと言う訳ではないが、ちょうど細々とやっていたコンサルの仕事の企画などが通り翌年からもっと具体的なアクションを起こすフェイズとなっていた。
今までは、映像制作がメインでその合間にコンサルをする割合だったので物凄い安価(アルバイトよりも低い金額)で1年間受けていた仕事だったので次から安価で引き受けられるようなフェイズでもなくなって来たのできちんと報酬としての交渉することとなった。
正直、お金の話は苦手ではあったけどフリーランスとして仕事をする以上、お金の交渉は必ず発生するのである意味、勉強となった。

2023年終了と新たなスタート

思っていることが現実化する

良くも悪くもクオリティは置いておいてコロナ禍で映像を生業とする人達やサービスが増えてしまい価格が下がっていると感じた。
業界的にあまり景気が良くないのを2022年夏頃から感じ取っていたが年明けにさらに強く感じた。
この時点で「またか〜」とも思っていた。
この「またか〜」は、自分が社会人となってからずっと(就職氷河期、リーマンショック、就職難など)あり景気に振り回されてきたので。
「もう景気に振り回されたくない」と心底思っていた。
私が制作していた映像は、どちらかというと高クオリテのプロの映像制作なので機材もしっかりしている。
テレビ制作をしている人達が集まるような企業の業務委託をいていたこともあり世の中に出回る安価な映像制作とは価格もクオリティも別物なので比較されてもお話にはならないのではあるが、仕事を依頼してくる企業はその辺りが全く無知なので見積もりの段階で驚かれることもあった。
「映像の仕事は一生できるものではない」この考えが前年の終わりから色濃くなっているのが現実化されそうな予感があったが自分から辞めますと言う訳もなく違和感を感じながらも続いけていたところ業務委託先の企業も業績が芳しくないので契約を打ち切らせて欲しいと言われた。
この時に「あ、強制終了きたな」と思った。
自分から「辞めます」と言い出さないのを何か見えないものに見透かされたかのように強制終了が現実化としてやってきた気がした。
しかし、この話が来たときになんだかホッとした自分もいたのが不思議なもので(収入は減るのに)映像の仕事は「やり切った」と思えたのでなんの未練もなく次の仕事ができると思えたと同時に「もう景気に振り回されることから解放された」とも思ったのであった。
こうしてまた、頭の中で思っていたことが現実化された瞬間を目の当たりにしたことになった。
強制終了が来るまでに他にも思っていたことが現実化されてくる出来事が多々続いたのでこの出来事は偶然?必然?とも思える事についても別の記事で話そうと思うが見えない力みたいな作用の話になるのでその前に私の家庭環境の話を少々しようと思う。

信じる信じない/新興宗教アレルギー

突然こんなことを言うと胡散臭いし一気に怪しさが出てくるが、見えないエネルギーや力、波動などは信じる人、信じない人がいて当然だと思うし信じる、信じないで言うと宗教や神様、スピリチュアル的な話なども同じであるとも思う。
私は、確信がないフワフワしたものが好きではない人間だし新興宗教のアレルギー持ちである。
誤解を招くといけないので書いておくと宗教は自由なので何を信仰するかは本人の自由であり否定はしない。
新興宗教であろうと信仰する人の信仰心を否定するつもりはない。
また、古代からある仏教は素晴らしいと思っているので宗教が悪いとは思っていない。
それを前提になぜ私が新興宗教アレルギーを持つ様になったのかを少し説明する。
私の今は亡き祖母と母親(健在)が新興宗教の信者(母親が現在進行形)であり幼いときは礼拝によく連れて行かされた。
小学校中学年頃から「何かがおかしい」と思うようになり同じ小学校の友達には絶対に礼拝に行くことは言ってはいけないと感じていた。
なぜ、友達には言ってはいけないと感じたのかは、新興宗教が怪しいとか恥ずかしいと感じていたからだ。
しかし、週末になると親に連れて行かれたまにイベントの様なものにも参加させられた。
そのイベントの中に運動会もあり強制的に参加させられたこともあった。
私には、違和感しか感じないのにこの一体感はなんだろう。
とにかくこのイベントに参加することは嫌だった。
少年部(同世代)の友達を作るように親にも言われたが、私はどこか客観的にこの団体に所属する人達を見ていて「友達になりたくない」「みんな同じで変なの〜」と子供ながらに思っていた。
この宗教団体の枠から外に出れば割と私はすぐに新しい友達を作れるタイプの人間だがこの団体の中では一切その能力を使わなかったのが今となれば笑える。(子供ながらに何かを察していたのだろう)
ここでもこの団体の中での「普通」って何?と感じていた。
私は、全く馴染めないし共感もできないはみ出し者。
この頃は、親に連れて行かれるので渋々行くと言う感じだし変なお札(失敬)で身体をさすられたりも苦痛で仕方がなかった。
この行為は、痛いところをお札でさすると痛みが取れるとかで嫌々やらされるが痛みが取れたことは一度もない(爆)
信仰心が強ければ効き目があるのかもしれないが?
幼い頃は、自分の考えがうまく伝えられないので親の言いなりになってしまうのは仕方がない(だから宗教二世問題とかよく理解できる)
年齢を重ねるに連れてハッキリと自分の意思を伝えられるようになるといくら親に言われても一緒に行くことは無くなったし新興宗教は信じていないと自分の考えをはっきり言う様になった。(母親とはこの話題では喧嘩をする様になった)
こんな家庭環境で新興宗教を強要されてきたトラウマもあり新興宗教アレルギーを持つようになってしまった。
古代からある仏教やキリスト教など他なら理解ができるがつい最近できた訳のわからない一般人を神の様に崇める宗教法人ビジネスははっきり言って好きではないし信じられないと言うのが個人的感想。
もし自分がこの宗教が素晴らしいと心から思える点などがあれば疑うことなく信仰しているだろうけどそれが持てなかったので私は信仰していないだけの話。
なので強要はして欲しくないだけなのだがこう言う団体に所属する人の悪いところは、すぐに強要して囲い込みをしてくるところだ。
個人の気持ちを尊重すべきで強要はしてはいけない!
亡き祖母や母親の宗教観についての話もまた別の記事で書こうと思う。
なので私は、見えない力、エネルギー、波動、スピリチュアル的なものは「ない」とは思わないが本物と偽物があると思っている。
だから占いも同じで本物、偽物※1があると思っているタイプの人間である。
注釈:※1本物、偽物と思う価値観も人それぞれでありあくまでも私個人の感覚としての話。

信じる信じない/見えないもの

上記の家庭環境で育った影響で自分が確信が持てないもの、フワフワしたものは信じないし興味がない。
見ない力、エネルギー、波動には本物と偽物※1があると思っているタイプなので信じる人もいれば信じない人もいることもよくわかる。
私も簡単には信じないので気持ちはわかる。
しかし、自分の今までを振り返ると幼い頃から言葉で表すことが難しいが何となく「感じる」とか「直感が働く」みたいな経験は多々してきたのは事実である。
ただ単に「運が良かっただけ」と思っていたが振り返ってよくよく考えるとただ運が良かっただけではないと理解するようになった。
ここ数年の振り返りの記事を読んでみても分かる通りいつも良いタイミングで物事が来ている。
ありがたい事に無職になりそうな時でも必ず仕事が巡ってくるなど、終了(破壊)→新たなスタート(再生)の繰り返し。
そして、世の中の普通と言われる様なこととは逆行して2020年のコロナ禍で世界の動きが一転して大騒ぎにっていたが外出制限どころか出掛けざるおえない状況になりこんなに出かけていたが感染することは一度もなかった。
「あなたは運がいいだけ」と言われればそうなのかも知れないが生まれてきて今までこんなに万人受けしないタイプの人間がずっと「ただ運がいいだけ」で色々な状況を乗り越えて来れるものだろうか?
自分なりに振り返って分析するとここには、見えない色々なモノが作用していたのではないかと思えた。

運がいいの分析

私がいつも意識していたこと。

  1. 自分の直感に従う(自分の場合、絵が見えてくる)

  2. 自分がやりたい、行きたいと思ったことはとにかく何かする

  3. 自分のやったこと、言ってことに責任を持つ

  4. 自分を信じる(直感も含めて信じてあげる)

  5. 万人受けしない自分を受け入れる(個性、才能と思い周りと比較しない)

  6. 自分の行いが循環する、巡り巡ってくるので他人に嫌な思いをさせない

そんなに大それたことではない。
これを言っても「できない」と自分で制限をかけてしまう人はどれも難しい行為になるだけだが誰でもできることだ。

1.自分の直感に従う(自分の場合、絵が見えてくる)

直感については、感じ方が強い、弱いの個人差があると思うので説明が難しいが何か直感で感じたことは従ってみても良いと思う。
または、自分が心地よい、好きと思うがままに行動するなど。
私の場合は、幼い時からかなり直感が働く方で悪いことから免れたり、思っていた通りになったりと言うことを経験している。
なぜそうなったかは、幼い頃から自然にできていたことなので正直、分からない。
不思議な感覚を持っていたのは確かで亡くなった祖母には幼い頃によく「この子は一人でよく遊ぶので手のかからない子」と言われていた。
この話もまた別の記事で書くとします。

2.自分がやりたい、行きたいと思ったことはとにかく何かする

何でもいいのでアクションを起こしてみること。
まずは、それについて調べてみるとかそんな些細なアクションからでいいと思う。
私の場合、知識が入れば具体的にどうすれば良いかが見えてくるからだ。
例えば、行きたい場所があるとしていつ行くとかはまず置いておいて、そこに行くためにはどんな交通機関を使えば行けるのか、金額はいくらくらいかかるのかなどを調べてリアル化していくことで行くために今何をすればいいのかが分かってくると思う。
そうすると、行動がおのずと変わると言う単純なもの。

3.自分のやったこと、言ってことに責任を持つ

どんな結果になろうと自分自身で何事にも責任を持つ。
自分が選択したことなので環境や他人のせいにするのではなくしっかり自分で全てを受け入れること。

4.自分を信じる(直感も含めて信じてあげる)
自分を信じないと何事も始まらないので信じてあげるしかない。
勇気もいることだが、失敗しても問題ないので行動にするだけ。

5.万人受けしない自分を受け入れる(個性、才能と思い周りと比較しない)

私は、ずっと周りが言う「普通」が理解できないし(現在進行形)私の考え方が変なのかな?と思わずそれでいいと受け入れそれも個性だしある意味才能と思う様にして周りと違うことを恐れない。
例えば、私はいつも周りからは派手な服装と言われるので街中で見知らぬ人に二度見されるとかコソコソ話されるとかもあるが、派手な服装を着こなせるのも私の才能で着れる人いないでしょ?とも思うし笑われたとしても私の服装を見て「笑う」ことができたなら良かったねと思う(前向き過ぎる)

中国で買った好きな中国ブランドの服

要は周りを気にしないで好きなことをすればいいに尽きる。

6.自分の行いが循環する、巡り巡ってくるので他人に嫌な思いをさせない

基本的に自分がされて嫌なことはしないを前提にお金に関すること、人間関係に関することは全て循環、巡り巡るので感謝をする。

自己啓発はする気はない

一見、6つともそんなに難しいことではないから「あなたもできるでしょ?」なんて自己啓発的な言い方をする気はさらさらない。
自分自身、自己啓発を今更する年齢でもないし自己啓発的な言い方で片付けるのは違うと思っているからだ。
私は、今まで楽してきたとは思わないし努力や苦労はしてきたと思っているので年齢を重ねればそれに伴い経験も積んでいるので結果的にそうなったと思っている。
上記の6つの行いをただ単に行動できるかと言えば人によって難しいことであるのも理解できる。
そための努力や苦労、勉強は必ずセットなので楽してできると言い切れないからだ。
だから簡単に「あなたもやればいいだけ」なんて言われたら「あなたと私は違うから」と私なら言い返したくなる。
“みんな同じ”ではないからだ。(これは私が一番分かっていること)
あなたの成功パターンが私にも当てはまる訳ないでしょ?と言うことだ。
参考になることはあるかも知れないが同じようにやって同じ結果が得られるかは別の話。
これは、ダイエットやボディメイクでも同じことが言える。
「3ヶ月で何キロ痩せる!」「これだけで痩せる!」とか言っている人と同じ結果になるかは別の話でしょう。
骨格や筋肉のつき方、脂肪の比率、体質など全く同じがないのでその人にあったやり方を探っていくしか方法がない。
だから、私の様に運が良くなるように私と同じ様に行動すれば運がよくなるのかも別の話である。
なぜなら、生まれ育った環境も背景も仕事も経験値も人脈も全てが違うからだ。
物事を細分化して考えると根の部分で共通している事項はそれぞれあるかも知れないが形が違ったりはしているはず。
まず必要なのは、自分を自分で理解しどんな人間であるかを受け入れることだと思う。
そして、結果を恐れずに自分がやりたいようにやるだけ。
自分の理想の結果であるかないかは置いておいてどんな結果であろうと物事は必要な結果がでるのでそれを受け取れば良いだけ。
行動すればそれに伴い色々な出来事が起こるのでまずは動くだけなのだ。
しかし、意外に自分がしたいことが分からないとか自分で分かっていない人も多いし自分自身と向き合う作業をしていない人もいると感じる。

7000年も前から言われていること


自分のダメな部分も良い部分、個性、才能は何か自分と言う人間の棚卸をとことんすると見えてくるものが必ずあるはず。
私の場合は、そこまで難しく考えずに性格的に気になったことを深く追及する癖もあって自分と向き合う作業は、日頃から散々してきていた。
だから今となっては、世間が「普通」と思うことも「普通」とは思わない。
だからと言って規格外とも思わない。
結婚もしていないし、子供もいない。
この考え方についてもまた別の記事にしようと思う。
私のような人間が存在しても良いし、そういう人間もこの世の中に必要としてくれる人もいるのも事実。
世間の言う「普通」ではないからと他人から否定される筋合いもないのである。
こんな生き方をしている私でも世の中は渡っていけるし生きていける。
生きづらいとモヤモヤばかり抱え込まなくても良いし何が生きづらいとか疑問に思うことは何なのか、とことん考えてあげて自分で自分を理解してあげればいいだけのことだ。
かと言って、私は、しっかりと社会人経験も積んでいるので世間知らずの不思議さんでもなければフワフワした人間でもはない。
あまりにも世間を知らないとか世間離れし過ぎた人に言われても説得力がないと思うがその点では皆さんと同じ立ち位置にいる。
それでも、「そうは言ってもね〜」と言う人に昔から伝わる話をしよう。
中国古代から伝わる易経では、陰陽は宇宙の森羅万象でありこの世にあるもの全て陰と陽に分けることができると言われている。
この世の変化は陰と陽の両方が混ざって“変化”が起こると言われているので陰だけでも陽だけでも変化にならず必ず異質同士が交わることで変化が起こると言われる。
同じ考え方の人間ばかりいても変化が起こせないので様々な考えを持つ人間がいるからこそ、この世で変化を起こすことが出来るとも言える。
中国の先人達が7000年も前から言っている事で今も日本の生活の様々な部分で活かされている教えなので説得力があると思う。
生きづらいとか思わず堂々と自分らしく生きればいいし7000年も前から許可されていると思えば気持ちも楽になるでしょう?!
自分は何者であるのかの自分の棚卸をどうやれば良いか分からない方のためにお手伝いさせていただきます。
易を用いたワークセッションで自分と向き合ってみませんか?
占いではなく、自分の心の中にあるものを引き出し易を使ったアドバイスを行います。
あなたの軍師、メンターのような存在としてお手伝いさせていただきます!

太陽星座:蠍座/月星座:牡羊座/ASC:魚座
過去世:俗世と離れひたすら修行していた身
過去世では、俗世と離れていたため今生では様々なところへ旅をしてたくさんの人と交流し今まで積んできた修行の知恵を皆様に役立てたいと思っているそうです。

易を使ったあなたの心の奥底の声を引き出し自分本来の姿を思い出す易ワークについてはこちらをご覧ください。

見えない力と言うと神様や宗教、スピリチュアル、霊感、占い、波動、エネルギーなどいろいろあるが、見えないモノなので信じない人もいるだろうし信じると言う人もいるだろう。
私はと言うと見えない力は確実に有ると思っている。
但し本物と偽物があると思う(あくまでも個人的価値観のもとで)

次回は、見えない力、エネルギーみたいなものについて書こうと思う。




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