死について考え始めたのはいつだろう、私が小学2年生のときだろうか。父方の祖父が死んだ。
80歳を超えていたし病院で衰弱していく祖父を見ていたから、死んだと聞いても驚かなかった。
学校に電話があって、「水銀(本名ではない)さん、おじいちゃん亡くなったみたい……。お母さんがお迎えに来ます。大丈夫?」と先生に言われたのは覚えている。
「大丈夫です。」とだけ答えたが、何が大丈夫なのか、なぜ大丈夫と聞くのか不思議だった。だっておじいちゃん死にそうだったし、くらいにしか思っていなかった。
ランドセルに教科書を詰めて帰る支度を始めた私に、みんなして「どうした、大丈夫?」と声をかけてくれた。「おじいちゃん死んだ。」とだけ答えた。みんななんで私の心配してくれてるんだろう。ただ疑問だった。
迎えに来た母も、祖父の死を看取った妹も祖母も、後から来た父も親戚もみんな泣いていた。私は泣けなかった。
死ぬのは仕方ないことだと思った。
私は小学生にして、死を受け入れられる人格だった。私がおかしいんだと思った。みんな泣いているのに私だけ全く涙が出てこない。
祖父と何も思い出がなかったわけではない。
2世帯住宅だったし、家の1階でいつも祖父と教育テレビを見ては歌を歌った。祖父が入院してからも頻繁に会いに行っていた。大好きだったと思う。けれど泣けなかった。死ぬのは当然だと思っていた。
その後も、父方の祖母、いとこの祖母、母方の曾祖母、父方の祖母の姉などたくさんの親戚が死んだが、1回も泣けたことがない。「泣けたこと」という表現をしているあたり、私は悉く他人の死に冷たく客観的である。

中学生になって、母と喧嘩をすることが増えた。私は死にたいと思うようになった。この頃「自殺」とか「殺人」とか、そういう事件をネットでもテレビでもどこでも目にしたし、道徳の授業なんかでも取り扱ったから、死はより身近なものとなっていた。
けれど実際に死ぬような行動にうつったかというとそうではない。死にたいけど今死んだらどうなるか、そもそもどうやったら死ねるかなど分からなかったからだ。

はじめて自殺を試みたのは高校生になってからだ。そのときはせっかく入った高校で成績が振るわず、母を怒らせまた喧嘩したからだった。母の目の前で窓から飛び降りようとした。私の部屋は3階にある。私は高い所から下を覗くのが好きで、窓に手をかけるのになんの躊躇もなかった。
この書き方をしている通り、最低ながら私は母と喧嘩をする度に死にたい気持ちになっているのをどうにかして母のせいにした。最低である。今思えば親不孝極まりない。
その後も上手くいかないことがある度に、お風呂に潜って口を開けてみたり、ご飯を食べないでみたり、遺書を書いてみたりした。そんなんで死ねるわけがないし、死ぬつもりもさらさらないのだが、これで死ねたら楽になるとやんわりと、本当にやんわりと思っていたのである。
高校生になるとスマホも自由に使えて、死ぬ方法なんていくらでも検索できた。どれも苦しそうで他人に迷惑な方法だったので、こんなふざけた自殺未遂しかできなかった。私は痛いことや苦しいことはしたくない、死にたいくせに小心者であった。

大学受験を意識してからは、あまり死にたくならなかった。友達とも母とも有り得ないくらい揉めたのだが、死は考えなかった。その頃は月に1回公園デートをする、メンタルの非常に安定した彼氏がいたのもある。電話もしないし、LINEを全然(長いと1ヶ月間)返してくれないような人だったが、受験期はそれがかえってありがたかった。とても優しい人で、彼と会うと癒されていた。会ってもたくさん話すわけでもなく、どちらかというと沈黙している時間が長かった。教科書を読んで勉強していると、彼がたまにボソッとダジャレを呟く。そのダジャレに点数をつけて、そこで会話は終わりまた沈黙する。そしてたまに目を合わせてニタニタし、日が暮れたら、彼が私の家の近くまで送ってくれて、バイバイする。なんとも健全で美しい恋愛であった。

そんな平和な恋愛に現を抜かしていたこともあり、私は受験に失敗する。全落ちである。というか1校しか受験にいかなかった。共通テストの出来が悪すぎて浪人を覚悟した。
両親に浪人を猛反対され、仕方なく短期大学に通うこととなった。その短期大学が北海道で、当時の優しい彼は大阪だったので遠距離が確定してしまった。本当に嫌だった。抗うように滑り止めで大阪の大学を選んだが、その受験の前に短期大学への進学が決まってしまった。どうやら彼の滑り止めが北海道だったらしく、それを聞いてまた落胆した。

短期大学進学後、1ヶ月くらいは毎日電話をしていたが、私は遠距離になった途端、彼が毎日電話したがるようになり、無理になってしまった。短大には素敵そうな男の人が何人かいて、私は彼がいながらそのうちの一人の、自分についてきた適当な男と付き合うと決め、浮気という形でかなり一方的にお別れしてしまった。結果その適当な男は素敵でもなんでもなかった。彼に申し訳なかった。

さらに最低なことに、適当な男と付き合いながら、素敵そうな男のもう1人の方を私は推していた。なんなら好きだった。だが彼には好きな人がいたし、自分にも彼氏がいるということで友達止まりであった。
その素敵そうでそうでもなかった彼氏と揉める度、私はその男に相談した。
そしたら彼氏の留学中にその男の家に行くことになり、まあ男と女が家で二人きりになって何も無いわけがなく、またもや浮気となった。これは最低ではない。彼氏も浮気していたので別にいいやと思った。なんなら好きだった人と繋がれてラッキーとすら思っていた。最初は体の関係だったが、彼氏と別れる決意をして、その男とお付き合いをすることになった。

このように私は高3から大学1年の半期にかけて、死を考えたことなどなかった。自分の幸せのためになら何でもする奴であった。
しかしこの男と付き合い初めてからまた死を考えるようになったのである。

お付き合いを始めると色々な質問をする。
「お父さんは何してる人なの」
と聞いたとき、
「父ちゃん?俺居ないんだよね。死んだから」
と衝撃の事実を告げられた。
彼はそんなに気にすることは無いと言っていたが、私はさすがに気にしてしまった。こんな質問するんじゃなかったと後悔した。お付き合いする前に、なぜか彼が自分の家族写真を私にくれて、そこには確かにお父さんが写っていた。死別したのはその後だったらしい。

人様の家族事情を赤裸々に話すのはよくないので割愛するが、実父の死はさすがに彼にも影響したらしい。
彼の自殺未遂の話は壮絶であった。
ベルトで自分を首を絞めたそうだ。
締め続けるとどうなったかも話してくれたが、恐ろしいのでここでは書かないでおく。

大学生になってからも、彼は死にたがる人間であった。私と喧嘩したときや大学でとんでもなく嫌な思いをした日には、彼は必ず自分の部屋で死のうとしていた。刃物を腹に当てているときもあれば、ドアを開けたら彼がドアノブに紐をかけて首を括っているときもあった。私は人生で初めて、人の死のうとする瞬間を目の当たりにした。とても悲しかった。そこで私は初めて死を感じて泣いた。彼だけは死んで欲しくない、そう思った。このとき私は彼をしっかり愛していたと思う。自分のものだから死んで欲しくないとか、自分のせいにして死んで欲しくないとか、寂しいから先立たないで欲しいとか、そこまで考えられなかった。そして死にたくなるほど追い込んでしまった自分や誰かに腹が立った。
いつの日からか、私もそれを真似するようになった。彼と喧嘩したり、彼が帰ってこなかったりすると私は死のうとするようになった。
北海道の冬はとても寒いから死ぬ方法は一つだった。凍死。外に薄着で出ていれば勝手に死ねる。寒いが痛くないし、寝てしまえば苦しくもない。私は寂しくなる度に、吹雪の中薄着で外に出て死のうとした。
でも矛盾していた。死のうとしながら彼に助けてと何度もメッセージを送った。彼は必ず迎えに来てくれて、私のことを抱き上げて家の中で温めてくれた。とても愛されていた。こんな幸せなことは無かった。

ただその幸せに甘えてしまっていた。
北海道から東京に来ても、私は自殺未遂をやめられなかった。彼が遊びに行って帰ってこないと、彼の部屋で首をくくる真似をした。
最初は彼も解いてくれて優しく抱きしめてくれたのだが、あまりにも私が繰り返すので、彼は心配しなくなった。目の前で首をくくる真似をしても「簡単には死ねないから。」「あなたは死ねないから。」と言って見守っていた。
今思えば最悪な引き止め方をしている。めちゃくちゃ迷惑である。
こんなことを繰り返しているうちに、彼はどんどん冷めていった。
冷められているのが分かって、彼が付き合うのを保留している間に私は彼と離れたくなった。
そのときまた適当に自分に会ってくれそうな男の元に行って浮気した。
愚かである。人は失敗を繰り返すが、私は中でもかなり愚かで底辺である。
それが発覚して、彼をさらに追い詰め冷めさせた。
もう冷められていると分かっているのに何度もしつこく迫って、最終的には彼から「もう二度と会わない」と言われてしまった。

私は今、とんでもなく死にたい。
彼と付き合った2年間を振り返っても、どう考えても自分のせいで破綻している。彼を傷つけている。好きだったのは本当だが、追い詰めすぎている。好きなのに苦しめているなんておかしい。好きなら最初から死にたい気持ちになどさせないし、自分が死ぬ素振りも見せない。こんなに後悔しても、もう時間は戻せない。

でも死ねないでいる。
かつての死にたい原因だった母は彼と別れてから1番私のことを心配している。私は一人暮らしではなく妹と住んでいる。人が死ぬと妹がどれだけ悲しむ人間なのかは私もよく分かっている。「死にたい」と言えば「それな」と返してくれる友達がいる。
死ねるわけがない。私が死ぬことでどれだけの人に迷惑がかかるか。幸いにもいろんな人に大切にされてしまっているから、何人を悲しませるか。そして何より、私が自殺することで彼が殺人鬼扱いになることは間違いない。少なくとも殺人鬼ではないのに、「あいつのせいであの子が死んだ」と、私の家族や友人からそんな目で見られることは間違いない。
そしてこれは同時に、私にも同じようなことが言える。彼をこれまで追い込んできたのは私だったので、彼が死ねば私が殺人鬼である。
私たちはもうお互いに心は殺しあっている。体だけがなぜか生きている状態にある。正直どちらも限界だろうしいつ死んでもおかしくない。

どこから間違えたのか。どこからやり直せばいいのか。どうしたら心を殺し合わずに済んだのか。どちらかが死ぬまで一緒にいようといったこともあった。でもそれは叶うことは無い。私たちはもう一緒になることはないのだから。

ならばせめて、どちらかが死んでも分からないくらい時間が経ってから、お互いに知らないところで、静かに孤独に、息を引き取れますように。

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