見出し画像

般若心経とアート②

前回の続きです。

日本で最もポピュラーなお経である「般若心経」と「アート」の関係について考えてみます。

色即是空ってなに?

般若心経の中で最も有名な四字熟語といえば「色即是空」です。般若心経は知らなくとも「色即是空」は聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

「色即是空」は、そのまま直訳すると

「”色(しき)”って、”空(くう)”なんですよ!」

と言ってるわけなんですが、これだけ読むと「は?」となってしまいます。

まず、ここで言う””とは私たちが想像する「色彩」とか「色欲」とかそういう意味ではありません。私たちが日常的に使う””の意味からはちょっと想像しづらいかもしれません。

仏教には”五蘊(ごうん)”という基本的な考え方があるのですが、色即是空の””はこの”五蘊”からきています。

ちなみに、”五蘊”に限らず、般若心経には「ホラ、皆さんご存知のアレ」的な、読者が前提知識を持っている想定で書かれている箇所がいくつか出てきます。現代のビジネス書でいえば「マーケティング」とか「PDCA」のように、色んな本で頻繁に用いられる基礎知識みたいなものでしょうか。(おそらく)般若心経の想定読者にとってはお馴染みの言葉であり、とくに般若心経は凝縮したサマリー版ですから、こういった基本的な前提知識は丁寧に説明されずにいきなり使われるわけです。

五蘊(ごうん)ってなに?

では”五蘊”ってなんでしょうか?”五蘊”とは、仏教において人間を構成する五つの要素のことを指します。具体的には

「色」・「受」・「想」・「行」・「識」の五つです。

●色 … 物質的なものすべて
●受 ... 外界からの刺激を受けて起きる感受作用や知覚作用
●想 ... 受で感じた取ったものを心の中にイメージを思い浮かべる作用
●行 ... (受、想で判断した物事に対して)意思を持って何か行動に移そうとする心の作用
●識 ... 色~行まで感じたものに対して、それを認識する心の作用のこと

仏教では、人間は上記5つの要素から成ると考えています。よく見ると””以外はすべて心の中の話です。つまり、”色”は物質的な作用”受想行識”は心の作用を表すわけです。仏教はこのように人間の認知プロセスを分解しているということです。けっこう科学的ですよね。

お次は””です。

空(くう)ってなに?

”空”は仏教や禅の本によく出てくる概念ですが、仏教・禅の思想全体に流れる、とても根源的な考え方だと思います。日本語では「空っぽ」「空虚」なんて言葉があるように、「空=何もない」と思ってしまいがちですが、むしろその逆で、空(くう)はどちらかと言うと∞(無限大)に近いかもしれません。

”は「この世には、いつまでも変わらない固有の実体はない」という考え方です。例えば、皆さんがこの文章を眺めているであろう「スマホ」や「パソコン」といった機器には、固有の実体はありません。「いやいやw実際目の前にあるし、持ってますけど?w」と思うかもしれませんが、「スマホ」はCPU、メモリ、タッチディスプレイ、カメラなどの各パーツを組み合わせてできたものを私たちが「スマホ」と呼んでいるだけで、分解してしまうと、もはやそれはパーツ群であり「スマホ」ではありません。でも、無くなってしまうわけではないんです。なぜなら、そのパーツ群をもう1回組み上げれば、私たちが知っている「スマホ」になるわけですから。永遠不変の「スマホ」なんて存在はどこにもないわけです。たまたま、色んなパーツが組み合わされて「スマホ」ができたわけです。

・・・電化製品だとイマイチ分かりづらいかもしれないので、組織で説明します。小学校~高校時代は学級というのがありましたよね。「3年1組」とかそういう単位です。その「3年1組」は、たまたま”縁”があってそこに所属することになった数十名の生徒と担任の教師によって構成されるわけです。あなたが所属した「3年1組」は、1年間は確かにそこに存在しますが、卒業と同時に存在しなくなります。しかし、3年1組を構成した各メンバーが消えてしまったわけではないですよね。4月1日になるとまた別の「3年1組」ができるのですが、それはもはや昨年の「3年1組」とは似て非なるものであり、固有の「3年1組」が永遠にあり続けるなんてことはありえないわけです。
このように「固有の実体がない」ということを「”空”である」と言います

ということは・・・どうゆうこと?w

と、ここまで長々と言ってきたことは

「物質的なものって、固有の実体がないんですよ!」

という、何だかわかったようなわからないような話だったのですが、ここからが重要です。この「色即是空」には続きがあります。

「色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」

「物質的なものって、固有の実体がないんですよ!」
「固有の実体がないからこそ、物質的なものになるんですよ!」

「これって、物質的なものだけじゃなく、心の作用も同じですよ!」

と言っています。平たく言えば「あらゆるものは”空”なんです」ということになっちゃうのですが、「アート」との関連を特に見いだせるのが、2つ目と3つ目です。

アートは空即是色+受想行識

アート(芸術)とは「世界を切り取って表現すること」です。絵画や彫刻といった芸術作品は、ある時点における世界(の一部)を切り取って表現した結果と考えるなら、これは空即是色と同じではないかと思うわけです。

色即是空は「この世には変化せずに在り続けるものはなく、すべての物質は”空”だ」と言っています。空即是色はその逆なので「この世界は変化し続け、実体がない”空”だからこそ、(それを切り取れば)不変の物質的なものになる」ということだと解釈できないでしょうか。まるで、映画のフィルムのワンシーンを切り取るようなイメージです。

以前、抽象絵画の歴史についてまとめたポストでも説明したように、アート(の代表である絵画美術)は肖像画や人物像などの写実的、いわば物質的な側面から世界を切り取ってきたわけですが、アートの裾野が広がるにつれて宗教画、風景画、静物画と切り取る対象を次々と増やしていきました。写真の発明によって写実性というアプローチで世界を切り取る手段の座は奪われましたが、その結果、アートは目に見えない世界(人間の内面=心の作用)を切り取る方向にシフトしていきました。これが現代アートだったり抽象絵画だったりするわけです。

芸術なんて小難しい概念で表現せずとも、私たちが思うがままに絵を描いたり、写真を撮ったり、音楽を作ったり、文章を書いたりする創作活動は「常に変化し続け、実体がない世界を切り取って残す」行為であり、これこそが空即是色なのだと思います。そして、そこには自分自身の心の作用(受想行識=要はエモいところ)が大いに反映されるので、受想行識もまた”是色”であるということになります。

おしまい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?