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抽象美術はなぜ生まれたのか?①

「抽象美術」というキーワードを聞いたことがありますか?現代アート展などで見かける、なんだかよくわからないけど深そうなやつです。
一般に「抽象美術」というと彫刻や造形等も含まれるようですが、ここでは抽象美術の中でも主に絵画について述べます。

抽象美術における絵画作品は「抽象画」とか「抽象絵画」と言われます。

ちなみにWikipediaによれば

抽象絵画(ちゅうしょうかいが)は、抽象芸術・抽象美術のうちのひとつ。狭義では、非対象絵画、無対象絵画、絶対象絵画のように、具体的な対象をかきうつすということのない絵画を意味する。

と書かれています。うーん、イマイチよくわかりませんね。

「抽象絵画」の具体的例を見てみると、例えばこんな感じの作品とか

アンリ・マティス 『The Moroccans』 (1915)

こんな感じの作品が「抽象絵画」と言われているようです。

パウル・クレー 『Die Vase』 (1938)

・・・これだけ見ても、やっぱりよくわからないですね汗


私は正直、美術とかアートとか全然分からない自覚があり、昔から絵もイラストも超絶ヘタクソで、学校の美術の授業もあまり好きではありませんでした。なので、こういったいかにも「ザ・アート!」みたいな作品は正直、苦手でした。だって、これの何がいいのかさっぱり分からないんです。そのくせ、何だか高尚な感じがして、「分かる人にはよさみが分かる」みたいなオーラを感じるからです。私はこんな何だかよく分からない絵?みたいなものより、美しい風景や人々の日常を切り取った作品の方がよほど美しくて素敵だと思ってました。


例えばこんなのとか。(こんなのって超有名ですけど)

ミレー 『The Gleaners (邦題:落ち穂拾い)』 (1857)

でも先日、たまたま近所で開催されていた「抽象美術の楽しみ方」というタイトルで美術館の学芸員の方が抽象絵画の鑑賞方法を解説してくれるイベントに参加したことで、抽象絵画(抽象美術)の楽しみ方がうっすらとわかってきた気がします。

ということで、美術ド素人の私が、抽象美術についてうっすら分かったことを記します。


抽象美術は「比較して見る」もの


抽象美術を鑑賞する上で最も重要なポイント、それは

「比較すること」

なんだそうです。

解説されていた学芸員の方曰く、抽象美術はそれ単体で見るのでなく、比較して見ることではじめて楽しめるものなんだそうです。

では、いったい何と比較するのか?と言うと、それは抽象表現登場以前の、過去の美術表現と、です。

抽象美術もそれ以前の美術も、一般的に美術というのは「世界の見方、見え方を形にして残す」という点で目的は同じなんだそうです。ただ「何らかの事情」によってその表現がある時期から抽象的になってしまいました(ならざるを得なかった)。

この、「世界の見方」が抽象的になってしまった、あるいはならざるを得なかったという抽象絵画が持つ事情を踏まえながら作品を見ることで、例えば「従来の美術表現ならきっとこうなっていたであろうが、ここではこういう表現になったんだな」と、過去の表現を思い起こしつつ、対比・比較しながら見るのが抽象絵画の見方なんだそうです。

でも、こういう説明をされると、こう思いませんか?

「それって、過去の美術表現がどんなのか知ってないと無理じゃない?」

私もそう思いました。

でも、実際そういうことなんだと思います。なぜなら、私もそのイベントで、抽象表現登場以前の表現がどんなものだったのか、どんな変遷をたどってきたのかを解説してもらい、その上で抽象美術のような表現が誕生したという経緯を知ったことで「ああ、なるほど。だからこうなったんだな」と、自分の中で腹に落ちる部分があったからです。それは抽象絵画の作者の素性とかモチーフの背景云々といった作品個別の話ではなく、もっと根源的というか長期的な話であり、美術全体が世界の中でどういう歴史を歩んできたのか、という話です。

美術史の知識が大前提である


つまり、

抽象美術を理解するには、美術の歴史を知る必要があったんです!
(まぁ、これに限らず、あらゆること全般で歴史は知っているに越した事はないのですが…)

これって、特に日本人が抽象美術に苦手意識を持つ人が多い理由かもしれません。例えばフェルメールやミレーが残した絵画は「美しい、きれい」って素直に思える人が多いのに対して、現代アートに見られるような抽象絵画は「何じゃこりゃ??」ってなる人が多いように思います。実際、日本で開催して記録的な来場者数を出す展覧会といえば、圧倒的に中世ヨーロッパの画家ですよね。フェルメールとかミュシャとか。
現代アートであんなに人が集まる展覧会ってあったんでしょうか…?

また、以前私が美術館の学芸員のギャラリートークに参加した際も、学芸員の方が「もっと多くの人に現代アートを知ってもらいたい」と切実に訴えていたことが印象に残っています。それほど、日本には抽象美術に対する苦手意識が根強いのだと思います。

これは、美術史に対する知識の絶対量が足りていないからだと思います。


思い起こせば、日本の義務教育で美術史なんて教わりませんよね。美術の授業でやることと言えば殆ど「実践」でした。描いて、作って、表現して。筆記試験なんてなかったはずです。強いて言うなら、世界史で少し出てきたかもしれませんが、たかが知れています。

一方、イタリアでは義務教育として幼少期から大学まで美術史の履修が必須科目なんだそうです。古代の壁画アートから現代アートに至るまで、美術史の全てをタウンページほど分厚い美術史の教科書を使って全国民が基礎知識として学ぶわけです。それだけでも、抽象美術に対する感覚の平均値が日本のそれとは桁違いなのでしょう。イタリア人のデザイン感性が優れているのは、こういう下地が大きいのだと思います。

ということで、次回は私がこのイベントで学芸員の方から聞いてうっすら理解した「美術史が辿ってきた歴史」について述べます。美術史の歴史は、まさに「価値観のアップデート」の繰り返しでした。

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